ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼七十四番甲山寺

2016年09月24日 21時27分54秒 | ウォーキング

今回の一番お寺である
善通寺は過ぎましたが、
四国めぐりという点では
1寺にすぎません。

次は74番甲山寺を
目指していきましょう。



善通寺が空海誕生のお寺だったとすると、
この辺のお寺には
空海が子どもだった頃の
話が残っているそうだ。

彼は親からお前は僧侶になる
といわれて育ったそうだ。
なので土などを掘りながら
泥土の仏像を作っていたそうです。

で、あるとき、善通寺と
曼荼羅寺の間で老翁が表れて
ここの石を刻んで毘沙門天を掘りなさい
と言ったそうだ。

その像を刻んだお堂の入り口に
お堂を立ててお寺を
設けていったとのこと。

最終的にその山の形が、
カブトムシなどの「甲虫」の
背に似ていたので「甲山寺」
という名前になったといわれています。

今回の絵はそんなお堂の
前に立ったお寺を絵にしてみました。



実際に行った時には、
お堂の中にどっと10人以上が
入ったので、ただでさえ暗い道内が、
人出が入口の光を防いで、
ますます暗くなって何も見えませんでした。



が、あきらめず最後まで残って
全員が出た後になって、
ようやく毘沙門天が見えるようになりましたな。

暗いお堂内に像はしっかりと
立っておりましたな。

絵では、そんなお寺の暗い感じを
もう少し浮かび上がらせかったのですが、
ちょっと物足りない絵に
なってしまったかな。



そして、ここのお寺周辺には、
これもぜひ近くまで行って
見てみたかったところがあります。

ツアーなのでそれは望めませんが、
それは空海が開発を命じられた
「満濃池」というため池です。

香川県は温暖少雨で、
昔から水の少なさに悩まされてきました。
なので農産物ができるための水がめとして、
ため池が多く作られてきました。
今も県内には1万4000近い
ため池があるそうで、
この満濃池はその中でも最大のものです。

これは空海が子どもの時の仕事では
もちろんありません。
48歳の頃のことです。

もともとこの池は3年を費やしても
できていなかったのですが、
すでに空海の高野山の
金剛峯寺建設での指導ぶりが買われて、
ここにため池を完成させるように
派遣したそうです。

すると、土地の人からも
慕われているおかげで、
やく3月で竣工したといわれています。

その時に朝廷から送られた報奨金で、
堂宇を立ててこの寺甲山寺が完成したそうです。



こんな事跡が数々と残されていることから、
各地で伝説を残していったのですね。

これまで歩いた中でも、
弘法大師=空海が掘って作った
井戸というのがいくつあったことか。

讃岐の人は、空海を人として考えられず、
うろたえてしまうが、
空海を人以上のものとして
考えるようになってようやく
気持ちが落ち着くのだそうだ。

井戸や爪書き地蔵など
熊野古道を歩いているときでも、
それはそれは各地に空海の
伝説が存在するのだから、
生まれ故郷の人々の心に
空海がいかに強烈に刻まれているかは
もう我々の理解を
大きくこえているんじゃないかと
想像できますねえ。

空海さんのおかげで
人がたくさん来てくれた。
そしてそれが我々の生活や
心を満たしてくれた。
いかに大きな存在なんでしょう。

そんなことを思うと
本堂や太子堂で上げるお経にも
ついつい力が入ってしまう。

もうここまで何回唱えただろうか、

般若心経。

きっちり覚えているわけではないけど、
なんとなく言葉がところどころ
つながってきている。

お経は100万回唱えると
自分のものになるという考えがあり、
空海は四国修行でそれを行ってきた。

まあ、100万回は無理だろうけど、
車のHDDにお経を覚えさせ、
折に触れ聞いていると
少しずつ近づいているような
気にはなりますね。

お経を聞きながら車に乗っていて、
例えば駐車券の確認や、
知り合いとあった時に窓を開けると
「おやおや~」て顔をされますわ。

でもこんどはジムで聞きながら
運動してみようかななんて
近頃考えている次第なのだ。

続く


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