小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

おたっしゃナース(医療エッセイ)

2023-11-28 14:29:19 | 小説
僕が研修した下総精神医療センターでの医療エッセイ。平井愼二先生(薬物)とか長嶋先生とか、まだやってる。

おたっしゃナース

あるナースについて、かいておかなければならないのだが、ナースは何といっても、医療における権限の点で、医者より弱者なので、弱者をいじめることはイヤなのだが、文人の筆にかかり、文の中で生命の息吹をあたえられることを多少は、うれしいと思ってくれるか、逆におこるか否かは知らぬが、世のHビデオでは、ひきさきたいものの上位に、ナースがあがってるが、それは医療界を知らない外野だからそう思うのであって、心やさしい聖女、なんて思ってるんだろうが、ナースは仕事がつらくて、夜勤があって、イライラしているため、とてもそんな気はおこらない。人間を相手に仕事をしている人間は神経がイライラしてしまう。パソコンを相手にしているオフィス・レディーは主客一致で、ひきさく魅力のある、やさしい聖女だろうが。で、医者でいるとナースインポになる。だが思うに、あのナースは、容姿と性格を世の男が知ったら、引き裂きたい、と、思い、それが妥当であるめずらしいケース。そのナースは、瓜実顔で、うぬぼれが、整合性があう程度にある。世の男は、女につきあいを強要するらしい。そういう男のため、こちらはどれだけメイワクをこうむっていることか。どうも、男は、女をみると、抱くことしか、考えないのらしいが、また、それが、この世で一番のたのしみらしいが、芸術家は描くことが一番のたのしみであり、他のことは、すべてえがくのに最高のコンディションが保てるようにと、思っているのだが。いずくんぞ芸術家の心は知られんや。そのナースは、私が、その病棟から、よその病棟へうつる時、去る者の優越心とともに出ていかれ、たまに顔を出されるのがいやだ、と思ったのか、おたっしゃで、と言ったが、おまえのおまん〇こそ末長くおたっしゃでいろ、と、ハードボイルド作家ならかきかねないぞ。いろいろ習いごとをしていたようで、積極的で、意欲旺盛で、精力が強いのだろう。そのナースが、「あなたを先生と呼んでいるのは職場の上で、いやいやそう言っているのよ。病院から離れれば、あなたなんか先生でも何でもないし、心の中から先生と呼んでいるわけじゃないのよ。」と思っていることは、ほとんど目にみえていた。こういうツンとしたナースだから、読者が、想像でひきさいてほしく候。だが6月頃、一度、病院行事で、病棟の患者30人くらい、ナース、ドクターつきそいで幕張海浜公園に行ったのだが、雲一つない初夏の青空のもと、患者の手をひいて浜辺を歩いていた姿が思い出されるのだが、あの、つかれた歩き方、芸術家にとっては、さっぱりわからない、あの人間というものの姿は美しい。ナースがフダン着になると、すごくエロティックである。女とみてしまうからだろう。またナースキャップをしていると、前髪がかくされて、額が強調されるため、ナースキャップをせず、前髪が自然に流されている方が似合う。このナースは、どんなに、当直あけで、つかれていても、「先生。注射おねがいします。」と、ツンと、言うのである。心の中では、「何もできない、何も知らない無能な先生。」といって笑っていることは、ほとんど目にみえていた。病院は、医者が上でナースが下、ではない。ナースはナースでツンとまとまっていて、自分らは自分らの仕事をしますから、ドクターの仕事は、ドクターでおねがいしますよ、と、ツンとつきはなす。

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