ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ああ、気になる黄金塚古墳2

2020年05月17日 20時50分39秒 | ウォーキング

照手姫が腰かけた石から少し歩くと、
小栗地蔵に出ます。



いずれも伝説で売れた人の名前が
地蔵の名称になっているんですねえ。
地域の人たちの小栗に対する熱い想いは、
熊野へ捧げる信心の証なんでしょう。

さらに信太王子の入り口を抜け、
和泉三ノ宮である聖神社への
参道の鳥居も右に見ながら
北上してゆきます。



右側にお寺がありますよ。

ここは中央寺。



もともと中尾寺といわれていたお寺が
この名前になったといいます。
ここにはみみづく地蔵尊もおられます。



頭をなぜながら、耳のところで
願い事をいうといいそうです。

なんて願おうかなあ。
コロナがいなくなりますように、
あるいは宝くじに当たりますように、
かなあ。

こんなみみづく地蔵尊がおられるのは、
この中央寺と聖林院(京都府宇治市)
徳藏院(奈良県香芝市)に
いらっしゃるようです。
お参りしておきましょう。

このあたりは太町というところですねえ。
むかしは太村といわれていて、



なぜかこのあたりからdoiron家近くに
嫁に来たという女性は多いようです。

小栗街道が続きます。

ここの地蔵は太町の地蔵尊
といわれているようです。
そしてここが「井阪硝子製作所」です。



ガラスを熱して、
そのとけたのをうまく
組み合わせて動物なんかを
作ったりするんですね。



実は、近所にこの辺の人が多かったので、
doironの母親もきれいに
ガラス細工を作っていました。

ガスバーナーであぶりながら、
とけていくガラスで象の鼻を
作ったり、キリンを作ったり
していましたね。
きっと家の中を隅から隅まで探せば、
母親作成のガラス人形も
きっとどこかにあるんだ
とおもいますねえ。

子どものころそんな母親の
ガラス細工を見ながら、
恐竜を作ってくれとか
クワガタを作ってくれとか
いろいろ言ってたんだと思います。

かすかな記憶があるのです。

そんな仕事もここの事業所から
出ていたんでしょうねえ。



さあて道の先っぽの方に
高架道路が見えてきました。
100円高速ですねえ。

そこまで行くと、こんな案内木も
建てられていました。



ではこの案内の所を右折して
進んでいきましょう。
前方に泉北クリーンセンターの余熱を
利用したプールも見えてきましたねえ。



ここのプールにも何回か通いましたね。
こどもがとてもたくさん泳いでいる
プールでした。

とまあここまで来たら、
もう目的地は近いですね。
向こうにみえるクリーンセンターの
東側にその黄金塚古墳があります。



広い車道から田んぼの中の道に
入っていきます。
舗装された道から、キケマンの咲く
すすき道を上がっていくと、



奥に古墳が見えてきました。



近づくと、う~ん、やはりまだ
立ち入り禁止のようです。



そこに案内板が立っています。

森浩一という人が塹壕から
遺物を発見したことが契機となり
発掘されたと書かれています。
調べたらこの人、17歳の時だったようです。

この人はその後、
考古学者になったそうです。

昔の写真がパネルに印刷されていますねえ。
いなかだったんですねえ。
写真の中の煙は、



昔の清掃工場の排ガス
だったんでしょうねえ。

せっかく歩いて尋ねて来たのに
中に入れなくて残念でしたねえ。
早く整備してほしいものです。



仕方ないのでまた歩いて帰りましょう。
帰り道歩いていると、
後ろから新型コロナウイルスの
外出案内の車がずっとついて
きて往生しました。
まさかねえ注意しているわけでは
ないのでしょうが。気になって気になって。

その後は上町の中をウロウロ歩き、
北信太駅前に向かいました。

コロナがすんだらジョッキの
生ビールが飲みたいなあ。
この辺にいい店はないかなあ
という調査です。

そして葛葉稲荷を経て



うどん屋さんでうどんを食べて帰宅。





辺をこうして回るのも
いいもんだなあと思いながら
さあでは次はどこに行こう
なんて考えてたdoironだったのでした。

 



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