スポーツや教育において、体罰とか、しごき、のことがさかんに言われている。体罰は暴力で言語道断、という意見が多いように見受けられる。体罰肯定の意見は少ない。しかし私は、体罰(体罰という言葉は私にとっては適当ではなく違和感を感じるのだが)を無条件に否定する者ではない。体罰とか、厳しい訓練とかが、選手の技術を上達させるケースもあるからである。(もっとも、そういうケースは、非常に数少なく、そして、それは結果論であって、基本的に肯定すべきものではない)もっとも、もし私が指導者だったら、優しすぎてしまって、それが問題になりかねない。
いい例がある。You-Tubeで、「佐山サトル」で検索してみれば、出てくるが。初代タイガーマスクの佐山サトルが、どこかの大学のシューティング部の合宿の訓練で、まさに一見すると、暴力的な荒っぽい体罰指導をしている画像が出てくる。一見すると、言語道断の体罰指導と、とらえてしまう人もいると思う。しかし、はっきり言っておくが、あれは素晴らしい暴力的指導である。私は、あの指導を完全肯定する。佐山サトルは、選手たちに、シューティングが上手くなってほしい、優れたシューティング選手になって欲しい、というのが、佐山サトルの、思いだからである。佐山サトルは、非常に頭がいい。どう指導すれば、上達するか、という論理をしっかりと理解している。本で読んで研究したのか、直観力からかはわからないが、おそらく、彼の頭の良さからして、直観力からだろう。
しかし、世の中で行われている、体罰指導の9割は、言語道断の、無能でバカな指導者どもの、勝利至上主義の、すぐやめさせるべき悪質な暴力体罰である、と私は推測している。すぐにやめさせるべきである。私もテニススクールで指導者を見てきているが、今、所属しているテニススクールのコーチの全員は、白痴である。思考力0である。
ただ、困ったことは、言語道断の暴力的体罰指導でも、選手の技術が上手くなるケースも、あることがあるのである。もちろん、世の中の思考力0のバカ指導者どもの指導では、技術が上手くならないケースの方が多いだろうし、さらに、せっかく、あるレベルまでは上達できる能力を持っているのに、思考力0の暴力的バカ指導者どもに、運悪くかかってしまうと、伸びる能力があるのに、つぶされてしまうケースや、さらに嫌になってやめていくケースも、そうとう多いことだろう。むしろ、そのケースの方が多いだろう。
体罰的指導とか、厳しい指導、というものには、ちゃんと論理があるのである。優しいだけの指導では、伸びないケースもあるのである。佐山サトルのような頭のいい人間なら、書物に頼らずとも、直観力だけで、それを見抜けるのだが、世のスポーツ指導者の多くは、バカだから、指導や上達の論理を学ばせる規則を作ったらいいと、思うのだか。おすすめの本は、南郷継正氏の「武道の理論」や氏の他の本である。氏は、「しごきの理論」というものを、論理的に正しく書いている。「しごきの理論」なんてものを、正面切って書いている人は、他に思いつかない。あるいは、スキーのSAJの指導理論も、非常に優れている。
だが仮に、指導者にそれらの本を読むよう義務づけたとしても、まずダメだと思う。彼らは、真剣に読もうとしないだろうし、そもそも理解できない、というか、理解しようと努力しないだろうし、軽い気持ちで読み流すだけで、読んでも、さっぱりわからず、読んだ翌日には、全て忘れているだろうから。私は多くの指導者や教師を見てきたが、非常に残念なことであるが、やはりバカは死ぬまで治らないのである。
「彼らは見ても見ようとせず、聞いても聞こうとせず、理解できないのである」
(マタイ伝13章)
もう一つ、重要なことに、選手の指導者に対する「愛」、あるいは逆に、指導者の選手に対する「愛」というものがある。スクールウォーズのモデルの伏見工業高校ラグビー部を京都一までの強豪にしたのは、山口良治先生の生徒に対する「愛」であり、生徒の山口良治先生に対する「愛」である。
いい例がある。You-Tubeで、「佐山サトル」で検索してみれば、出てくるが。初代タイガーマスクの佐山サトルが、どこかの大学のシューティング部の合宿の訓練で、まさに一見すると、暴力的な荒っぽい体罰指導をしている画像が出てくる。一見すると、言語道断の体罰指導と、とらえてしまう人もいると思う。しかし、はっきり言っておくが、あれは素晴らしい暴力的指導である。私は、あの指導を完全肯定する。佐山サトルは、選手たちに、シューティングが上手くなってほしい、優れたシューティング選手になって欲しい、というのが、佐山サトルの、思いだからである。佐山サトルは、非常に頭がいい。どう指導すれば、上達するか、という論理をしっかりと理解している。本で読んで研究したのか、直観力からかはわからないが、おそらく、彼の頭の良さからして、直観力からだろう。
しかし、世の中で行われている、体罰指導の9割は、言語道断の、無能でバカな指導者どもの、勝利至上主義の、すぐやめさせるべき悪質な暴力体罰である、と私は推測している。すぐにやめさせるべきである。私もテニススクールで指導者を見てきているが、今、所属しているテニススクールのコーチの全員は、白痴である。思考力0である。
ただ、困ったことは、言語道断の暴力的体罰指導でも、選手の技術が上手くなるケースも、あることがあるのである。もちろん、世の中の思考力0のバカ指導者どもの指導では、技術が上手くならないケースの方が多いだろうし、さらに、せっかく、あるレベルまでは上達できる能力を持っているのに、思考力0の暴力的バカ指導者どもに、運悪くかかってしまうと、伸びる能力があるのに、つぶされてしまうケースや、さらに嫌になってやめていくケースも、そうとう多いことだろう。むしろ、そのケースの方が多いだろう。
体罰的指導とか、厳しい指導、というものには、ちゃんと論理があるのである。優しいだけの指導では、伸びないケースもあるのである。佐山サトルのような頭のいい人間なら、書物に頼らずとも、直観力だけで、それを見抜けるのだが、世のスポーツ指導者の多くは、バカだから、指導や上達の論理を学ばせる規則を作ったらいいと、思うのだか。おすすめの本は、南郷継正氏の「武道の理論」や氏の他の本である。氏は、「しごきの理論」というものを、論理的に正しく書いている。「しごきの理論」なんてものを、正面切って書いている人は、他に思いつかない。あるいは、スキーのSAJの指導理論も、非常に優れている。
だが仮に、指導者にそれらの本を読むよう義務づけたとしても、まずダメだと思う。彼らは、真剣に読もうとしないだろうし、そもそも理解できない、というか、理解しようと努力しないだろうし、軽い気持ちで読み流すだけで、読んでも、さっぱりわからず、読んだ翌日には、全て忘れているだろうから。私は多くの指導者や教師を見てきたが、非常に残念なことであるが、やはりバカは死ぬまで治らないのである。
「彼らは見ても見ようとせず、聞いても聞こうとせず、理解できないのである」
(マタイ伝13章)
もう一つ、重要なことに、選手の指導者に対する「愛」、あるいは逆に、指導者の選手に対する「愛」というものがある。スクールウォーズのモデルの伏見工業高校ラグビー部を京都一までの強豪にしたのは、山口良治先生の生徒に対する「愛」であり、生徒の山口良治先生に対する「愛」である。