2025年度版 渡辺松男研究46(2017年2月実施)
『寒気氾濫』(1997年刊)【冬桜】P154~
参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:①曽我 亮子 ②渡部 慧子
司会と記録:鹿取 未放
385 山毛欅の肌われより凛くこの冬をときに光りて越えつつあらん
(レポート①)
ぶなの皮肌は私より強くきりりと引き締まってこの寒い冬を克服しつつあるのだろう。 (曽我)
(レポート②)
樹をとても親しいものとしてとらえ、山毛欅の肌を思っているのだが、自身より凛く、つまりきりっとりりしくときに光ってこの冬を越えているだろうと。「凛く」とこの字を当てて一首が支えられる。(慧子)
(当日発言)
★木の肌が光っているというのが独特の捉え方ですよね。いきいきしていることを光るといっているのでしょうか。(鹿取)
★山毛欅は分かりませんが、欅はほれぼれするような肌の木にであうことがありますね。(慧子)
★山毛欅の生態をよく知らないので、調べないといけないですね。「あらん」だから山毛欅は遠くにあって目の前で見ているわけではない、光って越えているだろうと想像している。だから凛さの象徴として「光りて」は比喩的に使われているのかもしれませんね。(鹿取)
(後日意見)
調べてみると山毛欅の木肌は比較的すべすべしているようだ。「光りて」は文字どおり光りてなのかもしれない。
春一番に揉まれ揉まれてきらめけり樹々には素肌あるものなれば 『寒気氾濫』
どちらの歌も対象の樹に対する熱いほどの思いが感じられる。(鹿取)
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