2023年度版 馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放
184 西安の街上にひまはりの香を放つ向日葵の種子食みかがやきて
(レポート)
この歌では作者が向日葵の種を食べたことになる。はたしてそうだろうか。それとも向日葵の種を食べながら歩いている人とすれちがった。この香ばしい匂い、素朴な匂い。と同時にその人の面差しの輝きに感動している。(T・S)
(当日意見)
★作者が食べても、他の人が食べてもどっちでもいい。明るくて素朴な西安の街上の風景。
(藤本)
185 向日葵の種子の香の息かすかなる西安の鸚鵡肩に置かまし
(当日意見)
★「向日葵の種子の香の息かすかなる」は「西安の鸚鵡」にまで掛かっている。だから
向日葵の息をしているのは鸚鵡です。結句は「置く」に助動詞「まし」が付いた形。
「まし」にはいろんな意味があるけど、ここは「ためらいの意志」くらいか。訳すと
「肩に置いてみようかしら。」(鹿取)
(まとめ)(2009年)
鸚鵡は街角で売っているのだろうか。それともペットとして人々が肩に乗せて街を連れ歩いたり、公園などで遊んだりしているのだろうか?そんな場面で「私の肩にもちょっと乗せてみてよ」と身振り手振りででも言ったか、言わなくても思ったか、結句の面白がりようが楽しい。「向日葵の種子の香の息かすかなる」は傍に寄ってみた発見か、向日葵の種を食べていたのでそう思ったのか。ネットで最近のブログ旅行記を読むと、向日葵の種子を炒ったものを今もよく街上で売っているらしい。100グラム2元(34円くらい)で買ったという記事もあった。炒ったものは香ばしいそうだ。もっとも小さな種の殻を一個一個剥くのがめんどうらしい。(鹿取)
【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放
184 西安の街上にひまはりの香を放つ向日葵の種子食みかがやきて
(レポート)
この歌では作者が向日葵の種を食べたことになる。はたしてそうだろうか。それとも向日葵の種を食べながら歩いている人とすれちがった。この香ばしい匂い、素朴な匂い。と同時にその人の面差しの輝きに感動している。(T・S)
(当日意見)
★作者が食べても、他の人が食べてもどっちでもいい。明るくて素朴な西安の街上の風景。
(藤本)
185 向日葵の種子の香の息かすかなる西安の鸚鵡肩に置かまし
(当日意見)
★「向日葵の種子の香の息かすかなる」は「西安の鸚鵡」にまで掛かっている。だから
向日葵の息をしているのは鸚鵡です。結句は「置く」に助動詞「まし」が付いた形。
「まし」にはいろんな意味があるけど、ここは「ためらいの意志」くらいか。訳すと
「肩に置いてみようかしら。」(鹿取)
(まとめ)(2009年)
鸚鵡は街角で売っているのだろうか。それともペットとして人々が肩に乗せて街を連れ歩いたり、公園などで遊んだりしているのだろうか?そんな場面で「私の肩にもちょっと乗せてみてよ」と身振り手振りででも言ったか、言わなくても思ったか、結句の面白がりようが楽しい。「向日葵の種子の香の息かすかなる」は傍に寄ってみた発見か、向日葵の種を食べていたのでそう思ったのか。ネットで最近のブログ旅行記を読むと、向日葵の種子を炒ったものを今もよく街上で売っているらしい。100グラム2元(34円くらい)で買ったという記事もあった。炒ったものは香ばしいそうだ。もっとも小さな種の殻を一個一個剥くのがめんどうらしい。(鹿取)
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