かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 184、185 中国③

2023-02-16 14:30:10 | 短歌の鑑賞
  2023年度版 馬場あき子の旅の歌24(2009年12月実施)
    【向日葵の種子】『雪木』(1987年刊)124頁~
     参加者:K・I、N・I、Y・I、T・S、藤本満須子、
         T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:T・S 司会とまとめ:鹿取 未放


184 西安の街上にひまはりの香を放つ向日葵の種子食みかがやきて

        (レポート)
 この歌では作者が向日葵の種を食べたことになる。はたしてそうだろうか。それとも向日葵の種を食べながら歩いている人とすれちがった。この香ばしい匂い、素朴な匂い。と同時にその人の面差しの輝きに感動している。(T・S)


      (当日意見)
★作者が食べても、他の人が食べてもどっちでもいい。明るくて素朴な西安の街上の風景。
     (藤本)


185 向日葵の種子の香の息かすかなる西安の鸚鵡肩に置かまし

      (当日意見)
★「向日葵の種子の香の息かすかなる」は「西安の鸚鵡」にまで掛かっている。だから
 向日葵の息をしているのは鸚鵡です。結句は「置く」に助動詞「まし」が付いた形。
 「まし」にはいろんな意味があるけど、ここは「ためらいの意志」くらいか。訳すと
 「肩に置いてみようかしら。」(鹿取)


      (まとめ)(2009年)
 鸚鵡は街角で売っているのだろうか。それともペットとして人々が肩に乗せて街を連れ歩いたり、公園などで遊んだりしているのだろうか?そんな場面で「私の肩にもちょっと乗せてみてよ」と身振り手振りででも言ったか、言わなくても思ったか、結句の面白がりようが楽しい。「向日葵の種子の香の息かすかなる」は傍に寄ってみた発見か、向日葵の種を食べていたのでそう思ったのか。ネットで最近のブログ旅行記を読むと、向日葵の種子を炒ったものを今もよく街上で売っているらしい。100グラム2元(34円くらい)で買ったという記事もあった。炒ったものは香ばしいそうだ。もっとも小さな種の殻を一個一個剥くのがめんどうらしい。(鹿取)

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