ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

四国巡礼七十八番郷照寺

2016年09月20日 20時53分01秒 | ウォーキング

今日は同窓会ツアーから早く帰ってきたので
頑張ってこれを書いています。

うう~次のツアーも詳細が決まったし
前回分を思い出すのがたいへんだあ。
さて、では七十八番のお寺参りから
再開いたします。

=====

こういうお参りツアーについてくる
旅行社の人も大変そうですねえ。

宿に入ったときに、
それとなく聞いてみると、
こういう泊りのツアーは
少なくても月7~8回あるとのこと。
ヒャー、大変ですねえ。

確かに自分の持っている
荷物なんかも見てみると、
いかにも旅慣れていそうな感じである。

また、お寺についたらついたで、
みんながお参りに行くときに
一人で納経帳や掛軸、
人によっては白衣まで預かって
納経してもらうために納経所へ運んでいく。

雨が降ったら大変だろうて。

あるお寺で納経所の横を通ったら、
その添乗員がドライヤーを
振り回して納経していたのを
乾かしているのを見かけたよ。

汚したらいけないから、
その辺も大変だろう。

そしてまたバスの中では、
乗客の反応を気にしながら
いろいろと案内をしてくれます。

この時も
「え~っと、
みなさんが大変協力してくれたおかげで、
今日のお参りも順調に
こなしてこれましたので
あつくお礼申し上げます。
で、時間的にまだ余裕もありそうなので、
明日の分を今日もう少し
回っておこうと思うのですが
よろしいでしょうか」
と呼びかけもありました。

賽銭のことやらろうそく、
線香のことなどもありますし、
納め札の日にち的なこともあるので
聞いているのでしょう。

でも、まあだいたい客は
そうしてもらうと
明日の帰りが早くなるので
賛成でしょう。

ひょっとしたら来月の分まで回る・・
とはいきませんからね。

で、結局時間的に見て
あと2寺は行けそうですので
全員賛成で前倒しで回ることになりました。

次のお寺は78番郷照寺です。

え~、最近「空海の風景」という
司馬遼太郎の作品を、
ジムでバイク漕ぎながら読んでます。

空海の様子を彼の文書や
手紙などから読み解くものです。

かれが中国にわたり密教を
身につけたこと、
最澄とのやり取りが
こういうことだった
というのが今読んでいるところです。

まあ、つまり空海は
日本で初めて密教を
自分のものとして
帰ってきた人なんですね。

そしてその宗教は「真言宗」として
広まっていきました。
なので、この四国のお寺の宗派も
多くが「真言宗OO派」としています。

しかしながら、
この郷照寺はちょっと違います。
もともとは行基によって
開基されたお寺です。
その後中国から帰ってきた空海が
荒廃していた伽藍を改築し、
「郷照寺」と名付けて
霊場としたということです。

だからまだその頃は、
身につけた真言を唱える
お寺だったのでしょう。

その後、一遍上人が
この寺にとどまって
踊念仏の寺として中興したそうです。

しかしまたその後兵火で焼失しましたが、
建て替えられたときに
一遍上人をしのんで、
彼が開祖となった

「時宗」

のお寺となったわけですねえ。

時宗がどういうものかは
あまり知りません。

何でもかんでも人に聞くことなく
自分で学ぶ、
「自習」する寺・・・
というわけでもなさそうです。

ではdoironはここの何を絵に描くか、
これが問題です。

入口にある「開運大吉地蔵」も
いいかもしれません。



また、本殿の天井に



飾りがつけられてあるのも
捨てがたいですねえ。



お参りをしながら
そんなことも考えていました。

で、結局この寺には
「さぬきの三大ポックリ様」
といわれる石仏がありますので、



それを入れて書くことにしました。
それがこれ。



石仏の顔を描くのがむつかしかったなあ。
それとやはり本堂が
こってりしか描けず
往生しました。

まあ、ここでは自分でも
ぽっくり行けるように
お祈りはしっかりしておきましたよ。

八十八か所のお寺の中で
唯一瀬戸大橋を眺める
ことができるという
景色を眺めながら、



ちょっと暗くなり始めた景色の中、
我々は次の77番道隆寺に
向かうのでありました。

続く


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