かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

清見糺の一首鑑賞 233

2022-10-18 16:44:57 | 短歌の鑑賞
     ブログ版 清見糺の短歌鑑賞    
                  鎌倉なぎさの会  鹿取 未放


233 道などは聞かずともよし夕星のおんなに逢いてあした死ぬ身は
       2003年7月作

 232番歌の「せいしんがだらくしたからガンじごくにおちたのだろう 汝(な)はあどか思(も)う」と同時期の作なので、セットになる歌だろう。論語の「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を下敷きにしていて、論語同様「夕」と「あした」が対になっている。「夕星」は宵の明星をいう語だが、夕方西の空に出るところから「夕星のおんな」は、晩年になって出会った女をいうのだろう。ところで、一読見逃しそうだが「逢い」は古歌同様、単に顔を見るだけのことを言っているのではなく、メイクラブのことである。そう考えると、「道などは聞かずともよし」と考える作者の気分は、がぜん説得力をもってくる。
 古歌の「逢ふ」や「見る」がほとんどメイクラブのことであるのは自明のことだが、有名な例を三首だけ引いておく。いずれも、『新々百人一首』(丸谷才一)に載る歌である。
  逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり 藤原敦忠
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき 小野小町
  夢(いめ)の逢ひは苦しくありけり驚きてかきさぐれども手にも触れねば 大伴家持

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