ジプシーの謎(PART 1)
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ケイトー。。。急にジプシーを持ち出してきて、どういう風の吹き回しなのォ~?
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あのねぇ~、たまたま夕べ本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。
ナチズムの犠牲者
ナチスはジプシーを「反社会的な」人間と考えたばかりでなく、人種生物学の鑑定を受けなければならない混血人種とみなして非難した。
その結果ジプシーは、ドイツ国内のあらゆる種類の強制収容所に送られたばかりか、フランス国内でも収容所に抑留されることとなった。
(中略)
メンゲル医師は、私を実験台として選びました。
私は3回、兵士たちのために採血されました。
そととき私は、わずかばかりの牛乳と、一切れのパンと、ソーセージをもらいました。
その後メンゲル医師は私をマラリアに感染させ、私は8週間生死の境をさまよいました。
顔にまで、猛烈な悪臭が漂ってきました。
夢で私は司祭の姿を見ました。
というよりも、それは善良なる神ご自身の姿だったかもしれません。
神は私のところへやってきて、こうおっしゃいました。
「おまえは、死なない。 私が助けてやる」。
私はそれをはっきりと覚えています。
そしてそれは、私に対する貴重な贈り物だったのです。
助かるという確信が持てたのですから。
私はやせ細り、骨と皮ばかりになりました。
もう、誰も私の目を見ませんでした。
赤痢が原因で、私は厄介者でしかなかったのです。
手当てをしてもらえなかったので、腿の傷跡は大きく開いていました。
私は瀕死の人が集められたバラックにいました。
叔父のひとりも一緒でした。
そこで私は裏切り者のバロノの妻とふたりの娘に会いました。
彼女たちは私を助けるために自分を犠牲にしてくれました。
バロノの娘たちは、私を抱きかかえて別のブロックまで連れていってくれたのです。
残され人々は、それからまもなく死体焼却所へ送られました。
そのなかには、私の叔父もいました。
バロノの妻は自分がいるブロックに私をかくまい、ウクライナ人の医者を呼んでくれました。
彼女は私のために、生命の危険を冒したのです。
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ジプシーの収容所では非常に幼い子どもたちのために白パンが用意されていましたが、その白パンを2個、彼女は確保しました。
そのパンのおかげで、ウクライナ人の医者は別の収容所から、馬用の注射を手に入れることができました。
彼は、その注射を私にすべきかどうか、わかりませんでした。
しかし、私は治りました。
バロノの妻は、紙とニンニクと水を火にかけて煮て、私はそれを飲みました。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
142-143ページ 『ジプシーの謎』
著者: アンリエット・アセオ 訳者: 遠藤ゆかり
2002年11月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 創元社
あらっ。。。 こんな小さなジプシーの子どもたちまでがガス室に送り込まれて殺されてしまったのォ~?
そうなのですよう。。。 Holocaust (ナチスのユダヤ人虐殺) はデッチアゲだ!と言う人たちもいるけれど、ナチスが虐殺しようとした人たちはユダヤ人だけじゃなかったのですよね。
知らなかったわ。 ジプシーまでが虐殺の対象になっていたなんてぇ~。。。 ケイトーは知っていたのォ~。。。?
もちろん、知ってましたよう。。。 あのねぇ~、僕は子どもの頃から なぜかナチスドイツの“ユダヤ人虐殺”。。。 つまり、Holocaust に対しては、子供心に異常なほどの興味を持っていた。
どうして。。。?
今から思い返すと、怖いモノ見たさだったのでしょうね。。。 要するに、収容所に隔離されている人たちがまるで“生きているお化け”に見えたのですよ。
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小学生の頃に、こういう写真を見た時には、ショックだったと言うよりも、僕には異常な興味の対象だった? どういうわけで人間がこうなるのかァ!?。。。 それが余りにも不思議だった。
それで、Holocaust (ナチスのユダヤ人虐殺) という歴史的事実があったことを知って いろいろと歴史の本を読むようになったのォ~?
そうなのですよ。
。。。で、今日はナチスドイツが行ったジプシーに対する残虐行為について話をするのォ~?
いや。。。 もう、ナチスドイツの残虐行為に関することは 他の歴史の本に任せますよう。 僕はもう、残虐行為に関することには 特に関心がない。
つまり、ケイトーにとって残虐行為は 当たり前な事。。。日常茶飯事な事になってしまったのォ~?
違いますよう! 人間のおぞましい所を見せ付けられるようで、いやになったのですよ。
でも、そもそも 人間には誰にでも、意識するにせよ、しないにせよ、心の奥底に残虐行為をするような本能を持っているのでしょう?
あれっ。。。 シルヴィーも、そう思うのォ~?
だってぇ~、たとえばよ、欧米人が しばしば日本で行われている“イルカの虐殺”について ショッキングな報道をするのよ。
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確かに、イルカが大好きな人が 上のビデオクリップを見たら 日本人は残虐だと思うかもしれないけれど、このシーンは 日本のごく一部で行われている “イルカ猟”の話なのよねぇ~。
あれっ。。。 シルヴィーは 見かけによらず日本の“イルカ猟”について よく知ってるじゃないかァ!
テレビの特集番組で見たことがあるのよ。。。
そうなのですよ。。。この“イルカ猟”は300年以上も前から。。。いや、もっと昔から続いているかもしれませんよう。。。 とにかく、大昔からの漁法なのです。。。 だから、急に“虐殺”だと言われても、伝統的に、この漁法に携わってきた漁師さんたちにとっては、“どうして いけないの?”と面喰らってしまうかもしれませんよう。
そうだと思うわ。 たとえばよ、ビーフを食べるために 欧米では一つの工場だけでも 1時間に30頭以上の肉牛を殺しているのよねぇ。
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これだって、イルカをする以上に残虐な行為よね。 しかも、機械的にシステムを作って、1日に欧米合わせると 何万頭としている訳でしょう!? いったい、どっちが残虐行為をしているのよう!?。。。と言いたくなるわよね。
確かに、その通りですよ。 イルカをしている日本人を非難している人たちも 欧米の工場で何万頭と殺されている牛の肉を食べているはずだよ。
。。。で、今日はこの事を言うためにナチスドイツによって虐殺されたジプシーを取り上げたのォ~?
違いますよォ。 もちろん、このことだけでシルヴィーを呼び出したのではないのですよ。
じゃあ、他にどういうことがあるのォ~?
ちょっと同じ本の次の小文を読んでみてください。
音楽について
バルカン半島のジプシー音楽、フランスのマヌーシュのジャズ、スペインのフラメンコなどが、ジプシーの音楽として知られている。
音楽に関して、ジプシーは独自の伝統を持っているのだろうか。
それとも彼らは、各地の音楽を自分たちのものにしただけなのだろうか。
いずれにせよ、ジプシー音楽は、ジプシー社会で人々を密接にするために役立っているばかりか、ヨーロッパのあらゆる音楽の中にまで浸透している。
(中略)
(ジプシーの)姿が見えない村の祭りなど、ありません。
村人から呼ばれても呼ばれなくても、彼らは祭りに駆けつけてきます。
また、彼らがすすんでやってこない宿屋や居酒屋もありません。
さらに、重要な会食、内輪の舞踏会、誕生日、結婚式などで、人々は彼らを安い費用で雇います。
1790年12月12日、スロヴァキアのプレスブルク宮廷で神聖ローマ皇帝レオポルド2世の戴冠を祝う祝典が行われたとき、彼らの家馬車を見た記憶があります。
その祝典で、彼らは音楽と踊りをたくみにまじえ、踊りに合わせて変化をつけた音楽を奏でていました。
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ヨーゼフ2世 と 弟のレオポルト2世(左)
私とともに招かれたミラノ人だけでなく、そのほかの人々も、それを証言できるでしょう。
彼らは好んでヴァイオリンを使い、どのような曲でも試し弾きをしたあと、弦を正確に動かして音程を変えながら演奏します。
その様子を見て、私は彼らにメロディーをつける技術が備わっていることを発見したのです。
今まで私は、これほど魅力的なヴァイオリンの演奏を聴いたことがありません。
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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
136ページ 『ジプシーの謎』
著者: アンリエット・アセオ 訳者: 遠藤ゆかり
2002年11月20日 第1刷発行
発行所: 株式会社 創元社
上のビデオクリップで サラ・チャンさんが弾く“チゴイネルワイゼン”というのは ジプシーの曲なのォ~?
そうですよう! この曲の題名(チゴイネルワイゼン Zigeunerweisen) はZigeuner の Weisen---つまり、“ジプシー”の“旋律”という意味ですよ。
あらっ。。。 そうだったのォ~。。。 知らなかったわ。
スペイン生まれのヴァイオリニストであるサラサーテが1878年に作曲したものです。
だったら、1790年のレオポルド2世の戴冠式には、まだこの曲は作曲されてなかったのね。
そういうことです。
じゃあ、どうしてチゴイネルワイゼンのクリップを貼り付けたの?
典型的なジプシーの曲だと思えたからですよ。 なんとなく、ジプシーが舐めてきた悲しみと苦しみが曲の中に込められていると感じませんか?
なるほどォ~。。。 そう思って聴けば、ジプシーが耐え忍んできた悲しみや苦しみが曲の中に込められているようにも感じられるわァ。。。
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(すぐ下のページへ続く)