かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 233

2024-04-02 08:58:56 | 短歌の鑑賞
 2024年版 渡辺松男研究28(15年6月実施)
    【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)97頁~
   参加者:S・I、泉真帆、M・K、崎尾廣子、M・S、鈴木良明、
       曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:曽我 亮子 司会と記録:鹿取 未放


233 水道管を水はひたすら走りきて君の素足へほとばしりたり

       (レポート)
 この歌も暗喩で歌われており、射精管を精液がいちずに走り降りて君のはだしに勢いよく飛び散ってしまった…。(曽我)


      (当日意見)
★曽我さんが解釈してくださった通りだろうなとも思うのですが、やはりこれもさっき
 の欅の歌(けやき巨樹はずかしげなき図体の全裸は春の朝焼けのなか)と同じで、そ
 のままにも読めて、水道管を迸ってきた水が君の素足にばーんとかかる、それを見て
 この水は水道管をひたすらに走ってきたんだなと感じた。(真帆)
★私は泉真帆さんの説に賛成です。曽我さんの感じも分かるけどそれをもろに言っちゃ
 うと恥ずかしいじゃないですか。素足に対して水が走ってきたというのは、その素足
 が魅力的だからですよ。水を主体にしていて単純な歌ではない。(鈴木)
★私は曽我さんにこう書かれるまで、性愛の歌だとは思っていませんでした。まあ、曽
 我さんのように読めなくないけど、素足に迸る水というだけで清冽な感じがあるし、
 美しいなまめかしい素足が想像できます。谷崎の「鍵」でしたっけ?エロテックに素
 足が強調して描かれていますよね。これはあくまで恋人の素足に迸る清冽な水の歌
 で、清楚な印象を受けました。ひたすら走ってきた水というのは、「君」に対する切
 実な希求の思いではないでしょうか。(鹿取)



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