2023年度版 馬場あき子の外国詠50(2012年3月実施)
【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾廣子 司会とまとめ:鹿取未放
364 いまの地球救ひうる一人缺けてゐる英雄広場の酸性の雨
(当日発言)
★なぜ一人なのか?一人だけなのか?(T・H)
★T・Hさんの疑問はもっともで、期待する英雄は一人だけでなくたくさんいてほしい
ですよね。でもまあ、ここは修辞です。たとえば「いまの地球救ひうるあまた缺け
てゐる」と言ったら歌に ならないでしょう。(鹿取)
★作者はこの旅行の前に『プラハの春』を読んで行ったそうだ。十四体以外に入るべ
き人がいるはずなのに入っていないと言っている。ハンガリー革命の英雄の一人か?
(藤本)
★もし藤本さんのいうようにかつてのハンガリー革命の英雄の一人が欠けているという
ことなら 「いまの地球」という表現にはならないでしょう。また、『プラハの春』は
1956年の事件を題材にしているので、ハンガリー革命の英雄とは結びつかないと
思います。(鹿取)
(まとめ)(2012年)
酸性の雨の降るうすら寒い英雄広場に立って、今の地球を救う一人が存在しないことを嘆いている。ここには十四体のかつての英雄が顕彰されているが、今現在の混沌とした世界を救う人物が存在しないという辛辣な歌。ちなみに英雄像十四体の内、最後の像は一九四八年にハンガリー革命一〇〇年を記念して入れ替えられたそうだ。その入れ替えられた十四体めが、ハンガリー革命の指導者で亡命しイタリアで客死したコッシュートである。入れ替えられる前は、英雄広場建設当時のハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフの像であった。(当時ハンガリーは、ハプスブルクとオーストリアとの二重帝国の時代だった。)
この歌が歌われてから20年ほどが経過した現在、更に世界は昏迷を深め、今の地球を救う一人が存在しない感は深くなる一方だ。(鹿取)
【中欧を行く 秋天】『世紀』(2001年刊)91頁
参加者:N・I、K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:崎尾廣子 司会とまとめ:鹿取未放
364 いまの地球救ひうる一人缺けてゐる英雄広場の酸性の雨
(当日発言)
★なぜ一人なのか?一人だけなのか?(T・H)
★T・Hさんの疑問はもっともで、期待する英雄は一人だけでなくたくさんいてほしい
ですよね。でもまあ、ここは修辞です。たとえば「いまの地球救ひうるあまた缺け
てゐる」と言ったら歌に ならないでしょう。(鹿取)
★作者はこの旅行の前に『プラハの春』を読んで行ったそうだ。十四体以外に入るべ
き人がいるはずなのに入っていないと言っている。ハンガリー革命の英雄の一人か?
(藤本)
★もし藤本さんのいうようにかつてのハンガリー革命の英雄の一人が欠けているという
ことなら 「いまの地球」という表現にはならないでしょう。また、『プラハの春』は
1956年の事件を題材にしているので、ハンガリー革命の英雄とは結びつかないと
思います。(鹿取)
(まとめ)(2012年)
酸性の雨の降るうすら寒い英雄広場に立って、今の地球を救う一人が存在しないことを嘆いている。ここには十四体のかつての英雄が顕彰されているが、今現在の混沌とした世界を救う人物が存在しないという辛辣な歌。ちなみに英雄像十四体の内、最後の像は一九四八年にハンガリー革命一〇〇年を記念して入れ替えられたそうだ。その入れ替えられた十四体めが、ハンガリー革命の指導者で亡命しイタリアで客死したコッシュートである。入れ替えられる前は、英雄広場建設当時のハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフの像であった。(当時ハンガリーは、ハプスブルクとオーストリアとの二重帝国の時代だった。)
この歌が歌われてから20年ほどが経過した現在、更に世界は昏迷を深め、今の地球を救う一人が存在しない感は深くなる一方だ。(鹿取)