かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 57 中欧  414 

2022-07-27 11:57:35 | 短歌の鑑賞
  馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、
         渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

414 羊のやうに群れて歩める小さき影カラードにして金持われら

       (レポート抄)
 人種はコーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人)、ニグロイド(黒人)に大別されている。旅の同行者達がガイドの後についてひとかたまりとなって歩いている姿が目に浮かぶ。(崎尾)

      (当日発言抄)
★この作者は、旅の都度、小柄、カラードの歌をよく作っていますね。(鹿取)
★大聖堂の高さ、壮大さと比べて、その下を歩む人間の小ささを表している。迷わないよう
 にくっついて歩いている。「金持われら」は金持ちである自分たちを皮肉って歌ってい
 る。自虐的に。(藤本)
★ずいぶんと卑下した歌だが、それは矜持の裏返し。(曽我)
★下の句は考えようによっては重い。人種のこととか金持ちとか重いテーマを軽く詠んで
 いる。影、カラード、金持ちとカ音で繋いでいるのが面白い。軽いリズム感が出ている。
  (鈴木)
★黄色人種は実際にカラードとして差別されている訳で、それはやはり重いこと。またチェ
 コという貧しい国から見たら、個々人の違いを超えて外国旅行に来ている日本人はみんな
 金持ち。重いことがらを鈴木さんがおっしゃったように軽くいなして歌っている。アフリ
 カへ行った時もカラード、金持ちについては歌っていて、後ろめたさなど複雑な思いを抱
 えている。建物の外か中かの解釈はいろいろ出たが、聖堂を出て、聖堂に沿って歩いてい
 る場面というのが私の感じ。中にいたら影とは歌わないと思う。西洋人に比べて背が低い
 ので「小さき影」になる。羊のように調教されておとなしく歩いている日本人。そういう
 自分たちの影を見ながら複雑な苦さを噛みしめている。その苦さをカラードというような
 語ではね返しているような感じ。(鹿取)

    (後日意見)(2020年5月)
 日本人が小柄であることについて、馬場はこんなふうに歌っている。1首目はスペイン旅行、2、3首目はアフリカ旅行に取材した歌である。(鹿取)

ジパングは感傷深き小さき人マドリッドにアカシアの花浴びてをり
   群れて行く日本人の小ささをアフリカの夕日が静かにあやす
   モロッコのスークにモモタローと呼ばれたり吾等小さき品種の女

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬場あき子の外国詠 413... | トップ | 渡辺松男『泡宇宙の蛙』の一... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事