ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

阪南浜街道をゆく3

2020年11月28日 21時00分57秒 | ウォーキング

浜街道を少し離れて、
海の横を通る道に出てゆきます。

途中に神社がありました。

「楫取神社」と書かれてあります。



看板には祭神とかは
書かれてありますが、
こんな名前の神社が
海の近くにと後で調べてみましたが、
詳細は不祥です。



でもねえこの神社の緑とかで、
船のかじを取ったりしたのかなあ。

そしてこのあたりの地名は
「波有手」といわれています。

なんて読むかわかりますか?

これは「ぼうで」と読みます。
ここでは西鳥取というよりも
地域のことを「ぼうで」と
呼んでいる人が多いようです。



かつては波有手(ハウテ)と言われ、
波太宮の波太から転じたものか
あるいは海岸の意味を含んでいるのか
とも言われています。



最近ではここに
「ぼうでの牡蠣小屋」が
週末に出されて、
ここで養殖されている牡蠣の
焼き牡蠣、カキフライ、
牡蠣飯が提供されて人気だそうで、



この漁業組合の建物の周りで
開催されるようです。

ぼうでにはやぐらもあります。



先代の櫓は指出森神社にあった
やぐらを買ったものでしたが、
平成2年に新調されたやぐらが
ここに納められています。

で、そのやぐら小屋の
そばにあったのが「善六の碑」です。



昔、秀吉は小田原の
北条氏政・氏直父子を攻め、
降伏させました。

その攻撃では、波有手村の
水主である善六が従軍して
戦死しており、恩賞として
これ以降、浦役銭1貫と
水主1人を減免したということで、
この功をたたえ、
元文4(1739)年、波有手村に
この碑が建てられました。

それがこれです。



すぐ近くを走っていたのになあ、
こんなに近くまで行って
確認したことはなかったですね。

そんなぼうでをまた
牡蠣小屋なんかに来たいなあ
と思いつつ、コースは再び
浜街道へと戻ってゆきます。



迷路のような道を抜け、
街道に再び出ます。



阪南市のマンふたは
市の木「松」と市の花「さつき」を
波の下にあしらい、
真ん中には「阪南市」の
「は」を使った市章が刻まれています。



小学校の横を通り、
新町に入ったらまた気になる
神社仏閣に向けて、海側に
曲がってゆきます。



古い壁とかを眺めながら
昔からの地域なんやなあ
とあらためて思います。

そしてその先には
北野神社がありました。



波太神社が連絡先のようですので
神主はそちらにいるんでしょう。

そういえば定年前に退職になった人で、
坊主頭の誠実そうな
知り合いがいるんですが、
その人がアルバイトをしているときに

「四国で神主のいない神社が
あるんやけど、神主にならんか」
と誘われたそうです。

祝詞もお経も知らないので
断ったそうですが、
そんな仕事というか
役割だってあるんですねえ。

奈良の方で、神社の横に住んでる
神主にちょっと昔のことを聞くと

「いやいや私は最近ここに来た神主で、
よくわかりません」と
答えていた人がいたなあ。

地域の氏神さんの中には
そんな神主も結構いるんでしょうねえ。



その横の法林寺なんかも眺めながら、
浜街道へと戻ります。

もうこのあたりは、
南海本線の尾崎の駅の近くなってきました。

じつはこの先に酒造があります。

名前は「浪花酒造」と言います。
この酒造のオーナーが
ジダンの同級生のようです。



まあ、この季節になったら
お酒も熱燗でおいしい季節ですねえ。
では帰りにはそこによって
お酒を買って帰りましょう、
というのが今日の目的のひとつなんです。

でもまあ荷物になるので
歩くところをぐるりんと
回ってからです。

ここからは酒造の手前で左折し、
尾崎の街中を抜けて、
またまた海の方へと
入っていくことにします。

続く



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