女に冷たい女
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デンマンさん、上の写真のジューンさんが「女に冷たい女」だと言うのですか?
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いや。。。違いますよ。 氷河を背景にジューンさんが写っているので上のタイトルの写真としてふさわしいと直感的に思って貼り付けたまでです。 ジューンさんは女に対しても男に対してもあったか~い女です。
。。。で、「女に冷たい女」って、いったい誰のことですか?
次の小文を読んでみてください。
女に冷たい女性作家
歴史を書いて40年になるが、昔から非難されてきたことが一つある。 それは、私という作家は同性に対して冷淡で、女の立場になって書かないというのだ。...女の作家ともなれば同性を書くほうが商業的に有利であるというのは、出版界の常識であるらしい。 実際、そう主張する編集者の意見を容れて書いた最初の作品は『ルネッサンスの女たち』だから、女が女を書くのが私のデビュー作ではあったわけだ。 だが、商業的には有利であろうと、その路線は第一作のみで捨てた。
なにしろ、中世のイタリアも古代のローマも、男たちの時代なのである。 男の世界での女は所詮は脇役で、歴史の脇役を書きつづけているといずれはゴシップに落ちる。 処女作だけは女たちを書く理由を、歴史の脇役を通して時代を書く、ということに見つけて自分を納得させたが、それで以後もつづけるにはやはり限界があった。
というわけで二作目からは男に乗り換えたのだが、その理由は、男の時代だから男たちを通してそれを書く、ということに加えてもう一つ、あまり自慢にならない本音もあったのである。
それは、女の胸のうちを巧みに書くという評判の男性作家がいるんだから、男の思いに迫る女性作家がいたっていいんじゃない、というものだ。
とはいえ所詮は女の世界に興味がもてないというにすぎなく、一億円出すといわれても、女たちの間で繰り広げられる嫉妬や羨望やその他もろもろの感情について書くことだけは、私には無縁でありつづけるだろう。
作家は絶対に、書く対象に影響される。 対象に乗り移るくらいの想いで対さないかぎり、それを書ききることはできない。 私の場合は、自分自身が女なのに、わざわざ他の女に乗り移るほどの情熱を感じないということなのかもしれない。 また、男たちは業績で評価している以上、女に対してもそれと同じ基準で評価したい、というのが私の考え方でもある。
というわけで私が下した評価が冷淡だったと非難された歴史上の女たちの中での典型が、クレオパトラだった。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
29 - 31ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
つまり、塩野七生さんが「女に冷たい女」だと言うのですか?
いや。。。僕が言っているのではなくて、塩野さんの読者や批評家の中に、そのように言っている人が居るということですよ。 それに対して塩野さんが弁解のために書いたのが上のエッセーですよ。
それで、デンマンさんは、どう思っているのですか?
塩野さんは女に対しても男に対しても冷たい女ではないかと僕は思っているのですよ。 うへへへへへへ。。。。
このような時に笑っている場合ではないでしょう!? どうして男性にも冷たいと思うのですか?
いや。。。僕がそう思っているというよりも次の小文を読むと、そう思いたくなるのですよ。
叩かれる塩野七生
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塩野七生が文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい、ということは薄々知らなくはなかったが、実態はかなり酷かったのだなと思う。 塩野自身はずっとイタリアにいたからわれ関せず、という風情だったようだが、日本にいたら相当きつかっただろうと思う。いくら叩かれても全然めげないから叩く側はよけい憎悪を募らせていたんだろうけど。なんかこういうところは日本人の本当につまらない情けない部分だなと思う。
塩野によると、デビュー当時は哲学なら田中美知太郎、歴史学なら林健太郎、会田雄次といった大先生方に認められていて彼らがいる間は大丈夫だったのだが、80年代から90年代にかけて、その下の世代が学会に主流になったら大変だったのだという。『マキャベッリ全集』を出すので月報を書いてほしいと依頼が来て、OKを出したら訳者の学者たちが塩野が書くなら我々は書かないと言い出して、結局塩野が降りたのだという。
またNHKでウフィッツィを取り上げるときに案内役をしてくれと頼まれてこれも引き受けたら、ルネサンス関係の学者たちが塩野が案内役なら自分たちは以後協力しないと言い出したのだそうだ。あまりのケツの穴の小ささに腹を抱えて笑い飛ばしたくなる。(卑語失礼)
(中略)
マルクス主義が影響力を持つ時代が終わってしまって、学者としてのアイデンティティが研究方法の次元で問われる時代に突入した。
結局、そのアイデンティティは研究のディテールに認めるほかなくなってしまった。だから、研究対象をなるべく細分化して、他の領域には手を出さないという、一言で言ってしまえば、タコツボ型がはびこったということだと思います。
これは、ルネサンスとかローマ史とか、つまり学者自身のイデオロギーがほとんど問われない分野においては全くその通りだと思う。
近現代史ではまだまだマルクス主義とは言わないまでもイデオロギー的な部分が幅を利かせているが、それ以前の歴史学では趣味オタクの世界に近づきつつある一面は否定できない。そうなるとオタクの特性であるディテールへの異常なこだわり、異分子への排他性などが悪い形で噴出し、実社会においてもてはやされる塩野七生など最も叩きごろの存在になるだろう。
もう一つ三浦の指摘で面白いと思ったのは、塩野が小林秀雄の影響を受けているといっていることだ。塩野自身は「?」という感じだが、小林が「歴史は神話である」、と言っているのを受けて塩野が「歴史は娯楽である」と言っている、と三浦は解釈しているわけだ。
(中略)
塩野は確かにそういうふうに歴史と言うものを書いているから、逆に学者からすれば自分たちのやっていることの存在意義を脅かされるような、馬鹿にされているような感じがしてしまうのも分らなくはない。
しかし、その違いを制度としての学問にこだわるか、人間存在そのものを問うために学問を使うと言う立場に立つかの違いだとするならば、私はやはり後者の立場に立ちたい。その方が生きてて面白いと思うんだけどなあ。
(注: 赤字はデンマンが強調。
イラストはデンマン・ライブラリーより)
出典: 『塩野七生が叩かれる理由』
(2008年4月4日)
『イタリア夫人』に掲載
(2011年8月16日)
つまり、塩野七生さんが文学の方面や歴史学の方面の男性から叩かれているのは塩野さんが「男にも冷たい女」だからだとデンマンさんは断定なさるのですか?
いや。。。僕は断定していませんよ。 上の文章を書いたブロガーがそのように示唆している。 僕も上の文章を読んでからネットでいろいろと調べてみたのですよ。
何か確証になるようなものでも見つけたのですか?
見つけましたよ。 YouTubeに興味深いクリップがあったので、ここに貼り出します。 小百合さんもじっくりと観てください。
(デンマン注: 残念ながらオリジナルのクリップはアカウントがなくなって
再生できないので変わりにこのクリップを貼り出しました)
これを見ると分かるのだけれど、塩野さんにインタヴューしている男性の解説者が「今までインタヴューしたうちで最も緊張した」と言っているのですよ。 つまり、インタヴューした解説者は「塩野さんは男を身構えさせるだけの理論武装をしている」と言おうとしたと思うのですよ。
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塩野七生が文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい、ということは薄々知らなくはなかったが、実態はかなり酷かったのだなと思う。
塩野自身はずっとイタリアにいたからわれ関せず、という風情だったようだが、日本にいたら相当きつかっただろうと思う。
要するに、インタビューした解説者も塩野さんが日本で文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれている人だと知っていたのだと思いますよ。
それで塩野さんにインタヴューする時に、解説者は今まで以上に緊張したとデンマンさんは思うのですか?
その通りです。
それで、デンマンさん自身は、どう思っているのですか?
あのねぇ~、上の新潮文庫の宣伝写真の中に「歴史は所詮は人間だ」と書いてある。 まず間違いなく塩野さんも、そう考えて歴史を書いているのだと僕は信じている。 でもねぇ~、塩野さんはそう考えているかもしれないけれど、僕には彼女が本の中で人間を書いているとは思えない。
人間を書いていないということは、塩野さんは歴史の本の中で何を書いているのですか?
実は、僕は以前、戦争と平和の記事の中で次のように書いていた。
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みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。 ごぶじにおかえりになったでしょうか。 それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。 また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。 いまやっと戦争はおわりました、 二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。
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1945年3月の東京大空襲で
焼け野原になった江東区。
こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。 何もありません。 ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
(中略)
そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。 これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。 (中略) しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。 日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。 世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、自分の言い分をとおそうとしないということをきめたのです。 なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。 また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。
ここでは、「日本はただしいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。 世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」と述べられている。 つまり、当時は、第九条をはじめとする日本国憲法は、「日本の誇り」とされていたといっていい。 戦争に負けて、科学力でも経済力でもアメリカに勝てない国だけど、憲法だけは自慢できる、というふうに。
たとえば1947年5月3日に日本国憲法が施行されたとき、各新聞の社説はこんなふうに述べている。
「敗戦後の現在にあって、われら国民が自信を持って内外に示しうるものが果たしていくつあるか。 新憲法こそややもすれば目標を見失いがちな国民にはっきりと行先を教え、世界に偽りもひけめも感じることなしに示し得る最大のものであろう」(日本経済新聞)、「(第九条は)決して単なる“敗戦の結果”ではなく、積極的な世界政治理想への先駆なのである」(読売新聞)、「これからの日本の国家綱領であり、同時に基本的な国民倫理である」(毎日新聞)。 ざっとこんなぐあいだ。
107 - 110ページ 『日本という国』
著者: 小熊英二
2006年3月30日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社
デンマン注:写真とイラストはデンマンが貼り付けました。
強調のための赤字もデンマンが施(ほどこ)しました。
これを読むと僕などは当然のことじゃないか! と思うのですよ。 でもねぇ、最近では自分の国を武装して自分の国を守ろうとしない日本人を「自虐史観に縛られている国民」だと考える人が増えてきているらしい。
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要するに「自虐史観」に陥(おちい)ると陸軍も海軍も空軍も捨ててしまう。 それではいけないと言って、武器を取ってみんなで日本の国を守るんだという考え方をする人が増えていると言う訳ですよ。
(jigyaku6.jpg)
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あらっ。。。こういうポスターまで作って日本を再軍備しようとする人たちが居るのね?
そうなのですよ。 しかも戦争中の苦しみを知っている作家の中にも戦争放棄を考えない人もかなり居る。 例えば僕が「戦争の箱庭作家」と呼ぶ塩野七生さんは次のように書いている。
『地球の平和』より
(2011年8月9日)
つまり、塩野さんは人間を書いていると言うけれど、実は「人間不在の歴史」を書いている、とデンマンさんは見ているのですか?
その通りですよ。
“文は人なり”
昔の人はこのような事を言ったのですよ。 塩野さんの本を読むと個人的なエピソードはほとんど書いてない。 歴史の本を読んだり、歴史資料を読んだりして塩野さんのオツムの中で人間を書いている。 でも、現実の人間関係、つまり、血の通っている人間が塩野さんの歴史の中には、ほとんど感じられないのですよ。 だから、共感するものが少ない。
例えば、どのようなところですか?
ちょっと次の小文を読んでください。
クレオパトラは浅薄な女
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クレオパトラは、世界史上の有名人である。 当代きっての権力者二人までも、モノにした女であるということで。 そのうえ、強大なローマ帝国に刃向かったということでも。
だが私には、勝負に打って出るという度胸に対してならば共感しても、それ以外では浅薄な女にしか見えなかった。
しかし、歴史に名を残した女たちの多くはバカな女である。 その理由は、記録を残すのが男たちであったからではないかとさえ思っている。
男は、女としては魅力豊かでもオツムの中は浅薄な女を書いているほうが、安心できるからではないだろうか。
キャリアウーマンを自認する女たちは覚えておいたほうがよい、これが人間性の現実なのである。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
34ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
この上の文章がどうだと言うのですか?
あのねぇ~、“文は人なり”と書いたけれど、上の文章だけでなく、僕は塩野さんの他の本も5冊ほど読んでみた。 特に『日本人へ (国家と歴史篇)』を2度読んで感じたのは、塩野さんは離婚しているに違いないということだったのですよ。 なぜなら、「これが人間性の現実なのである」と書いている。 塩野さんは「女」や「男」にこだわっているけれど、「人間」を理解しているようには思えなかった。 本を読む限り結婚して子供が居るようだけれど離婚したとは書いてない。 それで、僕は『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみた。
塩野七生 (ななみ)
生誕 1937年7月7日
東京市滝野川区
出身校 学習院大学
日本の小説家である。
歴史小説 『ローマ人の物語』の著者として知られる。
名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。
父親は詩人・小学校教師の塩野筍三(1905-84)、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好き。
日比谷高校時代は庄司薫、古井由吉らが同級生だった。
学習院大学の学生だった1960年には安保闘争に参加し、デモ隊の中に塩野もいた。
1970年代にはイタリア共産党に関する文章も書いているが、後に保守派に転向している。
1963年からイタリアで学び、1968年に帰国すると執筆を開始。
『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。
1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。
ローマ名誉市民を経てイタリア人医師と結婚(後に離婚)。
息子は、後に共著を書くアントニオ・シモーネ。イタリア永住権を得ており、ローマに在住。イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。
チェーザレ・ボルジアやネロ、ドミティアヌスのような血統と魅力、能力に恵まれた男性権力者、特にカエサルを支持しており、政治家としての理想像はカエサルであると公言している。
また、現代の政治家として(血統に恵まれてはいないが)トニー・ブレアを高く評価しており、その理由として「誠心誠意、言葉を尽くし訴える姿勢」を挙げている。
ローマ帝国前期の「小さな政府」を理想としており、直接的に小泉構造改革を支持していた。
1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。
『文藝春秋』で巻頭エッセイ「日本人へ」を執筆。
(注: 赤字はデンマンが強調)
出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
案の定、離婚しているのですよ。
つまり、離婚しているから塩野さんは「人間」を理解していないとデンマンさんは断定するのですか?
いや。。。そのような事を言うつもりはない。 ただ「人間」を深く理解していないことが離婚した一つの原因になったのだと僕には思えたのですよ。
どうして。。。?
あのねぇ~、感性と共感の問題ですよ。 塩野さんは次のようにも書いていた。
二度と負け戦はしない
(atombomb.jpg)
憲法では戦争をしないと宣言しています、なんてことも言って欲しくない。
一方的に宣言したくらいで実現するほど、世界は甘くないのである。
多くの国が集まって宣言しても実現にほど遠いのは、国連の実態を見ればわかる。 ここはもう、自国のことは自国で解決する、で行くしかない。
また、多くの国が自国のことは自国で解決する気になれば、かえって国連の調整力もより良く発揮されるようになるだろう。
二度と負け戦はしない、という考えを実現に向かって進めるのは、思うほどは容易ではない。
もっとも容易なのは、戦争すると負けるかもしれないから初めからしない、という考え方だが、これもこちらがそう思っているだけで相手も同意してくれるとはかぎらないから有効度も低い。
また、自分で自分を守ろうとしないものを誰が助ける気になるか、という五百年昔のマキアヴェッリの言葉を思い出すまでもなく、日米安保条約に頼りきるのも不安である。
(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーより)
221 - 222ページ
『日本人へ (国家と歴史篇)』
著者: 塩野七生
2010年6月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 文藝春秋
『地球の平和』に掲載
(2011年8月9日)
あのねぇ~、僕は個人的には塩野さんに恨みだとか憎しみの感情は持っていないのですよ。 むしろ、彼女の出世作とも言える『ルネッサンスの女たち』はマジで楽しく読んだ記憶があります。
。。で、「二度と負け戦はしない」が問題なのですか?
そうですよ。 人生経験から起因する感性の違いだと思うのですよ。 こればかりは十人十色だからどうしようもない。
。。。で、デンマンさんの感性とは。。。?
次の小文を読んでみてください。
終戦時の悲話
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アメリカの空襲を受けて、東京をはじめ都市部はどこも焼け野原。
おまけに政府は戦争を続けるために国債を大量に乱発していたので、敗戦直後はものすごいインフレになった。
物価は数十倍になって、戦前に貯めていた貯金や財産は無に等しくなった。
おまけに空襲で家をなくし、人びとは食糧不足で苦しんだ。
(koutou-ku2.jpg)
1945年3月の東京大空襲で
焼け野原になった江東区。
「約310万人が死んだ」とか簡単にいうけれど、一人の人間が死ぬことは、遺族や縁者に、大きな傷を残すことだった。
作家の夢野久作の長男だった杉山龍丸という人は、敗戦直後に復員事務の仕事に就いていたときのことを回想して、こう述べている。
「私達は、毎日毎日訪ねてくる留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた」。
「留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった」。
杉山はある日、小学校二年生の少女が、食糧難で病気になった祖父母の代理として、父親の消息を尋ねにきた場面に出会った経験を、こう書いている。
私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島(フィリピン)のルソンのバギオで、戦死になっていた。
「あなたのお父さんは---」
といいかけて、私は少女の顔を見た。 やせた、真っ黒な顔。
伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。
私は少女に答えねばならぬ。
答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。
「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです。」
といって、声がつづかなくなった。
瞬間 少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。
(girl14.jpg)
…しかし、少女は、
「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。 おとうちゃまが、戦死していたら、係りのおじちゃまに、おとうちゃまが戦死したところと、戦死した、ぢょうきょう(状況)、ぢょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの。」
私はだまって、うなずいて……やっと、書き終わって、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。
涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。
肩に手をやって、何か言おうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血が出るようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。
私は、声を呑んで、しばらくして、
「おひとりで、帰れるの。」と聞いた。
少女は、私の顔をみつめて、
「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。 だから、行けるね、となんども、なんども、いわれたの。」
…と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。
私は、体中が熱くなってしまった。 帰る途中で私に話した。
「あたし、いもうとが二人いるのよ。 おかあさんも、しんだの。 だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。 あたしは、泣いてはいけないんだって。」
…と、小さな手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。
どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、何が出来るのか?
(注: 写真とイラストはデンマンライブラリーから貼り付けました)
84 - 88ページ 『日本という国』
著者: 小熊英二
2006年3月3日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 理論社
『漫画家の壁』に掲載
(2011年3月10日)
この文章を読んだら「二度と負け戦はしない」じゃなくて「二度と戦争はしない」という気持ちになると思うのですよ。 しかも、塩野さんは 1937年生まれだから、ちょうど上の文章の中の女の子と同じ世代なのですよ。
つまり、塩野さんの感性が太平洋戦争を経験して「二度と負け戦はしない」という受け止め方に表れているとデンマンさんは思うのですか?
そうですよ。 一方、塩野さんと同じ世代である上のエピソードの中の「女の子」が現在生きていたら、まず間違いなく「二度と戦争はしない」と主張すると僕は思いますね。
初出: 2011年8月20日
【卑弥子の独り言】
(himiko22.gif)
ですってぇ~。。。
そうですよね。 確かに塩野七生さんの感性はユニークなのかもしれませんわ。
でも、感性は十人十色です。
違っていて当たり前だと思うのでござ~♪~ますわ。
ただし、日本に住んでいるとユニークな感性を持ち続けることはとても難しいと思いますう。
「長いものには巻かれろ」
「出る釘は打たれる」
このような諺もござ~♪~ますわ。
どうしても、周(まわ)りの見方考え方が気になるのですわ。
そのような雰囲気の中で塩野さんがユニークな感性で文章を書けば、当然、文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれるかもしれません。
あなたは、どう思いますか?
とにかく、次回も、ますます面白くなりそうですわ。
あなたも、どうか、また読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。
(hand.gif)
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ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
実は、デンマンさんの記事の中にカイロで
クレオパトラに出会ったというお話があるのですわ。
もちろん、生まれ変わりなどという事を
あなたは信じないでしょう!?
わたしだって信じていませんわ。
それなのにデンマンさんは
真面目になって話しているのですわ。
どうですか?
読んでみたいと思いますか?
「これが人間性の現実なのである」と書いた
塩野七生さんに対して
実際には、血の通った人間を塩野さんは
歴史の本の中で書いていないのではないか?
デンマンさんは、そのように言ってましたけれど、
では、デンマンさんは人間を理解した上で
クレオパトラを書いているのでしょうか?
関心があったらぜひ次のリンクをクリックして
読んでみてください。
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(2011年1月27日)
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ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら覗いてみてくださいね。
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では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。
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