愛のしずく(PART 1 OF 3)
あふれだすしずく
あふれだすしずく
夜に咲くはなびらは濡れる
花園に迷い込んだあなた
どうかわたしを見つけて
あなただけのために
美しく光を放つから
この声が届いたら
あふれだすしずくを
すくいとってください
by めれんげ
2010.01.28 Thursday 17:42
『即興の詩 あふれだすしずく』より
めれちゃん。。。なかなか、ええなあああァ~。。。
デンマンさん。。。あんさんは、マジでええと思ってくれはるのォ~?
マジやでぇ~。。。わては、めれちゃんをおちょくっているのでも、おだてているのでもないのやでぇ~。。。
でも、最近、わたしが何を書いても、あんさんは「ええなあああァ~」と言いますやんかァ。
めれちゃんは、わてに褒(ほ)められるのが嫌なのかァ~?
嫌ではありしません。。。そやけど、何を書いても「ええなあああァ~」と言われると張り合いがありませんがなァ~。
さよかァ~。
さよかァ~、と言う前にどこがええのんか言うてくれしまへん?
どこがええかってぇ~。。。、決まってるやないかいなァ~。
それが分からへんから、わたしはあんさんに聞いていますのやないかいなァ。
あのなァ~。。。、上の詩の後に、明らかに次のめれちゃんの詩が続くのやがなァ。うししししし。。。
濡れる身体
あなたの熱さを感じる
強く深く・・・
濡れる身体に
吐息が熱い
このままでいて
離れないで
あなたの中で
とけてしまいたい
もっと強く深く・・・
by めれんげ
2010.01.21 Thursday 11:10
『即興の詩 濡れる身体』より
『愛に濡れて…』に掲載
(2010年1月25日)
デンマンさん。。。あんさんは、やっぱり、分かっていましたん?
もちろんやがなァ~。。。めれちゃんとわては2004年の7月からの仲なのやでぇ~。。。かれこれ6年にもなるのやでぇ~。。。
その割には、あんさんは、まだわたしの願いをかなえてくれしまへんなァ~。。。
そんなことはあらへんでぇ~。。。こうして、めれちゃんの萌え萌えの詩をじっくりと味おうているやないかいなァ~。
そやかてぇ、それだけでは成熟した女は物足りませんのやでぇ~。。。
めれちゃんは、何を言うとるねん。。。
この声が届いたら
あふれだすしずくを
すくいとってください
めれちゃんのこの声が聞こえたから、わては、めれちゃんと、あんじょう睦まじく愛しおうたのやないかいなァ~。
さよかァ~。。。
なにかァ~。。。、今度はめれちゃんがとぼけるのかァ~?
そやかてぇ、そのような事はありまへんでしたでぇ~。。。
最近のめれちゃんは、物忘れが激しくなったのやなァ~。
失礼な事を言わんといてぇ~なァ。。。わたしは、まだ物忘れするような年ではありまへんのやでぇ~。。。失礼やわア~。。。
よやけどなァ~。。。、めれちゃんは、わての優しい腕に抱かれて幸せそうに次のようなことを言うたのやでぇ~。。。
あんさん!。。。いい加減にしいやァ~。。。、わたしがあんさんとネットで出会ってから、いったい何年待たせはったのォ~。。。?
そうやなァ~。。。? かれこれ6年になるなァ~。。。
そうですやろう?。。。だから、わたしの「おなか」の虫が鳴いたぐらいで動きを止めんといてぇ~なァ!
そやかてぇ~、めれちゃんのハラの虫が可哀相やがなァ~。。。もう5時間以上も何も喰わせていないのやでぇ~。。。
そ~言いながら、実は、あんさんが何か食べたいのやろう?
うへへへへへ。。。、やっぱり分かるかァ~?
あんさんの思うていることは、まるで手に取るように分かりますねん。
分かっているのに、わてに何も喰わせずにィ~、強く深く・・・、強く深く・・・と、リクエストしておるのんかァ~。。。?
あんさんが6年間も待たせたからですやん。んも~~。。。
めれちゃん、ムカついたらあかんでぇ~。。。ムカついたらロマンチックにならへんでぇ~。。。、わてだって腹が減ってぇ、しんどいのやでぇ~。。。
あんさん!。。。いつまでも、くだらない事を言うてないでぇ、黙ってくれへん?。。。それよりも、もう少し強く深く・・・、強く深く・・・、やってくれへん。。。?
さよかァ~。。。これでどうやァ。。。?
ええやんかァ~。。。とっても、ええやんかァ~。。。そのまま黙ってぇずっと続けてくれへん?うふふふふふ。。。
『愛に濡れて…(2010年1月25日)』より
デンマンさん。。。あんさんは、ロマンチックな場面やと思いはってるようやけどォ、これってぇ、喜劇になってしもうとるのやでぇ~。。。
いや。。。、そんなことあらへん。
何か根拠でもあるのォ~?
あのなァ~、「あずさ」が次のようなコメントを書いてたでぇ~。。。
エッチをしてる詩?
抽象的に書いてるけど、エッチしてることを想像してるね。
めれんげさんの頭には、エッチがかなりしめてるね(笑)
by (゜口゜;)うっ・・・・の「あずさ」
2010/01/17 3:25 PM
『即興の詩 しあわせがふえてゆく』のコメント欄より
『春を待つ裸女』に掲載
(2010年1月21日)
この上のコメントがどうやと、あんさんは言わはるのォ~?
めれちゃんの詩を読んで、「あずさ」は上のような感想を持ったのやがなァ~。。。つまりやなァ、決して喜劇やとは思っておらへんでぇ~。。。
それは、あんさんの茶化した対話を読んでないからやないかいなァ。
でもなァ~、仮に「あずさ」がわての茶化した対話を読まずに、めれちゃんの詩だけを読んだとして次のような感想を持つならば。。。、
めれんげさんの頭には、
エッチがかなりしめてるね(笑)
そやったら、あんさんはどうやと言わはるのォ~?
「あずさ」は、自分のことを言っているのやがなァ~。うへへへへへ。。。
どうして、急にそないな事をあんさんは言わはるのォ~?
あのなァ~。。。、わては、たまたま「フジ子・ヘミング」さんの本を夕べ読んだのやがなァ~。。。めれちゃんも有名なピアニストのフジ子さんのことを知っているやろう?
フジコ・ヘミング
ピアニスト
本名: Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming(イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング)
日本名:大月フジ子(12月5日生- 血液型:A型)
ロシア系スウェーデン人の画家・建築家のジョスタ・ジョルジ・ヘミングと、日本人ピアニストの大月投網子の間にベルリンで生まれる。
スウェーデン国籍
長らく無国籍の状態が続いた。
俳優大月ウルフは実弟。
幼少時代
5歳の時に日本に帰国。
当時、戦争への道にひた走り軍事色が濃くなる日本に締め出されるかのように、ほどなく父ジョスタは家族3人を残し、一人スウェーデンに帰国してしまう。
以来、母と弟と共に東京で暮らし、母、投網子の手ほどきでピアノを始める。
また、10歳から、父の友人であり、ドイツで母のピアノを師事したロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァーに師事。
以後、芸大在学時を含め、長年の間、クロイツアーの薫陶を受ける。
学生時代
小学校3年生の時にラジオに生出演し、天才少女と騒がれる。
青山学院高等部在学中、17歳で、デビューコンサートを果たす。
東京芸術大学在学中の1953年には新人音楽家の登竜門である、第22回NHK毎日コンクールに入賞をはたし、さらに文化放送音楽賞など、多数の賞を受賞した。
東京芸術大学卒業後、本格的な音楽活動に入り、日本フィルなど多数のオーケストラと共演。
かねてよりピアノ留学を望んでいたフジ子だったが、パスポート申請時に無国籍であった事が発覚する。
その後、留学の機会を伺いつつピアニストとして音楽活動を行っていたが、30歳の時に赤十字に認定された難民として国立ベルリン音楽大学へ留学を果たした。
優秀な成績で卒業後、ヨーロッパに残り各地で音楽活動を行うも、生活面では母からの僅かな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変貧しく苦しい状況が長らく続いた。
人間関係においても、日本でも外国でもどこに居ても外国人として疎外された。
フジ子は「この地球上に私の居場所はどこにもない...天国に行けば私の居場所はきっとある」と自身に言い聞かせていたと話している。
ヨーロッパでのピアニスト時代
その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事。
作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約した。
しかし、貧しさで、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったため、リサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われ、やっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃すという憂き目をみた。
既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたが、この時、左耳の聴力も失ってしまい、耳の病のためフジ子は演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなった。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後は、ピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。現在、左耳は回復してきている。
日本への帰国後のブレイク
母の死後、1995年に日本に帰国し、母校東京芸大の旧奏楽堂などでコンサート活動を行う。
1999年2月11日にNHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』が放映されフジ子ブームが起こった。
その後、発売されたデビューCD「奇蹟のカンパネラ」は、発売後三ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。
第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞した。
やがて1999年10月15日の東京オペラシティ大ホールでの復活リサイタルを皮切りに本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなる。
2001年6月7日にはカーネギーホールでのリサイタルを披露。
現在、ソロ活動に加え海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演と活躍は続く。
人物
ヘミングは菜食主義者、クリスチャンとして知られている。食物の中で特に好むのはじゃがいもであるとされる。
ピアノ演奏以外の趣味は絵画、裁縫、読書、水泳などで、バレエや映画の鑑賞も好んでいる。
絵に関しては幼少時から得意としており、今までに書き溜めた絵は本やCDのジャケットで使われている。
個展を開くこともある。
また愛猫家、愛犬家の動物愛護家ある。
語録
「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい」
「ぶっ壊れそうな鐘(ラ・カンパネッラの意)があったっていいじゃない、機械じゃないんだから」
「私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。」
「一つ一つの音に色をつけて弾いている」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『ちょっと心にしみる音楽の話(2009年11月27日)』に掲載
(La Campanella)
名前ぐらいは知ってますわ。。。で、そのフジ子さんの本がどうやと言わはるのォ~?
わては、次の箇所に感動したのやがなァ。
ヨーロッパには、すべての家主たちが住人とペットの同居を認めなければいけないという法律さえあるほどです。私は、日本も早くそうなればいいなと願っています。
なぜなら、それは動物のためだけではありません。
人生においてさまざまな挫折を味わいながら、さんざん涙を流してきた私が、1980年に猫を飼い始めてからは、泣くことをすっかり忘れてしまったのですから…。
ピアニストとしての私が今日あるのは、こうして引き取ってきた猫や犬の存在があるおかげだと思っているのです。
(中略)
長い長い海外生活を終えた私が、日本を新鮮な目で見たときに、あらためて日本人に対して、切に望むことがあります。秋祭りの頬被(ほおかぶ)りや、阿波踊りの美しい浴衣、商店街のピンク色の飾りや提灯(ちょうちん)…そうしたものをいつまでもなくさないでいてほしいということです。
上等で、高価で、そして上質なものには当然そのよさはあります。
ただ、値段が安いものの中にも、とても魅力的なものが存在することは覚えておいてほしいのです。
そして、それは野良猫だって、人間だって…。
135-139ページ 『耳の中の記憶』
著者: フジ子・ヘミング
2004年6月20日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社 小学館
写真はデンマンが貼り付けました。
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