あと他のこんな石碑や
「二面石」も眺めて本殿にお参りして、
さあ、熊野古道に戻っていきましょう。
こんな虫籠窓のある古い家なんかも
眺めながら歩きます。
そしてようやくたどり着いたのが
「大鳥居」という名の交差点です。
この交差点の名前は何て読むと思いますか。
「おおとりい」
いやあそのまんまじゃなくて、
なんと「おんどり」と読むそうです。
ん?でもその名前の根拠となる
大鳥居はどこにあったっけ?
と探してみましたが
これはわかりませんねえ。
調べてみると、この交差点は
熊野古道と根来街道の交差点で、
かつては信達神社の一の鳥居が
根来街道をまたいで立っていたそうですが、
今は車の通行の邪魔になってきたので、
線路の向こうに移されたそうです。
だから交差点名は
そのころからの名残ですねえ。
その交差点の右奥には大きな池があります。
堤防に登っていってみましょう。
大きなため池ですねえ。
鳥がいっぱいいます。
池の周りには遊歩道がついているので
歩いて行ってみましょう。
まあ、これもまたため池でしょうねえ。
この辺り、ていうか堺から
泉南の方にかけて
ため池はとても多い。
意外に今の現代のわれわれも、
昔の人たちの技術や作業に
守られて生活しているんですよ。
遠くで鳥が鳴き、水音が
パシャパシャ音を立てている風景は、
今も昔も変わらずそこにあるんです。
ため池をくるくるって回っていくと、
道はフェンスで突き当り、
田んぼの中を抜けていく
あぜ道を見つけて歩き、
元の熊野古道へと戻っていきましょう。
しばらく歩くとそこに
「熊野街道緑の一里塚」
という広場がありました。
入り口のところに
「伝 信達一ノ瀬王子跡」
と書かれています。
そうですね。
以前はここを「後鳥羽院御幸記」や
「大阪府全志」にも記載のある
「信達王子跡」と書いていましたが、
今はこんな風に書かれているんですねえ。
「伝」がついてますから、
諸説があるんでしょう。
おっと、ここに祀られている
馬頭観音もおがんでいかないとねえ。
これからG1の季節、
「競馬会の陰謀に打ち勝てますように」っと。
さて、この王子跡のところで
熊野街道へ向かう道から
左に道をそれていきます。
熊野さん失礼します~といって、
道標に沿って山方向へと
向かう道に入っていくのです。
すぐにため池に出ますね。
ここは蓮池というそうで、
確かに季節が来たら蓮の花が咲く雰囲気です。
道はどんどんと山の中の方へ
入っていき、やがてJRの踏切に
やってきます。
おお~この踏切の名前がもう
次に目指してゆく「林昌寺」
という名前になっています。
それにしても阪和線で、
こんな山の中みたいな踏切を
砂川のそばで超えていたのかなあ。
これからは少し注目ですねえ。
のどかな山里に入ってくると、
もう林昌寺は近くです。
この坂道を上がっていくと、
見えてきました。
この寺の見どころはねえ、
なんといってもこの見事な
ツツジ・サツキの庭園です。
山の斜面を利用した見事な庭園ですねえ。
ツツジ・サツキがまるで
迷路のように植えられています。
今回行ったときはこんな様子でしたが、
花が咲くとこんな感じになるそうです。
きれいですねえ。
狸次郎が散歩するのには
ちょうどよさそうです。
平安時代後期、堀河天皇が行幸のおり、
山躑躅(つつじ)が見事であったことから、
この寺の山号を「躑躅山」と
改めたという歴史があります。
重森三玲(しげもりみれい)氏作庭の
モダンな寺庭では、毎年5月、
ツツジに続いて美しく
刈り込まれたサツキが見頃を迎えるそうで、
これは見に行けたらいいなあ。
振り向くと町方面の
眺めの良いこの寺で、
本殿にお参りをして、
さあコースはこのあと
この寺の裏の山の方に入っていきます。
続く
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