ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

生駒おろしの中を1

2019年01月19日 21時00分20秒 | ウォーキング

さあてブログの方も
2019年の歩きの方に
入っていきます。

新年は、あちこちに初もうでに
出かけました。
といっても今年は近辺で、
曽根神社をはじめ穴師神社、
葛葉稲荷に歩いて出かけ、
和泉国四宮である「積川神社」にも
車で出かけました。

まあいずれも歩きとしては
近場だしあとは車で、
歩き旅行というほどのものでは
ありませんでした。

では、今年の最初の歩きは
どこに行こうかと考えてみると、
一ヵ所気になるところがあります。

昨年42年ぶりに再会した
中学校の友達が、
今住んでいるという大東市です。

この友達の住んでいるところの景色を
一度見ておこうかと、
地図をにらんでいたのです。

ああ、この辺は前の巨木を訪ねての
ドジ旅であるいた四条畷の駅の
近くになりますねえ。
だったらそれの延長で
歩いてみるのはどうだろうかと
よく見てみると、その四条畷の駅から
友達の家のあたりまで
東高野街道が通っているではないですか。

そして、その道沿いに
四条畷神社や野崎観音もあります。
そしてそしてなんと友達の家の近くには、
あの高校野球で有名な
「桐蔭学園」があるではないですか。

しかもこの高校は野球だけではない。
あの高校ラグビーでさえも
決勝に進んでいるという強豪校だし、
なんとdoironが歩きに行こう
としている日はその高校ラグビーの
全国大会決勝で神奈川の
桐蔭学園と戦うという日だった。
そういわゆる「桐蔭対決の決勝」の日なのだ。

ああ、これはもうここに
歩きに行かなくてはなりませんね。
さっそくコースづくりを行い、
新年1月7日に電車で
今年の初歩き旅に出かけて
行ったのでありました。

スタートの四条畷駅は、
以前のドジ旅で、巨木を訪ねて
行ったところである。

四条畷という名前の駅なのに、
四条畷市内にはなく
大東市にあるという
ちょっと変わった駅なのである。

ここがその駅。



以前はここから西向いて歩き、
小楠公の墓地の大クスノキから
ずっと歩き始めたのですが、

今回は東向いて「四條畷神社」へと
歩いていきます。

これが小楠公の大クスノキで、



これが反対の山向いた今回の歩く道ね。



ああ~ここの酒屋にdoironの人形が・・・
て、ちゃいまっせ~。



でも思わず立ち止まって
写真撮影してしまいました。

駅前からの道と、
昔の旧外環である国道170号との
交差点にはこんな案内板が
出ていました。



そうなんです。
この国道こそが、東高野街道なんです。

堺から河内長野を経て
高野山へ行く「西高野街道」は
河内長野まで歩いていますねえ。

でもこの東高野街道は
京都から高野山への参詣道で、
数ある高野街道のうち
一番東側を通る道です。

大阪の湿った土地を避けて、
生駒の山道辺りを
通っていくのですが、
どうも既存の村々を通って
できた道ではないそうです。

計画的に京都から高野山参詣を
目指して作られた道ではないか
といわれています。

ということは、

「身は高野、心は東寺に納めおく」

とした空海がせっせと
通った道なのかもしれませんね。

そんな高野街道の道標に基づき、
どんどんと山の方へと上がっていきます。



結構傾斜が急ですねえ。
正月にゆるんだ体を起こしてくれます。

それに上から風が吹き下ろしてきます。
生駒おろしという風ですかね。

で、この辺りはもうちゃんと
四條畷市に入ってますねえ。

市の木のクスノキや
サツキをあしらった
マンふたがありますよ。



こんないくつかの地蔵さんを



見ながら、風に向かって山を



登っていったところに
四条畷神社の入り口があります。



この神社の祭神の一人が

「楠木正行(まさつら)」

であの楠木正成の嫡男であります。

正成が「大楠公」といわれたのに対し
彼は「小楠公」といわれる武士で、
今日の歩き始めには
大きなクスノキのある彼の墓地を、



遠くから眺めながら
坂道を登ってきましたね。

22歳で亡くなった彼も、
地域のヒーローだったのでしょう。

続く


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