小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

安部公房の小説論

2022-01-31 11:38:25 | 考察文
安部公房は、「視点を変えるとわかりきったことが迷路になる」「そうやって視点を変えることで物事を深く理解できるようになる」と言っている。

僕は何年か前までは、歌舞伎が理解できなかった。

歌舞伎の味がわからなかった。

しかし、ある時、白波五人男の稲瀬川での、口上を全部、覚えてしまった。

すると、歌舞伎の味がわかるようになった。

歌舞伎の、あの重みのある言葉の味がわかると、歌舞伎を見た後で、映画、や、テレビドラマの、つまり、普通の人間の言葉が、何て軽いものだろうと、貧弱に見えた。

歌舞伎の味がわからない人にとっては、歌舞伎の方が、わけのわからないもので、映画やドラマの方が当たり前の感覚だが。

美人の顔も、ある一定の距離をとって見ると美しいが、美人の顔をその人の鼻の真ん前で見ると、「なんだこりゃ」というようにしか見えない。

デパートの15階とか、かなり高い所から、地上の自動車を見ると、いかに、自動車が車高が高く見えるかに驚かされる。

いつもは、人間は自動車を同じ地上、という視点で見ているから、それに気づかないのである。

なので、ミニカーとか、プラモデルの自動車では、実際の自動車をそのまま、縮小していはいないのである。

そうすると、格好悪くなるからである。

なので、ミニカーやプラモデルの自動車は、車高を実際の自動車より低くして、作ってあるのである。

これは、プラモデルの「田宮模型の仕事」という本の中で、田宮模型の創業者の田宮氏が語っている。

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