ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

浪速何でも御堂筋5

2014年06月16日 21時19分47秒 | ウォーキング

ん?まだ御堂筋歩いてたん?
ブラジルに行ってたんと違うん?
もう御堂筋はええやん。

という声が聞こえてきそうですが
出かかった何とかなので
何を何させてくださいよ~

では御堂筋ウォークを再開します。

栴檀木橋の南の橋詰には、
この橋の歴史が展示されています。

橋の高覧部の端にある柱には
様々なものがあります。
先ほど通ったなにわ橋の
ライオンが座っているのもそのひとつで、
これを親柱(おやばしら)といいます。



これまで歩いてきた中で、
橋の名前を紹介する時には
たいていこの親柱の写真を紹介しました。

紀の川に架かる川辺橋の親柱には
和歌山城が描かれていましたね。



これが栴檀木橋の大正時代の親柱、



そしてこれは昭和初期のもので、



これが現在の親柱です。



この橋からは生駒連山を背景に
大阪城が望めたそうですが、
今はビル群の眺めになっています。



足下は、橋の先に見える
煉瓦造りの中之島公会堂の姿にあわせて
レンガを敷き詰めたデザインになっています。



橋の上から眺める景色が、
今昔併せ持った多彩な景色で
ファンの多い橋なのではないでしょうか。

渡りきると目の前がその公会堂。

会議室なども借りられるそうです。

建物を眺めていると、
一昨年のクリスマスの頃、
この建物のプロジェクションマッピングを見た時の
とても楽しい記憶がよみがえります。



また、大阪国際女子マラソンの応援を
このあたりでしたのも思い出します。

北の橋詰を左折し、
公会堂と図書館の間を抜けていくと、
今度は堂島川に架かる「水晶橋」にさしかかります。



川面に映る夜景の灯りが
まるで水晶を散りばめたように
キラキラしていることから名づけられたとか。

車も通れないから橋の上はなかなかの憩空間です。

橋の上から写真を撮っている人もいました。
JRのパンフレットでも
ここを一番のビュースポットに挙げています。



おお~、ここでも川床が気持ちよさげですねえ。



橋を渡りきったら目の前が裁判所です。
かつての職場で、
一時期裁判の仕事をしていたことがあり、
よくここに足を運びました。



訴えられていた側だったので、
被告席に座っていました。

結果はすべて勝訴だったのですが、
結局相手には納得してもらえず、
裁判に勝って争いに負けた形になったのは
心残りでもあるところです。

当時の判決文が手元にありますが、
被告欄に名前が載るという
貴重な体験をさせてもらいました。

当時、こうして裁判所の周りを歩くなんてことは
想像もしていませんでした。

弁護士と打ち合わせで入ったお店が、
今も裁判所の周りに残っています。

当時、気がつかなかったのですが
裁判所の植え込みの中には
こんな石が建てられてあります。



佐賀藩の蔵屋敷跡の碑です。

裁判所の駐車場を整備する際に、
発掘調査をしたところ判明したそうです。

調査では船が入る水門や石垣も見つかったとか。

大阪湾から入り、浪速をめぐって
淀川から京都にもつながる堂島川や土佐堀川が
水上交通の幹線であったことを伺わせますね。

裁判所の周りには、
こんな蔵屋敷跡も残っています。



裁判所の北側には、老松通があります。



裁判所で競売にかけられた骨董品や
絵画を入手するのに都合がいいからでしょうか、
骨董品や美術商のお店がずらっと並んでいます。

自分でも絵を描くので、
ウインドウに並べられた絵画の中でも
自然の姿を描いた絵にはいちいち反応してしまいます。

「いい仕事してますねえ」と言いながら眺めていたら
ミセスに「あんたも頑張りや」と言われてしまいましたわい。

老松通りを抜けると再び御堂筋に出ます。
そこにはこんな立派な道標が立っています。





ここから800mほど東にある、
大阪商人の心の支えであった
天満宮への案内石です。

少し前までNHKで流れていたドラマ「銀二貫」は
大阪の寒天問屋の話でしたが、
その中でも天満宮のことが頻繁に出てきました。

大火事で焼けた天満宮の再建のために寄付する
銀二貫にまつわる心温まる時代劇でした。

天満宮にも一度じっくり挨拶をせねばと思っています。

さあ、遠くに大阪駅方面も見えてきました。

この歩行旅もそろそろ終点です。

最終回に続く


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