ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

阪南浜街道をゆく2

2020年11月27日 21時07分51秒 | ウォーキング

田舎の静かな道ですが、
「浜街道」と呼ばれている道ですから
雰囲気はありますねえ。

くねくねっと曲がった道は
地図上の区画整理ではなくて、
水の流れや坂道の程度などから
ついて行った道ですねえ。



変わった形の交差点もあったりします。



あ、畑にはかかしもいますよ。



それにところどころに
石垣もあったりして、
古さを感じます。



あ、でももう一度調べてみたら
浜街道も孝子越街道も
同じ道のことを言い、
現在の地図の中で別々に
名付けられているみたいです。

この街道は、泉佐野市を起点とし、
浜づたいに田尻町、泉南市、
阪南市の尾崎・箱作を過ぎ、
岬町から孝子峠を越えて
和歌山市内に通じる街道です。

紀州街道の延長のような感じですね。

この浜街道筋には往時を
偲ばせる古い町並も見られますし、
尾崎団地の横には
明治371904)年に
大阪府が建てた「孝子越街道」の
道標が現在も残っているそうです。



そうして歩いているうちに、
前方に大きな石碑が見えてきました。



ここが貝掛松の碑です。



むかしここには樹齢500年の
大きな松がありました。
それはここで雨乞いをやったり、
航海時の目印として地域で
大切に育てられていました。

ある時に盗人が岸和田の神於寺から
宝の貝を盗んできて、
このあたりまで来るとその貝が
突然なりだしたんだそうです。

それを気持ち悪がった盗人が
その貝をここの松にかけて
逃げて行ったんだそうで、
そういう話があったから、
ここの松を貝掛の松と
呼ぶようになったとのこと。

明治時代の台風時にその松も
折れたんだそうです。
でもこのあたりの地名は

「貝掛」として今も残っています。

その松を過ぎると浜街道と
旧国道は交差しますが、
そのまままっすぐ浜街道を



進んでいきます。



あ、こんな看板が。

このあたりに貝掛団地というのも
あるんですねえ。
住んでいる人は貝掛にあるから、
と思っているんでしょうが、
岸和田から盗んできた宝貝が
ここで鳴ったからこんな地名だ
なんて知らないんでしょうねえ。

でもそういえば、doiron
自分の住んでいる地域の名前の
由来はよくわかっていません。

たぶんまあ神社の名前から
来てるんでしょうが、
その神社の由来もわからないのです。

地名ってそう考えたら、
けっこう重大な遺跡で
あったりするんですねえ。

そもそも歩き始めた「箱作」にも
由来がありますね。

諸説有りますが京都・賀茂神社改修の際に
流した御霊箱がこの地の海岸に
たどり着いたという「箱着里」が
語源という説や、
このあたりは泉南砂岩で
いろんなものを作りますが、
棺桶を作っていたというところから
という説などあります。

しばらく歩くと、
赤い鳥居がありますねえ。



ここは「小女郎稲荷」と言います。



ここにはいつも
小さな女郎さんがいて・・・
という話じゃないですよ。

病気の母狐のために、美女に化け、
身を売った娘狐が母に会いに行く途中、
病気で野垂れ死んだ。
哀れに思った土地の人が
娘狐のために小女郎稲荷を
立てたとの事です。

う~ん、なんか意味ありげですねえ。

女郎を好きだった人が
亡くなったことをかわいそうに思い
人に内緒でそんな狐の
話しを作ったとか
不幸な親子の話を狐に置き換えて、
それとなく祀っているとか
なんか隠された深い意味が
ありそうな気がしますねえ。

浜街道はこの後、踏切を越えて



鳥取ノ荘の駅に到着します。



昔、このあたりにあった荘園
鳥取ノ荘を駅名にしていますね。

駅の横で、お茶を一服。
このあたりまで来ると、
昔岬ランと称してロングの
ランの練習に近くを走ったことを
思い出しますね。

そのランニングコースのところにあった、
善六の碑を見に海辺まで行ってみましょう。

続く



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