渡辺松男研究2の1(2017年6月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
【無限振動体】P9~
参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
5 するすると世界を抜けてゆくきのこ今宵は白く川の辺に佇つ
(レポート)
たとえばものを理解したとき、又別の境地に至った時、もとの場にいながら、そこを抜け出るような感覚がある。「概念を重たく被り耐えている」という4番歌と対称的に「するすると世界を抜けてゆく」とは、実際の伸びとそれ以上の意味を込めていよう。「川の辺」という場、「白く」「佇つ」という様を想像すると、きのこの傘が旅にあるものの笠のように思えて漂泊者めいた感じがする。(慧子)
(当日意見)
★面白い歌ですね。(真帆)
★松男さんが歌いたいものは「いつもこちら側にいる自己同一的実体的作歌主体にとどまっている
かぎり不可能」なんですから、そこから出ている歌を理屈で考えても分からないですよね。映像
としてこの世界を抜けていく茸を思い浮かべると私は楽しいです。三途の川だかわからないけど
川のほとりに今宵は佇んでいて、明日は彼岸に行くのかもしれない。傘を旅人の笠に見立てるの
は面白いし漂泊者というのは一つの興味深い捉え方だと思いますが、作者の意図はもうすこし違
う気がします。私はこの茸は一本か集団か迷いましたが、無数の集団でするするとこの世界を抜
け出ていく動画が見えるような気がしました。どこにも集団とは書いてないですけど。(鹿取)
★茸は繁殖力が強くていろんな所に出ちゃう。芝生の中とかに出ちゃう。本当だったら森の中に生
えているはずの茸が、意外にも川のほとりに立っている。(T・S)
★そういう茸、よく見ますね。納得です。(慧子)
★確かに思いもよらないところに茸はポッと生え出てくるんだけど、「在ることの不思議、無いこ
との不思議」を詠いたい人にとって、彼が詠いたい事はそれではない。文字通り、茸はこの世界
を抜け出すのでしょう。でも私は作者ではないので、意図が全然見当も付かなかったりします。
松男さんの歌の本質的なところは掴めないんだけど、でも面白いから読みたい。作者には迷惑
でしょうが、ごめんなさいと思いつつ読んでいます。(鹿取)
(後日意見)2019年5月追加
かくしてきのこは汚れた世界から脱出してとうとうと白く流れる川のほとりに屹立する。きのこがすべての生物の存在を代表するのである。(鶴岡善久)
「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号)
【無限振動体】P9~
参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、A・Y、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
5 するすると世界を抜けてゆくきのこ今宵は白く川の辺に佇つ
(レポート)
たとえばものを理解したとき、又別の境地に至った時、もとの場にいながら、そこを抜け出るような感覚がある。「概念を重たく被り耐えている」という4番歌と対称的に「するすると世界を抜けてゆく」とは、実際の伸びとそれ以上の意味を込めていよう。「川の辺」という場、「白く」「佇つ」という様を想像すると、きのこの傘が旅にあるものの笠のように思えて漂泊者めいた感じがする。(慧子)
(当日意見)
★面白い歌ですね。(真帆)
★松男さんが歌いたいものは「いつもこちら側にいる自己同一的実体的作歌主体にとどまっている
かぎり不可能」なんですから、そこから出ている歌を理屈で考えても分からないですよね。映像
としてこの世界を抜けていく茸を思い浮かべると私は楽しいです。三途の川だかわからないけど
川のほとりに今宵は佇んでいて、明日は彼岸に行くのかもしれない。傘を旅人の笠に見立てるの
は面白いし漂泊者というのは一つの興味深い捉え方だと思いますが、作者の意図はもうすこし違
う気がします。私はこの茸は一本か集団か迷いましたが、無数の集団でするするとこの世界を抜
け出ていく動画が見えるような気がしました。どこにも集団とは書いてないですけど。(鹿取)
★茸は繁殖力が強くていろんな所に出ちゃう。芝生の中とかに出ちゃう。本当だったら森の中に生
えているはずの茸が、意外にも川のほとりに立っている。(T・S)
★そういう茸、よく見ますね。納得です。(慧子)
★確かに思いもよらないところに茸はポッと生え出てくるんだけど、「在ることの不思議、無いこ
との不思議」を詠いたい人にとって、彼が詠いたい事はそれではない。文字通り、茸はこの世界
を抜け出すのでしょう。でも私は作者ではないので、意図が全然見当も付かなかったりします。
松男さんの歌の本質的なところは掴めないんだけど、でも面白いから読みたい。作者には迷惑
でしょうが、ごめんなさいと思いつつ読んでいます。(鹿取)
(後日意見)2019年5月追加
かくしてきのこは汚れた世界から脱出してとうとうと白く流れる川のほとりに屹立する。きのこがすべての生物の存在を代表するのである。(鶴岡善久)
「森、または透視と脱臼」(「かりん」2000年2月号)
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