「伊賀越資料館」の中には
鍵屋ノ辻の交差点の説明や、
様々な錦絵などもありました。
でもねえ、写真撮影不可の中で
「写してもええよ」と
言われたからといって
そのままボカボカと
乗せてしまうのは気の毒です。
なのでまあ、掲示コーナーの外にある
「河合又五郎首洗い供養地蔵池」
のコーナーだけを載せておきましょう
(再現池です)。
ここは小さな展示館で、
保存会で運営されているようです。
そんな鍵屋ノ辻を後にして、
さあ先に進んでいきましょう。
交差点を左折するように続いている道を
上がっていきましょう。
右手に長い石段と
その上にあるお寺の屋根が
見えています。
これが
「興福寺駒留延命地蔵と地蔵堂」です。
お堂の中には大きな石像の
上半身が祀られているのが
見えていました。
弘法大師や藤堂高虎とも
関連のあるしずかなお寺でありました。
あ、なんかここにきて
入館料がいらないと
見方がどうも雑になってきましたねえ。
いけません、いけません、
しっかりと見学していきましょう。
この寺を出て、搭西坂と
名付けられた道を上がっていきますと、
道は国道25号に出てきます。
この道をいったん北の方を
向いて上がっていきましょう。
目的としているのは、
現存する小学校校舎として
三重県で最も古い
「旧小田小学校」です。
大阪府で一番古いところには
何年か前に行きましたね。
豊中の「旧新田小学校校舎」でしたね。
あの校舎の建設年月日が
明治33年でしたね。
で、ここはというと、
なんと明治14年築造と
19年も古い。
そのわりに塔が立っていたりして、
見た目は進んでいますねえ。
ではちょっと中に入って
行ってみましょう。
庭にはこんな俳句の碑が、
「雁来れば すぐ初霜や 伊賀盆地」。
この小田に生まれた昭和の俳人
「橋本鶏二」の作品です。
数多く門人を育て、
三重県民功労者と言われています。
そしてその横には、
この場所の北緯と東経が刻まれています。
さすがに小学校ですね。
そういえば堺市泉北の
美多禰神社の境内にも
こんな位置表がありましたねえ。
よくみると、さすがここは三重県、
経度でいえば堺市とじゃ
1度近く違うんですねえ。
では建物を見てみましょう。
まず、柱は中央部が
若干膨らんだエンターシスですねえ。
法隆寺の柱にも使われている形式ですねえ。
そして門の上には
竜の彫り物が施されています。
あっ、門の横に
「参観できます」と書かれてあります。
じゃ中に入ってみましょう。
え~っと、正門からでええのかな?
ん?入館料100円。
参観で金とるんかい~!
などと馬鹿なことは言いませんよ。
学校ですから・・・
ええ子にしとかないとね・・・。
友達100人作らないといけないしね。
あっ、最近のブログ読者は
100人以上は入るようです。
ブログで友達100人作りましたあやね~。
え~っと、この時点でもう
このブログに乗せる
写真の組み立てはできています。
教室に入って行って、
おかれてある椅子に座って、
はいこれ。
「はい、そこのdoiron君」
「はい、その答えは“アモーレ”です」
ってどんな質問や。
とまあ、こんなくさい旅姿の
紹介は思惑通りですな。
そしてこの学校内には、
市民等のご尽力、ご協力により
様々な資料が展示されています。
これはかつての「教育勅語」。
ああ、この教科書は
以前ブログに書きましたねえ。
バックに乗ってる「桜」や
「山」や「雲」の景色も
みんないっしょです。
ページをめくっていくと、
上部に展示されてる教科書のように、
「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」
も載っているのでした。
で、これが昭和36年の教科書だから、
たぶんdoironもこういうので
勉強していたのでしょう、
と続く。
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