ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

二上山に参上 2

2015年07月14日 21時22分06秒 | ウォーキング

二上山は、その名前が示すように
ちょっといびつなフタコブラクダのような形をしている。



その北側のコブを「雄岳」、
そして南側のコブを「雌岳」という。

今回の登山は北側から入ったので、
まず雄岳に到着した。

ここがその山頂。



ネットを見ていたら、
この山頂の標識を自作して、



自分で持ってあがり設置した



「ueda」さんという人の記述に出会った。

ご苦労様です。

不思議なことにこの雄岳には三角点がなく、
隣の40mほど低い雌岳に三角点がある。
神社の私有地だからなんだろうか。

そう、ここには葛木坐二上(かつらぎにいますふたかみ)神社がある。



神社は葛城古道沿いにあった
数々の葛城の神々を祀る神社と
出自は同じとこらへんにあるんでしょうねえ。

この神社の横で、昔この山でよく見た
オカトラノオが咲いているのをまた見かけた。



いやあ、久しぶりって感じやったなあ。

そしてその奥には大津皇子の墓もある。
大津皇子は反逆者として
自決させられた悲劇の皇子で、
さすがに大和を見下ろすのではなく
大和に背を向けるように葬られているそうだ。

でもなぜそれなら大和から見える
山のてっぺんなんかに墓を作ったんやろ
と思ってたら、あとでその答えを知ることになるのだ。

そうそう神社の横には、
葛城二十八経塚のひとつ

第二十六経塚があった。



役小角が法華経を埋納したといわれるのが経塚で、
第一番は何度も行こうとして
“陰謀”に阻まれた友ヶ島にある。

そこから、先日登った飯盛山の麓(第四番経塚)、



犬鳴山(同八番)、和泉葛城(同九番、十番)、
岩湧山(同十五番)、金剛山(同二十一番)
と北上してきて、
最後はなんと大和川の流れの中の
亀ヶ瀬といわれる二十八番まで続いているそうだ。

これを訪ね歩くのもまた計画してみようかな。

役小角のように最後には
空中を飛べるようになるかもな。

そんな雄岳を後にして次は雌岳だ。

鞍部のトイレで用を済ませてから、



雌岳に向かった。

こんなアジサイのみちも



風情があるではあ~りませんか。

で、ここが雌岳山頂。



三等三角点もある。



ここで見つけたのが、
「太陽の道」の案内看板。



淡路から伊勢まで続く同一緯度線上に
太陽信仰と山岳信仰の
古代祭祀遺跡が並んでいるそうだ。

そんな太陽の道を象徴するものとして
作られてあったのが

この「日時計」。



たまたまお昼だったので、
日時計の影をたどってみたら、
さすがにピッタシの時間を指していました。

そんなわけで、この雌岳山頂の広場で
お昼ごはんとなった。

今日は、メンバーの一人が
doironのお弁当を作ってきてくれました。

これ。



うひゃー、こんな豪華なお弁当なのに
ビールの無いのが無念じゃ。

弁当を食べながら、
まわりを眺めていると、
蝶々がたくさん飛んでいるのが目に入った。

中にはアゲハのような個体もいる。
むむ、ギフチョウかと思ったが
それは単なるアゲハのようだった。

ここまでの道を歩きながら
ずっと見ていたが、
ギフチョウの食草である
カンアオイ属の植物はひと株も見なかったもんなあ。

復活のためにはまずそこのところだろうて。

この日の山頂の温度は22℃。



道理で汗もほとんどかかないし、
絶好の登山日和ではあった。

さて、腹ごしらえも済んだところで下山開始だ。

その時点でここからどこにおりるか
詳細はまだ決まっていなかった。

リーダーが参加の皆さんにどうしますか?
と尋ねたところほとんどが
「当麻寺」の方におりたいとのことであった。

折しも義父さんの亡くなったのが一年前の今日だった。

つまりこの日は命日なのである。

まるで運命に導かれるように、
義父さんの眠る当麻寺へ
降りて行くことになった気がした。
不思議なこともあるもんじゃなと思いつつ、続く。


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