ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

だんじりという神様

2012年10月06日 23時30分27秒 | weblog

朝、5時半より祭りの安全を祈念する
御祈祷があった。

まだ夜も明けきらぬ早朝に
神社に集まり
だんじりを前に祈祷が始まる。

~~ かしこみ かしこみ ももうす~~

祝詞の間は軽く頭を下げて
目を閉じる。
2~3分の祝詞が終わって
目を開けるとほんの少しの祝詞の間に
朝の光が一段と強くなっている。

そうして少しずつ
祭りの朝は明けていくわけだ。
そうして、だんじりという神様が
この秋の二日間、目覚めて、
氏子の村を睥睨しながら練り歩くのだ。

さあ、神様とともに
祭りだ、祭りだ。
お神酒をいただき
いよいよ、祭り初日が始まった。

だんじりに乗ると
知らずに顔が締まってくる。
中にはdoironの締まった顔を見て
笑う人もいるけど・・・
こみ上げる気持ちは
普段は味わうことのない澄んだ
濃密な想いだ。

ま、とにかくだんじりに乗ったからには
それはそれはいろいろな
思いを受け止めて
進めていかねばならない。

やり回しの交差点が近づくごとに
口の中がカラカラになる。
どんどん湧き出すアドレナリンは
やり回しで一気に沸騰する。

イッケ~と叫ぶ心からの声は
自分の中の神様が発する声となる。

その神秘さと醍醐味は乗った者でないと
わからないだろうな。

とはいえ、だんじりに乗るのを
独占するわけにもいかない。
だんじりに乗るのは
役のたすきをつけた者とはいえ
もう、祭りは若い人たちが
楽しむべきもので
どんどん後進に譲っていくことにして
午後からは安全委員に専念したよ。

doironの年番長としての
最大の仕事は
明日、午後の8町パレード。
生まれて初めて祭りの浴衣を着て
本部にデンと座ることになる。

今夜の雨も明日は
doironのために

だんじりという神様は
晴れさせてくれるでしょう。

一生に一度の晴れ姿。
役を押し付けられた感も
なくもないが
そうして乞われて年番長になることも
名誉だと思わねばなるまいて。
だからこそ、明日は特別に大切な一日。

すべての力を結集して
いい祭りになることを祈りたい。


2012試験曳

2012年09月30日 21時51分21秒 | weblog

いよいよ祭りの期間の始まりです。
ていうか、祭りは詰所を含めて
もうすでに始まっているんやけどね。

今年は、特に市制70周年の
記念事業の一つとして
普段は会いまみえることのない
doironが所属する12町と
濱地域の8町が
一堂に会して
パレードを行った。

オール阪神や河内屋菊水丸
をゲストに泉O津市のメインストリートを
順々にパレードをしていくというもので
午前中に行われた。

開催に当たっては
実行委員会としても
いろんな取り決めがなされていた。
そのうちの一つとして
台風の接近に伴い、
中止の目安としていたのが
午前6時の時点での警報でした。

それが発令されたのが
なんと午前6時13分。

神様がちょちょいといたずらしたって感じだ。

というわけで、結局
時折小雨がふるという
さほど悪くないコンディションで
パレードは決行され
見事に成功した。
はいはい、これで
実行委員会としては
一つの難題をクリアである。
ほっとひと息だあ~

そして続いて行われるのが
いよいよ試験曳です。

午後1時からの予定なのですが
台風の状況により
中止が決定されるのが
午前11時でした。
警備員の配置などが11時半ころから始まるからね。

しかし、パレードが終わったころから
徐々に降り出した雨が
問題の11時にはかなりの吹き降り。
台風はまだこれから
接近してくるということで
さっそく役員のみなさんと相談し、
doironが最終決定した。

中止

としました。
とこうなっては、中途半端に
天候回復はやめてほしいと
祈ったね。
だって、中止にして天気が回復したら
台風関連の判断だけに非難の嵐だもん。

結局、天候は回復することはなく
本来なら曳行している時間帯は

大雨と強風の嵐

非難の嵐とはなりませんでした。
賢明な判断だったということで
doironの名前は歴史に刻まれた・・・
なんてたいそうなことではないけどね。

結局、9月最後の日に
課せられた試練は、
中止という形で回避された。

中止決定後は、詰所で飲み会に突入です。

雨を眺めながら、ワイワイと盛り上がりました。
しかし、ほっとするのも束の間で
来週には本番がやってくる。
しっかりふんどしの紐を締め直して
向かっていかねばね。




PAST BOOK

2012年09月21日 22時53分16秒 | weblog

7月11日に「大学ノート」と題したブログを書いた。

日々の申し送りを記録し、
これからの取組の参考にするためのノートを作っている。
そのブログには、
このノートをさらに洗練し、
名前をつけていきたいと綴っていた。

この結果について書いていなかったが、
今日ここにようやく報告することができる。

は?別に待ってなかった?
はいはいいいんです。
どうせ自分の日誌代わりに綴っているブログなので、
完結しておきたかっただけなんじゃがね。

で、なぜ今になったかというと、
日々の積み重ねを究極の形で綴ったページが
2ヵ月がかりでようやく埋まって完成したからだ。

これ。



どうです。芸術的ともいえる見事な記載、
とナルシストdoironは思っておる。

そしてそのときのブログにはさらに、
このノートに名前をつけたいとも綴っていた。

つけましたよ。

聞きたい?

え、どうでもいい?

そんなこと言わないで~

このノートに記載しているのは、
過去の出来事ばかりだ。
この過去の出来事を元に
未来について考えていくわけだから、
名づけた名前が、
今流行の「フェイスブック」にちなんで

「PAST BOOK」。

そう、このノートにはPAST(過去)がいっぱい詰まっている。
このノートに綴られたものは、
とても意味のあるものなのだ。
このノートの対象者は、
蓄積された多くの時間の果てに、
まぎれもなく生きている。

そして過去を知り、
過去を学ぶことで
未来を手繰り寄せているのだ。

ん?何のことかわからない?

いいんです日記代わりなのですから・・・
自分がわかればいいんです。

そんなPAST BOOKと名付けられた大学ノート。

裏表紙には、さなえちゃんではなく

「過去に訊け!」

と記しました。
我ながら、変なこだわりですな。

さて、明日は3時間走のボランティアです。
早朝からO津川河川敷に集合。

doiron自身のPAST BOOKに
またひとつ楽しい過去が記載される。


コラムは世につれ

2012年09月10日 22時23分09秒 | weblog

こんなブログをしているからか、
それとも長い小説なんかを
常に読むのはちょっと、
という落ち着きのない性格からくる
生来のものなのか、
簡潔でぎゅっと中味の詰まった
新聞のコラムは好んで欠かさず読んでいた。

読んでいた、と過去形なのは
最近読む機会がうんと減ったからだ。
昨年までは、朝日、讀賣、日経の一面コラムを
一気に読めるアラタニスというホームページを愛読していたのだが、
今年になってそれは閉鎖となった。

さらにさかのぼって、
その前はというと、
仕事柄、全ての日刊紙に目を通していたので
ウィークデーは必ず全部読んでいたけど、
もちろん今はそうもいかない。
だから近頃は、喫茶店に入っても
雑誌ではなくまず新聞を読んでしまうんだよね。

小腹がすいた時にはケーキセットで、
大好きなミルフィーユなんかを食べながら、
新聞をばさばさ読んでいるのだ。
(ミルフィーユって食べにくい。正しい食べ方はどうなんだろう)

時が移れば、読み方も変わるもんだな。

そんな新聞コラムの大体の構成は、
先ず最初にエピソードや引用があって、
中ほどに最近の出来事があり、
最後にその出来事とエピソードを絡め、
2、3行で締めくくるというのが大体のパターンだ。

新聞というメディアの性格から
情報が正確であることに加えて
適度なエスプリも混ざって、
なかなか面白いものだ。

大学の入試問題の例文として
多く取り上げられるということでも有名な天声人語なんかは
まとめて本になって出版もされている。

先日、知り合いが持っている本の処分をするのだけど、
doironさんが読みたい本があれば
と持ってきてくれた本の中に
その天声人語の本があったので借りることにし、
ぱらぱらと読んでみた。

そしたら、あんなに楽しみに読んでいたコラムが
ウソのように面白くない。
これはなぜかというと、

古いのだ。

情報も、言い回しも古くて、
当時の世相を知るという面ではいいかもしれないが、
内容がどうもピンと来ないのだ。
見るとその本の発行は
昭和の終わりごろということで、
もう今から30年近く前の出来事を元に綴られているのだから、
いたしかたないかもしれないけどね。

時代に合わせて文章も変わっていくんだ。
情報は積み重なり厚みを増して、
まるで、食べにくいミルフィーユのように
世相を形成していくんやと
口の周りに生クリームをつけて
考えている近頃のdoironなのであった。


一生に一度の一日

2012年08月23日 23時07分24秒 | weblog

甲子園で開催されている
夏の全国高校野球。
決勝カードが春の選抜と
まったく同じであっても
それがどうした。

パラリンピックに出場する選手が
ロンドンに向かった?
はい、がんばってちょーだい。

尖閣や魚釣島に
外国人が不法侵入したといっても
それどころではない。

また、シリアの内戦で
お気の毒な犠牲者が出たとしても
申し訳ないが、
いつまでも哀悼の意に
浸っていられない。

え?金星が月の陰に隠れた?
はいはい。そうですね。

普段だったら、オヨヨと反応する出来事も
今は、頭の片隅をかすめていくのみである。

とにかく今日は、
一生に一度の頭屋なのである。
どんな世間の出来事をも凌駕する
doironの一大事なのである。

早朝5時から活動開始。
まず、地蔵堂の軒下向かって右側の一番前に
doironの名前が入った提灯をつるす。
これによって、この地蔵さんを知る人々に
頭屋であることを宣言するのだ。
早朝から提灯をつけに来た
村の人がみんなdoironの姿を見つけては
「おめでとうございます」と言ってくれる。
そうか、おめでたいことなんやな。
こうして地蔵さんに入会するまで
生き延びてこられたわけやからね。
doironの場合、わけてもおめでたい。

地蔵堂の鈴の紐をdoironの
名前の紐に替え
昨年一年間つるしてあった
鈴の紐を燃やし、
一年の役割を労う作業もある。
燃やした灰は、近くの川に
流させてもらう。

その後は、村の人々が一堂に会して
夕方のお唱え後に配るおにぎりを握る。

災害地の救援おにぎりのことなど
まったく陰を落とす余地もないほど
当たり前の村行事なのである。

多分村の人々は
近々地球が破滅するといっても
集まっておにぎりを握るだろう。

それほど、世間とは隔絶された
村人たちの一大行事なのである。

一日中、全身全霊で動き
ちょっとしたエアポケットの時間帯に
セイゾー君が現れた。
ランニングの途中なんだそうだ。
言っておくけどあんなのんびりの
時間ばかりが過ぎていたんじゃないよ。
あの時は、会食でたらふくビールを飲んで
ちょっと、お供え見張り番を兼ねた
酔い覚ましの時間だったんやからね。

お唱えのあと、おにぎりを配って、片づけをして
ようやく、今日の仕事は終わり。
あとは、来年の頭屋への引き継ぎという
重要な任務が残っています。

真夏の日差しの下で
ウロウロしていたので
すっかり日焼けしてしまいました。
特に首筋がヒリヒリします。
トライアスロンのトレを頑張ってた頃は
まったくこたえなかっただろうけど、
もう今は、透き通るような白い肌となったdoironには
刺激が強すぎました。

こんな日焼けをわが村では

「地蔵焼け」

と言うとか言わないとか・・・
言わへん、言わへん

おまけに、これまで
全身ずぶ濡れの汗をかいても
全然平気だった首筋や胸元に
あせもがいっぱいできました。
そのブツブツはまるで

「地蔵さん」

う~ん、これでdoironも
晴れて地蔵の仲間入りですかいな。

夕方には、遠くでゴロゴロと
雷が鳴り始め心配しましたが
doironの日頃の行いの良さが
功を奏して、無事すべてが終わりました。

こうして
世間で何が起ころうが
誰が泣こうがわめこうが
お構いなしの地蔵一色だった
一生一度の頭屋の特別な一日が終わりました。

それにしても
一生に一度かあ・・・
でも、よくよく考えたら
何も今日だけが一生に一度の日なのではないんだよね。
毎日が一生に一度の一日なんだ。
だから、明日も、それからも日々しっかり生きていかねばなあ。
頭屋の指定席となるお寺さんの右横で
お唱えを聞きながら、そうしみじみと考えているときに
ふと見上げた地蔵さんの顔が
ちょっと笑ったような気がしたな。


介護の「介」は命を守る鎧の形

2012年08月11日 21時12分59秒 | weblog

夏場になると、
高齢者には暑さが身体に堪えるようで、
4人の親が全員変調をきたしている。

実父は体調不良からくる発熱で、
あまりに高熱が続くので
病院に行くと入院となった。

しばらくは抗生剤を投与しつつ、
様子観察をするとのこと。
入院となると、
家にいるよりは安心なので、
これはまあひとつ解決だ。

加えて担当の看護師が
よそで働いている
知り合いの看護師の友達という
奇遇な巡りあわせ。

施設にいる母親は、
近頃異常に眠るのだそうだ。
これはまあ、
さすがにdoironの母親らしい状況といえば状況だ。
かつてあのきんさんぎんさんも
二日寝て二日起きるだったっけ?

そんな風に齢を取ってくると、
体内時計の針の進みが遅くなるのかもねえ。

そして義母は相変わらずマイペースで、
ヘルパーさんをフル活用しながら、
掃除・洗濯・買物をこなしてもらい、
たまにこちらの好物の食事を作って
取りに呼ばれたりしている。
doiron家はもう総力戦で
日々を戦っているのだ。
そしてその義母のところへ
ミセスdoironはせっせと
話し相手に出かけている。

義父はこれまた施設に入所しているが、
近頃、不穏が突発し、
携帯電話で呼び出しの頻コールがあったりし、
それをいさめるための電話応対に忙しい。

そこへ持ってきて、
愛犬が不調でおしっこをあちこちまき散らかしたり、
玄関先の土間の冷たいのがいいらしく
ドッテリと寝込んでしまって動かない。

従って、うちらは八面六臂の活躍をしているわけだ。

ちなみに八面六臂の、
「臂」とは肘のことで、
3つの顔と6本の手を持つ
阿修羅像の三面六臂の姿から来ている言葉なんですね。

まあ、それはよいとして、
その八面六臂の片割れミセスdoironも
夏の疲れ及び
夜中にごそごそ起きて
オリンピックを見ているdoironに
覚醒を余儀なくされているということもあって、
最近変調をきたしている。
夏風邪かねえ。

てな具合に、あっちもこっちも
「介護」とまではいかないけど、
「介在」を求められているんだよね。

とまあいろいろとあるけど、
へこたれずに、
”介”の字を念頭に
かいがいしく動きながら
いただいた命が少しでも
役立つようにがんばるほかあるまいて。


岩にしみいる

2012年07月26日 22時13分09秒 | weblog

今年も蝉の大合唱である。

昨年の7月29日に、
蝉に起こされたという話を
このブログに書いたが、
今年も同じような時期になって、
同じような目にあっている。

昨年のブログ時にクマゼミのことについて、
いろいろ調べた。
その結果、
クマゼミは地中で7年過ごす
と書いてあるが、
どうも最近はその説に
疑問符が付いているようだ。

いろんな研究者が
枯れ枝に産んだ卵から、
羽化にかかる年月を
調査をするという
気の長い研究をされているようだが、
今ネットで見る限り
3年~13年と諸説紛々で、
結論は出ていないようだ。

最近そのクマゼミの生態で
注目されているのが、

光ケーブルを枯れ枝と間違えて、
産卵管を刺して
穴を開けるという被害を
発生させているとの頃だ。

光テレビに、産卵の様子が写ったりして。

ケーブルの中で育ち
テレビで羽化すると
まるで「貞子」のようなミステリーである。

そんな被害を防ぐ手段として、
ケーブルを硬くすると、
今度は工事に支障がある
という厄介な問題をはらんでいる。

最近ようやく、
卵を産みにくいケーブルが
開発されているようじゃが、
それにあたって
生態なんかもかなり
研究されたんじゃないですかね。

クマゼミはこの日本で二番目に大きい
(一番は「ヤエヤマクマゼミ」)セミ。
しかし実は、まだまだ謎の多いセミなんだそうです。

これはおまけですが
芭蕉の数ある句の中には

「静けさや 岩にしみいる 蝉の声」

というのがありますが、
これはきっと
耳鳴りのように「じーーー」っと鳴く
アブラゼミでしょうね。

それに対抗して、
騒々しいクマゼミの句は

「うるささや 汗も飛び散る 蝉の音」

なんてどうでしょう。


観光地、山陰

2012年07月16日 23時10分25秒 | weblog

皆生に通い続けて15年。
ここんとこ急速に
山陰地方の観光業界が
進化を見せている。

ゆるきゃらの設定
ネーミングの工夫
広報活動の充実

思えば境港の
水木しげるロードの成功により
各地の観光地が
徐々に目覚めつつあるような気がするのだ。

山陰のことをあまり知らないくせに
えらそうに聞こえるかもしれませんが
今年は特にそんな観光資源の
開発にかなり力を入れ始めているように思ったのでした。

どこに行っても必ずゆるきゃらがいます。
昔は皆生トライアスロンの

「トライくん」

くらいしか知らなかったけど、
近頃は出雲大社でも
「しまねっこ」という猫もいたね。

そしていつの間につけられたのか知らないけど
従来あった空港に
特別な名前がつけられているのに気がつきました。

まず一つは
「米子空港」
トライアスロンのランで
その近くを駆け抜けますが
その空港名が

「米子鬼太郎空港」

になっていました。
きっと鬼太郎のちゃんちゃんこか
いったんもめんのように
颯爽と空を飛ぶイメージですかね。

もうひとつは
「出雲縁結び空港」

もう、若い女性の心をくすぐる
にくいネーミングですねえ。

最近は出雲大社の
平成の大遷宮もあいまって
周辺の温泉地
例えば、玉造温泉なんかには
若い女性グループが
かなり訪れているんだそうです。

なら、関西空港もいっそ
関西だんじり空港なんてどうですかねえ
え?荒くたくて、事故がちなだんじりは
あかんでしょうってか。

そしたら、泉州タオル空港でもいいじゃないですか。

それくらいやってみましょううよ、松井さん。

だとしたら、
伊丹空港はなんてネーミングにしますかねえ。

有料道路や
各地の観光地に行くと
かなりの種類と数の
観光パンフレットも
見られるようになった。

来年も多分皆生にはいくだろう。

レースのことも気になるが
その辺の山陰の
観光地としての進化にも
興味があるところである。


大学ノート

2012年07月11日 22時51分14秒 | weblog

東京大学門前の文房具屋さんで
明治の中ごろに
初めて売り出された帳面は
洋紙を用いた豪華なものでした。
値段があまりに高かったので
帝大に通えるほどの
頭脳の持ち主でないと
使えないというのが
「大学ノート」の由来だという。

今、doironの仕事で
この大学ノートが
大活躍をしている。

朝イチと夕方に
仕事の報告を受ける。
口頭で行われるこの報告の
要点を正確に書き留めていくのが
「申し送り」という仕事だ。

口頭での報告だから
ペンが止まることはない。
最初の頃は
おたおたと書き留めはするのだが
あとで読んだら
皆目わからなくなっている。

これじゃいかんなと
色々考えて、まず最初に
よく出てくる言葉を記号化することにした。

病院は十字をまるで囲ったものとした。
徒歩は足が二本ということで「Λ」とした。
時間は時計の針の形で表す。
Lはもちろん三時ね。

そしてノートもかなり消費するので
経費節減のためにも
紙面を効率よく使わねばと考えたとき

前の仕事で
新聞記者の取材を受けたときなんかに
彼らがやってた方法を
思い出した。

ノートの1ページを
半分に折る方法です。
つまり、見開きで横に4段の
記入欄ができるわけです。

そうして、続けているノートの
記載の様子がこれ。



個人情報もあるので
文字はつぶしています。

このノートで黒で書いてあるのが
朝イチの申し送りで
赤が夕方のそれです。

効率と正確さを追求し
3か月でここまで確立させた
大学ノートの記述。

う、美しい!

ビューチフルじゃ。

かなり洗練されてきては
おるものの
まだもう少し進歩の余地はあると思っている。
さらに、追求していこうと思っている。

目指すぞ
「doiron式聞き取り法」の極致を!

しかし、今だこのノートに
気の利いた名前を付けられないでいる。
机に置いといても
ニヤッと笑ってもらえるような
ノート名を思いついたら
表表紙に、デーンと書いてやろうと思っている。

そしてそんな大学ノートの裏表紙には
もちろん、さなえちゃんを・・・・

古っ!


今年は少し早く咲きました

2012年06月23日 22時26分50秒 | weblog

昨年のブログによると
花が咲いたのは7月12日。
今年は早くも咲きました。



そう、ゴーヤですね。
毎日、観察をしていました。
朝起きて、外に新聞を取りに行くときに
チラチラと眺めておりました。

花が咲くのはもう少し先かなあと
思っていたのできっちり見ていなかったけど
つぼみがあったんですねえ。

黄色い花を見つけたときは
「お~」と声が出たわい。

今はまだこんな状況なのにね~



さあ、ではいよいよ次は
収穫がいつになるかな。

実ができる頃にはすっかり夏だろう。
今年も思い出いっぱいできるといいな。