2023年版 渡辺松男研究18 2014年8月
【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
153 われの目をふかぶかと覗きこみてきし夢解き師の目潤みていたり
(レポート)
夢をよくみる作者は「夢解き」をたのむことが多くあったのだろう。夢解きの為に大切な心の窓なる目はふかぶかと覗きこまれてきたのだ。その見る側の夢解き師の目が潤んでいるという、なぜなのか。私達の夢も目覚めている時もそれは全て生の連続であって夢解き師などと名乗って生の一部分である夢を解くことのおこがましさをこの場で思い至ったのか。(慧子)
(紙上意見)
「夢解き師」(夢の吉凶を判じ解く人)は、夢占いよりも信頼できそうであるが、われの目を覗き「見る人」は、同時にわれに「見られる人」であり、その目が潤んでいた、とわれに見破られてしまったところが、可笑しい。(鈴木)
(当日発言)
★手相見とか占い師というのは街角でよく見かけますが、夢解き師というのはリアルに
存在するものですか?フロイトの夢判断とかなら高校時代夢中で読みましたけど。夢
解き師というのが現実世界では浮かばないのでこの歌は何か幻想的な感じがする。
(鹿取)
★夢解き師は〈われ〉であるか、もう一人の〈われ〉であるか、あるいは神のようなも
のなのか、現実の世界で自分を起こしてくれた奥さんとか娘さんとかも考えられる。
フロイトなのかとも思ったのですけれど。ユーモアよりも奥深いものを感じました。
潤んでいたというのは、お互いの心の行き来を感じます。(真帆)
★夢解き師は依頼したのだと思う。その夢解き師の目が潤んでいたということは、夢解
き師としての資格がないと思う。(曽我)
★私は目が潤んでいたというところにエロチックなものを感じます。男同士のエロスの
ような。フロイトの夢判断だと全て生命の根源である性衝動に行き着くんですけど。
真帆さんがいうような対象と自分が入れ替わるような、主格がわからなくなるような
訳のわからなさも感じるのですが。(鹿取)
★こう考えると実も蓋もないけど、夢を見ている自分を起こして夢を解放してくれた
人、自分を起こしてくれた奥さんの目がエロチックに潤んでいたとか。(笑)
(真帆)
(後日意見)
後から思いついたが、夢解き師は作者が掛かっている精神科の医師ではないか。フロイトの夢判断の例もあるし。こんな不思議な夢を見たと訴えていると医師は「われの目をふかぶかと覗きこみてき」たのだ。潤んでいたのは夢を解き明かそうとして懸命になっているからか。または性的な興味を抱いたからか。またかなりニュアンスは違うが、『泡宇宙の蛙』に「夢監視人」の一連がにある。題になった歌を挙げておく。こちらの夢は寝てみる夢ではなくホープだろうか。(鹿取)
「夢監視人われすこしまだ若ければ星尾峠の名に引かれ来し」
(後日意見)その2
大井学氏の評論「新しい歌の『主体』のために」【「かりん」二十五周年記念特集号(200 3年5月)】に掲出の歌が採り上げられているので引用させていただく。
一般的に解釈すれば、「夢解き師」とは占い師や精神分析医を指すと考えられる。しかしここで着目したいのは、夢解き師の目が潤んでいるということに他ならぬ「私」が見ているということである。夢という意識の閾線上にあるものを覗き込む「夢解き師」が「私」を見つめる目を、逆に見つめているという構図である。ここにおいて「私」の意識は夢解き師の存在によって反射され、自身の深部を覗き込むことになる。夢解き師とは他者の姿を借りた自分自身であり、無意識の現実と有意識の現実とを往還する思考の実在性である。あたかも中空に浮かんだ白い診察室の風景を連想させるようなこの歌には、安堵とも恐怖ともつかぬ不思議な雰囲気がある。「見る」ことの安心と「見られる」ことの不安との間にあって、歌は湿り気を帯びながら呼吸している。(大井学)
【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
153 われの目をふかぶかと覗きこみてきし夢解き師の目潤みていたり
(レポート)
夢をよくみる作者は「夢解き」をたのむことが多くあったのだろう。夢解きの為に大切な心の窓なる目はふかぶかと覗きこまれてきたのだ。その見る側の夢解き師の目が潤んでいるという、なぜなのか。私達の夢も目覚めている時もそれは全て生の連続であって夢解き師などと名乗って生の一部分である夢を解くことのおこがましさをこの場で思い至ったのか。(慧子)
(紙上意見)
「夢解き師」(夢の吉凶を判じ解く人)は、夢占いよりも信頼できそうであるが、われの目を覗き「見る人」は、同時にわれに「見られる人」であり、その目が潤んでいた、とわれに見破られてしまったところが、可笑しい。(鈴木)
(当日発言)
★手相見とか占い師というのは街角でよく見かけますが、夢解き師というのはリアルに
存在するものですか?フロイトの夢判断とかなら高校時代夢中で読みましたけど。夢
解き師というのが現実世界では浮かばないのでこの歌は何か幻想的な感じがする。
(鹿取)
★夢解き師は〈われ〉であるか、もう一人の〈われ〉であるか、あるいは神のようなも
のなのか、現実の世界で自分を起こしてくれた奥さんとか娘さんとかも考えられる。
フロイトなのかとも思ったのですけれど。ユーモアよりも奥深いものを感じました。
潤んでいたというのは、お互いの心の行き来を感じます。(真帆)
★夢解き師は依頼したのだと思う。その夢解き師の目が潤んでいたということは、夢解
き師としての資格がないと思う。(曽我)
★私は目が潤んでいたというところにエロチックなものを感じます。男同士のエロスの
ような。フロイトの夢判断だと全て生命の根源である性衝動に行き着くんですけど。
真帆さんがいうような対象と自分が入れ替わるような、主格がわからなくなるような
訳のわからなさも感じるのですが。(鹿取)
★こう考えると実も蓋もないけど、夢を見ている自分を起こして夢を解放してくれた
人、自分を起こしてくれた奥さんの目がエロチックに潤んでいたとか。(笑)
(真帆)
(後日意見)
後から思いついたが、夢解き師は作者が掛かっている精神科の医師ではないか。フロイトの夢判断の例もあるし。こんな不思議な夢を見たと訴えていると医師は「われの目をふかぶかと覗きこみてき」たのだ。潤んでいたのは夢を解き明かそうとして懸命になっているからか。または性的な興味を抱いたからか。またかなりニュアンスは違うが、『泡宇宙の蛙』に「夢監視人」の一連がにある。題になった歌を挙げておく。こちらの夢は寝てみる夢ではなくホープだろうか。(鹿取)
「夢監視人われすこしまだ若ければ星尾峠の名に引かれ来し」
(後日意見)その2
大井学氏の評論「新しい歌の『主体』のために」【「かりん」二十五周年記念特集号(200 3年5月)】に掲出の歌が採り上げられているので引用させていただく。
一般的に解釈すれば、「夢解き師」とは占い師や精神分析医を指すと考えられる。しかしここで着目したいのは、夢解き師の目が潤んでいるということに他ならぬ「私」が見ているということである。夢という意識の閾線上にあるものを覗き込む「夢解き師」が「私」を見つめる目を、逆に見つめているという構図である。ここにおいて「私」の意識は夢解き師の存在によって反射され、自身の深部を覗き込むことになる。夢解き師とは他者の姿を借りた自分自身であり、無意識の現実と有意識の現実とを往還する思考の実在性である。あたかも中空に浮かんだ白い診察室の風景を連想させるようなこの歌には、安堵とも恐怖ともつかぬ不思議な雰囲気がある。「見る」ことの安心と「見られる」ことの不安との間にあって、歌は湿り気を帯びながら呼吸している。(大井学)
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