婚外恋愛と人間失格(PART 1)
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「婚外恋愛継続時における男性の
恋愛関係安定化意味付け作業---
グランデッド・セオリー・アプローチ
による理論生成」
松本健輔 2010年
『立命館人間科学研究』 21
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ご存じだろうか?
日本人既婚男性における浮気経験者は、50.8%と、半数以上におよぶということを!
この数字、多いのだろうか?
それとも少ないのだろうか?
私は多い気がするのだが。
いきなり衝撃的な数字から入ったが、浮気や不倫、要するに「婚外恋愛」がこれだけ多いというのはどうやら事実らしい。
独身の私にとって、まったくもってうらやましい限りである。
すでに結婚している上に、さらにそれ以外の女性とそういうことになっているなんて、私からしたらエベレストに登頂した跡に、月面に着陸するくらいのミラクルとしか思えないのだが、実際にそういうことを成し遂げている男たちがいるらしい。
(中略)
(3) 婚外恋愛は「栄養剤」!
彼らは婚外恋愛を、みな一様に「栄養剤」だと思っているらしい。
栄養剤?
よく言うよ、こちとら文字通りの栄養剤すらロクに買えない貧乏芸人なのに……。
気を取り直して、栄養剤とはどのようなことを指すのかというと、次の4つ。
「性的要因」
「いつもと違う役割と体験」
「ドキドキ」
「成長」
成長だぁ?
ふざけるな!
などと、いきり立ってしまう童貞力高めの男子は、一生婚外恋愛などしないほうがいいのだろう。
私情はさておき、ここは彼らの話に耳を傾けよう。
たとえば、「いつもと違う役割と体験」というところでのエピソードである。
「彼女が運転する車にのったときは、幸せだと思った。
今まで付き合ってきた人って車の免許持ってなかった人が多くて、(略) ところが彼女は運転をバリバリこなすっていったら変だけど、一緒に乗って、別の空間ていうか、新しい空間ていうのを感じましたね」
こんなこと言ってみたい!
家には愛する奥さんがいて、外にはドキドキさせてくれる愛人がいて、しかもその愛人が運転する車の助手席に乗れるんだなんて!
幸せですってそりゃ!
そりゃ栄養剤だわ!
しかも、このエピソードを読んで、私の頭のなかに浮かんだのは、次のような情景だった。
車は赤いBMW。
それを運転するのは、20代半ばから30代前半のサングラスをかけたナイスバディのキャリアウーマン。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
37-38、 45-46ページ 『ヘンな論文』
著者: サンキュータツオ
2015年6月25日 初版第2刷発行
発行所: 株式会社KADOKAWA
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デンマンさん。。。 今日も“婚外恋愛”ですか?
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いけませんか?
だってぇ~、2月17日にも“婚外恋愛”というタイトルで記事を書いたばかりではありませんかァ~!
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■『婚外恋愛』
確かに2月17日に『婚外恋愛』というタイトルで記事を書きました。。。 でも、今日のタイトルは更に“人間失格”を追加したのですよ。
つまり、“婚外恋愛”する人たちは“人間失格”なのですか?
いや。。。、別にそういうつもりでタイトルを書いたわけではありません。
じゃあ、どういうつもりなのですか?
その前に、まず太宰治の作品を読んでみてください。
人間失格
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ヒラメから、なにか将来の希望があるかと聞かれ、画家だと答えたときの、首をちぢめて笑ったヒラメの顔の、いかにもずるそうな影を忘れることができません。
自分はヒラメの家を出ました。
新宿まで歩き、途方にくれました。
だれとも付き合いがない。
どこへも訪ねて行けない。
自分にとってたった一つの頼みの綱は、あの堀木なのか、と思い知ったら、なにか背筋に寒くなるようなすさまじい気配に襲われましたが、堀木を訪ねることにしました。
堀木は在宅していました。
彼には女性の訪問客がありました。
彼女はシズ子といって、雑誌社に勤めており、依頼したカットを受け取りに来たようでした。
そこへ、ヒラメからの電報が来ました。
家を出た私にすぐ帰るようにという内容で、堀木もすぐに帰るように不機嫌に言い渡します。
(中略)
(シズ子の家で)初めて男めかけみたいな生活をしました。
シズ子が新宿の雑誌社に勤めに出たあとは、自分とシゲ子という5つの女児と二人がお留守番です。
シズ子の取り計らいで、自分は故郷からまったく絶縁せられ、シズ子と「天下晴れて」同棲ということになり、これまた、シズ子の奔走のおかげで自分の漫画も案外お金になって、お酒もたばこも買いましたが、自分の心細さ、うっとうしさはいよいよつのるばかりなのでした。
2晩続けて外泊した3日目の晩、シズ子の部屋の前まで来ると、シズ子たちの幸福そうな笑い声が聞こえました。
自分が、ドアを細く開けて中をのぞいて見ますと、うさぎの子を遊ばせています。
(幸福なんだ、この人たちは。 自分という馬鹿者が、この二人の間に入って、今に二人を滅茶苦茶にするのだ。)
そっとドアを閉め、それっきりアパートには帰りませんでした。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
『人間失格』より
あのねぇ~、この作品は常に読者へのサービスに努めてきた太宰が、初めて自分のためだけに書いた作品なのですよ。。。 内面的真実の自叙伝であるとされているのです。 後半は作者の自殺以後に発表されました。 人間の弱さと罪の意識に苦しみ、孤独と愛と信頼を求めようとして、社会から葬られ、敗北していく過程を描いたものだと言われています。
要するに、「人間失格」と思い定めた男の手記なのですわねぇ~。。。
そういうことです。
とにかく、デンマンさんは どういうわけで“婚外恋愛”と“人間失格”を並べたのですか?
あのねぇ~、太宰は自分自身の“ものさし”で自分が“人間失格”だと決め付けたわけですよ。
どうして、デンマンさんはそのように思うのですか?
だってぇ~、太宰治以上に。。。 いや、太宰治よりも もっとひどい人間が。。。 つまり、人間以下の人間でも、自分を“人間失格”だと思わずに、のほほんと生きている人たちは日本にたくさんいますよ。
例えば。。。?
たとえば、人間の弱さと罪の意識に苦しみ、孤独と愛と信頼を求めようとして頑張っても、結局、何もかも失ってぇ。。。 社会から葬られ、敗北してホームレスになった人たちでも、自分を“人間失格”だとは思わず しぶとく雑草のごとくホームレスとして生き続けている人たちはたくさんいますよ。
要するに、デンマンさんの“ものさし”では“ホームレス”の人たちは人間失格なのですか?
いや。。。 “人間失格”であるのか? どうか? それを決めるのは、その人自身の判断基準によっているのですよ。。。 最高裁判所にも“人間失格”であるのか? どうか? それを判定するための法律はないのですよ。
確かにそうですわ。
厳密に言えば、人間は誰もが人間失格ですよ。
どうしてですか?
だってぇ~、 Nobody is perfect! ですからね。。。 要するに、人間は神様と違って不完全なものですよ。。。 人間は誰もが欠陥や欠点を持っている。。。 完璧な人はいない!。。。 だから、厳密に言えば、人間は誰もが“人間失格”なわけですよ。
それは、ちょっと厳しすぎる見方ですわ。。。 神様が100点で。。。、人間は完璧でないから100点は取れない!。。。 だから、“人間失格”だと決め付けたら、すべての人間は100点が取れないのだから、すべての人間は“人間失格”になってしまうじゃありませんかァ!
だから、“厳密に言えば”の話ですよ。。。 普通は、60点以下の人間が“人間失格”だと思うかもしれません。。。 でもねぇ~、人間は自分勝手だから、客観的に見てその人が40点でも、その人本人は自分が落第点をとったと思わずに、のほほんと生きている人たちはたくさんいますよ。
要するに、デンマンさんが言いたいのは、太宰治は65点を取って合格点に達していたにもかかわらず、自分を“人間失格”だと思い込んで心中してしまったと言うのですか?
早い話が、そういうことだと思うのですよ。。。 太宰治以外にも、そう思う込んで心中した人がいた。
それは、誰ですのォ~?
すでに記事で書いたので小百合さんも読んでみてください。
あんさんは『失楽園』を全部観やはったん?
いや。。。全部観ることができへんかったァ。
なんでぇ~。。。?
恥ずかしうなってしもうたのやがなァ。
どうして。。。? ああっ。。。わかったァ~! つまり、バンクーバー図書館でDVDを観たさかいに、男女の絡み合いのシーンで周(まわ)りの人たちが寄って来たのやねぇ~。。。それで、あんさんは恥ずかしくなってしもうたのやねぇ~。。。?
ちゃうねん。。。誰も寄ってきやへんかったでぇ~。
それやのに、どうしてあんさんは恥ずかしくなりはったん?
始まりが1980年代の安っぽいアダルトビデオのようやったのやァ!
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失楽園 (1997) 予告篇
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「至高の愛の瞬間のまま死ねたら」という凛子の願いに共感するようになった久木は、誰にも告げず、二人でこの世を去ろうと決意する。
雪深い温泉宿へ向かった久木と凛子は、生命を絞るように激しく求め合ったまま、互いに毒の入ったワインを口にした。
後日発見されたふたりの心中死体は、局所が結合したままの愛の絶頂の瞬間の姿であった。
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正直なところ、ウィキペディアでの上の箇所を読んだ時に、わては映画から多くのことを期待するのは無理やと思うたでぇ~。。。
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なんでぇ~なァ?
あのなァ~、赤字で強調した部分は、まるで『愛のコリーダ』の続きやんかァ。 わては『愛のコリーダ』が低俗やと言うつもりはあらへん。 あの映画は素晴らしい映画やと、わてはマジで思うとる。 そやけど、『愛のコリーダ』で描かれているモノは、ミーちゃんハーちゃんの野生の性愛なのやがなァ。 そやけど、有島武郎と波多野秋子はミーハーではあらへん。
理知的なインテリやと、あんさんは言わはるのォ~?
そうやァ。 有島武郎はハバフォード大学大学院、さらにハーバード大学で学び、社会主義に傾倒しホイットマンやイプセンらの西欧文学、ベルクソン、ニーチェなどの西洋哲学の影響を受けたのやでぇ~。 波多野秋子も阿部定とは違って理知的な人なのやがなァ。 大正元年(1912年)に実践女学校を卒業。 この時、英語塾経営者であった波多野春房(烏峰)と18歳で結婚。 秋子は春房の学費提供により女子学院英文科に入学して、大正3年に卒業してるねん。 それから青山学院英文科に入学しやはった。 大正7年(1918年)に卒業後、高島米峰の推薦で『婦人公論』の編集者となり、美人記者として活躍したのやがなァ。 『失楽園』は、明らかにこの二人をモデルにしている。 阿部定と石田吉蔵がモデルではあらへん。
それで。。。?
それやのに、『失楽園』は『愛のコリーダ』の続編になってるねん。 要するに、阿部定さんが新しいボーイフレンドを見つけ、第2の人生を得て、それも破綻して、後日二人は心中することになるねん。 それで 発見されたふたりの心中死体は、局所が結合したままの愛の絶頂の瞬間の姿であったと。。。 もし、モデルが阿部定であれば、これでもええねん。 そやけど、有島武郎と波多野秋子がモデルであれば、上のラストシーンはあまりにも低俗やんか! 現実には、有島武郎と波多野秋子は、そのような死体で発見されてはおらんのやでぇ~。。。二人は首吊り自殺をしている。
『失楽園』は失敗作やと、あんさんは言わはるのォ~?
わての目から見たら失敗作や。 わては魔女さんと同じような感想を持ったでぇ~。
渡辺淳一文学【失楽園】ブーム辺りから
不倫恋愛を婚外恋愛と美化するのは愚かしくも卑しく醜く感じます。
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失敗談を美談に置き換える計算なのか
大抵ブログで見掛けるのは他人様の夫や妻を摘み食いされる
又はするお馬鹿さん達が得意顔で記事を書いては自己満足か
自慰みたいな自己憐憫であり不自由な状況での欲求不満ばかりが目に付く。
奇妙な世の中よね。
辻褄合わない虚言夫婦話もあれば異常執着する話も有るけど、反面教師。
相変わらずお馬鹿な戯言を抜かすのも目に付いて
こんな日にこんな話題と読んで思わず笑ったわ。
可哀想にとね。
あぁは成りたくないと思うだけですけど。
つまり、あんさんが「10分間の失楽園」と言うのんは、10分以上観るに耐えない映画やと言うことやのォ~?
そうやァ。 わては10分観ただけで、それ以上は恥ずかしくて、どうしても見る気になれへんかったのやァ。 観てる者を恥ずかしくさせるような映画は良くないものやでぇ~。
そうやろか?
あの映画は台本があんじょうできてへんと思うのや。 台本が素晴らしいと下手な役者が演じても何とか観られるものやァ。 そやけど、台本が悪いと、どんなうまい俳優が演じても駄目になるねん。 あの映画に出てきた役者は、結構ベテランぞろいで、いい役者が多いねん。 惜しいことをしたと思うのや。
。。。で、あんさんが監督さんならば、どないな映画にするのォ~?
師であった内村鑑三が「この度の有島氏の行為を称えるものが余の知人に居るならば、その者との交流を絶つ」と言うたのやァ。 おそらく、有島武郎は師からそう言われるのを知っていたに違いない。 それなのにどうして心中を選んだのか? そこを映画で描くべきやったのやァ。 それが『失楽園』では『愛のコリーダ』の続編のようなものになってしもうた。 性欲不満をどうするか? というような映画になってるねん。
辞世の歌は次の3首。
○幾年の命を人は遂げんとや思い入りたる喜びも見で
○修禅する人のごとくに世にそむき静かに恋の門にのぞまん
○蝉ひとつ樹をば離れて地に落ちぬ風なき秋の静かなるかな
唐木順三の評では上の3首は「いずれも少女趣味以上ではない」となってるねん。
あんさんも、少女趣味以上ではないと思いはるゥ~?
いや。。。深い意味が上の3首の中には眠っていると思うでぇ~。 そやから、わてが映画監督なら、その深いものを映画の中で描くつもりやァ。
『10分間の失楽園』より
(2012年5月1日)
つまり、有島武郎も、そのお相手の波多野秋子も自分たちを“人間失格”だと思い込み、あの世だけに二人の幸福があると決めて心中したと、デンマンさんは考えたのですか?
そうです。。。 でもねぇ~、僕は二人とも死ぬことはなかったと思っているのですよ。。。 なぜなら、僕のものさしでは二人とも 60点以上を取っている。。。 人間的に落第してないのですよ。 それは太宰治についても言えることです。
その理由は。。。?
あのねぇ~、太宰は次のように書いているのですよ。
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2晩続けて外泊した3日目の晩、シズ子の部屋の前まで来ると、シズ子たちの幸福そうな笑い声が聞こえました。
自分が、ドアを細く開けて中をのぞいて見ますと、うさぎの子を遊ばせています。
(幸福なんだ、この人たちは。 自分という馬鹿者が、この二人の間に入って、今に二人を滅茶苦茶にするのだ。)
そっとドアを閉め、それっきりアパートには帰りませんでした。
太宰は二人の幸せを壊したくなかった。。。 つまり、自分の幸せだけを考えていたわけじゃない。。。
でも。。。、太宰も、有島武郎も、また波多野秋子も自殺してしまいましたわねぇ~。。。
だから、人間失格なのですよ!。。。 命は大切なものです。。。 そういうわけで、有島武郎の師である内村鑑三も「この度の有島氏の行為を称えるものが余の知人に居るならば、その者との交流を絶つ」と言っているのですよ。
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