小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

侍ジャパン

2013-03-07 20:12:55 | 武道・スポーツ
昨日は、侍ジャパンはキューバと戦った。6-3で、侍ジャパンが負けた。私は日本人だが、最後まで日本を応援しているわけではない。もちろん、試合が始まると、はじめは、侍ジャパンを応援していたが、キューバ打線の強いことに驚いた。これは、明らかに実力的に、日本よりキューバが強いと思った。やはり、体格的に日本人の方が不利である。しかし、日本の野球の歴史は古いし(戦前から日本は野球をしていた)野球の層もあついのではないだろうか。高校野球は、もちろんのこと、小学生、中学生でも、日本の子供は野球が好きである。リトルリーグもある。野球は、攻撃と守り、さらには、試合の全てに、「間」がある。ああいう「間」は日本人気質に合うように思われる。だから、日本人の野球選手の技術は上手いのではなかろうか。はたして、キューバにも高校野球とか、あるのだろうか?そうも、あまり見えない。おそらく。野球の中心は、アメリカで、アメリカのメジャーリーグで、野球選手として、大成し、大儲けしようと、アメリカに渡ってメジャーで活躍できているが、国籍はキューバのまま、という人たちなのではなかろうか。これは、他の国でもそうで、結局は、WBCは、日本×メジャーリーグの戦い、ということなのだろうか。また、野球の歴史の古さとか、野球の層のあつさ、とかは、必ずしも野球選手の実力に反映される、という保証はない。運動神経の良い人なら、一年間、みっちり野球を練習すれば、十分、アメリカのメジャーで通用する選手になれる、ということは、十分あり得ることだ。

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どうしてテニスコーチがダメになっていくか

2013-03-07 18:04:06 | 武道・スポーツ
今、週一回、やっているテニススークは、ひどい所である。ひどいのは、もちろん、コーチの人格である。近く、やめようと思う。(アパートから近く、インドアなので、一応、週一回やっているが)彼らは、自分がテニスが出来るだけの、バカで傲慢な人間たちである。なぜ、そうなるのか。の理由。コーチの認識としては、自分は先生であり、スクール生は、金を払ってテニスの教えを請いに来ている生徒であり、という上下のある師弟の関係だと思っているからである。どういう練習をするかの裁量権はコーチにあり、生徒には無い。コーチは、自分は、「テニスを教えてやる先生」という感覚である。ボールを生徒にひろわせ、自分は先生なんだから、ひろわなくて当然、という感覚である。球出しの球など死んだボールであり、そんなのを打たせても上達効果はほとんどないのだが。
生徒と、打ち合うのは、面倒くさいし、初心者、初級者、が相手だと、正確に打ち返せないから、コーチは走らねばならず、それは疲れて面倒くさくなる。だから、無意味な球出しの練習をさせるのである。そして、それを生徒にひろわせて、自分は、何もしない。そういうことをしていると、だんだん、惰性で、感覚がいい加減になり、性格が傲慢になっていくのである。
しかし。初心者は、ともかく。中級者になると、話は違ってくる。
生徒は、別にコーチの無意味なアドバイスなど求めていない。他に生徒がいるから、打ち合いは出来る。つまりテニスの練習ができる。技術の上達は、基本的には、反復練習による量質転化によって起こるものだが、市販のテニスの本や、それに付随しているDVDや、You-Tubeなどを見れば、自分で学ぶことは出来る。生徒は、インドアのコートと、打ち合いの相手である、他のスクール生を求めて、高い金を払ってテニススクールに来ているのであって、コーチの存在価値など、ほとんど無い。(多少あるとすれば、コーチは正確に打てるから、コーチとのラリーは上達に効果がある)むしろ無意味な球出しの練習などせず、ラリーの練習の方が上達にいいから、コーチなど、いない方がいいのである。コーチの役割といったら、生徒が怪我しないよう、監督するだけでいいのである。それを、どう勘違いしているのか、コーチは自分が生徒を指導するものだと思い、コーチは威張る権利が当然ある、偉い存在だと思っている。そういう惰性の毎日を送っていると、感覚がおかしくなってくる。
本来は。テニススクールとは。生徒が金を払って、インドアのコートを借り、他の生徒と打ち合う練習をする、という商売の関係なのである。スクールの経営者でもあるコーチ達は商売人であり、生徒たちはお客様なのである。生徒たちは、コーチなど存在しなくてもいっこうに構わないし、さらには、テニスなど出来なくても、生徒達が練習している時、怪我やトラブルが起こらないよう、監視する役でいいのである。
本当にテニスが上手くなりたいと思っているのなら、テニススールなどに通うより、テニスが出来る気の合った友達と、コートを借りて、打ち合いの練習をした方が、はるかに上達するのである。テニススクールに来る人は、時間の都合、場所の都合から週一回か、二回のテニススクールに通っているのに過ぎない。
テニススクールは、生徒が高い金を払って、テニスの練習のためや、健康のための運動に来ているのである。(世に、軟式テニススクールや卓球スクールというものは無いし、野球も人数が必要だから、野球スクールというものも無いし、結局、適度に運動しようと思ったら、テニススクールとなってしまうのである)スクール生は、大切なお客様であって。テニスコーチは、お客様であるスクール生の払う金によって生活できている、というのが、本義なのである。もし、仮に、スクール生が、一人も来なくなってしまったら、スクールは運営できなくなり、コーチはコンビニ店員になるしかないのである。テニスに関しては、オレが偉いんだぞ、絶対的な権力を持っているんだぞ、命令口調で生徒を叱り、生徒は絶対服従の立場で当然なんだぞ、などと、多くのテニスコーチは大きな勘違いしている。

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