城下町といいますと、
これもまたいろんなところに
行きましたねえ。
最近だったら篠山や
郡山
なんかもそうでしたね。
それぞれの城に応じて
それらしい景色が広がっています。
ここ龍野もなんか
みんな忙しそうにしている中、
どこかでほんのりしている
そんな感じでしたな。
ここは「カネヰ醤油」ですね。
これも明治に生まれた会社です。
藩から「ゐ蔵」を払い下げられ
それを継いだのでこういう名前です。
一瞬入ろうかなと思ったのですが、
入ったら買わないとねえ。
それにちょっと醤油を持って
歩きまわるのもどうかな
とためらってしまいました。
なので入らなかったのです。
しょーゆーことです。
このあたり道が大きな交差点になっており、
人の集まりそうなところやね
と思ったら、昔から
「角目」という地名が
名付けられているようです。
doironの住む町にも、
住居表示には出てこない
昔からの地名があります。
もう今はほとんど知られていないのですが
「じぞうみち」「はたちすじ」
「みずいけ」なんかもありますねえ。
そんな地名を昔の人から
聞いたことがあるのも、
たぶんdoiron世代が
最後になるんでしょうねえ。
この龍野の「角目」は今も残っていて、
「かどめ公園」などという
名前に使われたりしています。
広い広場や
トイレがあったりして、
観光客や地元の人にも
よろこばれていますねえ。
またあたらしい道標が
建てられていたり、
立派な道案内なんかも
建てられており、
まあ何となく昔の人々の
寄り合いパワーがそのあたりには
潜んでいそうな
そんな気のする場所でした。
ここのおうちも観光に
役立とうとしていますねえ。
あっ、うすくちしょうゆ饅頭
なんてのもあるんですねえ。
もう食べなくても
味がわかりそうな気がしますねえ。
そしてここは交番です。
いやあなんかこった建物ですねえ。
悪いことしたら、
打ち首にされるかもしれませんね。
この辺りは背景に立派な山がありますねえ。
これが「鶏籠山」で、
昔の龍野古城はこの山の上にありました。
結構しっかりした独立峰で、
揖保川のところからも
こんな風にしっかり見えていましたよ。
鶏を入れる大きな
籠みたいな形だから
こういう名前になったんやろねえ。
自分が子供の頃は庭で鶏を飼っていました。
卵を撮ったりしたんでしょう。
子供の頃に「とり~」とかいって
追い回していたと、
母親は生前に言ってましたねえ。
ああ、もうその頃から
マラソンに目覚めていたんでしょうか、へへ。
昔はdoiron近辺でも
こうして鶏を飼っていた家が多く、
あるおばあちゃんは
これをさばくのが上手で、
裁き時にこの人の家で
首のない鶏が走っていたのを
姉は仰天して見たそうです。
こういう立派な名前の
ついている山を背景に、
龍野の村は続いていきます。
反対側の道も昔風でいいですけどね。
そしてここが
うすくち醤油の資料館です。
古い醤油蔵を修復した倉庫と
会社を加えて誕生したところです。
うすくち醤油の生産工程が
わかるところだそうです。
入ろうかなあ、どうしようかなあ
と一瞬悩んだんですが、
この後の歩きを考えたら
ちょっと時間的にためらってしまいました。
それにねえ、有料だったしねえ。
先へと進んでいきましょう。
ここは龍野小学校です。
グラウンドで子供たちが
体育の授業をしているのでしょうか。
でもねえ、あまり元気な声が
聞こえてきませんねえ。
あ、そうかあこの辺は子供たちも
うす口なんでしょうか。
そ、そんなことはありませんね。
で、ここをすぎるといよいよ
こんなところに出てきます。
道標には龍野城址と書かれてあります。
では入っていきましょう。
続く
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