ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

真夏のお年玉

2013年08月11日 22時21分18秒 | 最近の出来事

ブラリ、オジチャリは一旦休みです。
昨日の出来事をぜひ書いておきたいと思います。

列島各地で気温がどんどん上昇し
四国や関東で40度以上の猛暑となった昨日。
昼間からりんくうに買い物に行き、
来秋使用するグッズをいろいろと求めてきた。

最近、食指を伸ばしていたのが
チョークバッグだ。

といっても今さらクライミングなどするつもりではない。

先日来のオジチャリでも
最も不便を感じた
カメラの収納の問題の解決を図りたかったのだ。

色々と物色をして、ようやく見つけたのがこれ。



今春買ったリュックと同じメーカーでしかも同色だ。
これは以前から、コロンビアの派手派手バッグと
どちらにしようかと迷っていた品物だ。
今回行ってみると、なんと値段が65%引き。
もう迷わず買ってしまいました。

ところで、そんな買い物に行く少し前に
長野に住んでいるジュニアdoironから
メールが来ていた。

「今年の夏は、大阪に帰ります。
今から車で家を出ます。」という内容であった。
ほう、正月も帰ってこなかったから
久しぶりの帰省じゃん。
まあ、いつかそのうち「帰ってくる」が「行く」になるのかなあ
と思いながら、「気をつけて」と返事をしておいた。

とはいえ、長野からでは早くても7時間くらいは
かかるだろうと、余裕で買い物を楽しんだ。

そして帰宅したころ
またまたメールがきて

「今、草津。なんと25kmの渋滞に巻き込まれた」とのこと

京滋バイパス方面に抜ければいいと
言ってあげたが、時すでに遅く
そのまま、大津、京都、吹田と渋滞に乗って
帰るコースに入ってしまっていた。

一方テレビでは、世界陸上女子マラソンも渋滞を抜け出し
やがて野口がリタイア。
これは可哀そうでした。
結果的に、練習で走ったタイムで走っていれば
メダルも取れたのにと思うと
そんなレベルの戦いは想像もつかないが
レース本番にはやはり魔物が潜んでいるんだなと
思わずにはいられない。
リスクはあるが自分のタイムだけ意識して
マイペースの走りをしてれば・・・
というような走りは、こういうBIGな戦いではできないんやねえ。

そのうち、前を粘って走っていたあの天真爛漫娘の
福士が三位に躍り出て
銅メダルが確定したころのことだった。
ようやく、ジュニアも渋滞をぬけだして
大阪に入ったと連絡があり
あとはマラソンもジュニアも無事ゴールを
願うのみとなったわけである。

スタジアムで、福士がめちゃ関西弁で
インタビューを受けている頃に
ジュニアも無事帰宅してひと安心。

その夜にさっそくビールで酒盛りし、
いろいろと話をした。

何でも、最近野尻湖トライアスロンで
ボランティアをしたそうだ。
一番の役割は、スイムコースの整備で
フロートにレンガを括りつけて
コースに沿って沈めていく作業を担当したそうだ。
そんな話を聞くのはとても楽しいもんやね。
今度選手で出てみたら、というと
ひとこと、無理!だって。

それにしてもこの大会
ネットで見てみると
スイム1.5キロ
バイク45キロ
ラン11キロと
51.5キロよりも少し長いという
距離であるにもかかわらず
優勝タイムがサブツーと
驚くべきレベルの高さでした。

ほかにもジュニアの仕事の話や
今、doironがやってる仕事の話をしていたら
なんと成り行きで
今、猛烈にdoironが欲しいと思っているiPadをボーナスで
ジュニアが買ってくれることになった。
ありがたいことである。

今日、気が変わらんうちにと
さっそく電気屋さんへiPadを買いに行ったのは言うまでもない。

これ



う~ん。iPadを手に入れたのもうれしかったが
ジュニアの稼ぎで買ってくれたのが
さらにうれしかったにゃあ。
思わず目じりが下がったぜ。
え、いつも下がってるやろって?
ほっといてんか

すぐに箱を開け、中身をとりだしてみると
何ですね、近頃のこういうパソコン関係って
マニュアルがないんやね。
使いたかったら自分で勉強しろということかね。
精密機械業界にいるジュニア曰く
「質量のあるものは出来るだけ削減していってるのが
最近のこの業界の傾向」なんだそうだ。

ワクワクしながら開梱し、とりだした機械に
真っ先に電源を入れ、まずはネット環境を整えた。
ネットがつながっていないと意味のない代物やからね。
すでに手持ちのiPhoneとデザリングして接続。
WiーMaxとかがあればなおいいのだが
自分で触るときには必ず携帯を持っているので
これで十分。
その後、さまざまなIDやパスワードを取得し
ようやく設定完了。



あとは、いろいろと無料アプリを手に入れて
順次機能を向上させて行こうと思っている。

息子から真夏に思わぬお年玉をいただいた。


ブラリ、オジチャリ5

2013年08月10日 21時52分12秒 | 生活

「浜」を「破魔」とかけた地蔵尊。



そのお姿は、何と木彫りの地蔵尊でした。



石の地蔵と違って傷みやすいので
こんなに頑丈そうなお堂の中に
祀られているんですかね。

それでも、海に近く雨風も強く当たるだろうに、
考えたら少なくともdoironが走り始めた
25年以上前からある木像だとしたら
状態はいい方なのかもしれません。

一体、誰が彫ったんでしょうねえ。

そんな破魔地蔵からさらに南下していきますと、
doiron家の墓もある
春日町市営墓地にさしかかります。

この墓地の北西の角あたりにあるのが、
泉大津の旧跡を語るときに必ず登場する

ロシア兵墓地

明治37年に勃発した日露戦争で
捕虜となったロシア兵たちの墓89基が
ずらっと並ぶ異国情緒漂う墓地です。



写真ではバックにアルザタワーを配してみました。

ロシア兵たちはもうここにこうして
100年以上も眠っています。
周りの景色もずいぶんと変わりました。
今も地元の人たちが丁寧に管理をされているそうです。

現在、泉大津は毛布のまちとして
知られていますが、
そんな産業を支えたのは
意外にも、日清、日露の両戦争でした。
極寒の地での争いに毛布は欠かせず
生産が追い付かないほどの需要があったそうです。
価格も高騰し、泉大津市の糸偏産業は
かなりの好景気であったことが
容易に予想されます。
戦争という、悲劇の陰に
こんな出来事があったんですねえ。
そんな往時をしのびつつ
オジチャリは先に進みます。

ロシア兵墓地のすぐ西側、
消防署の北側にあるのが

飯田家墓所

ここは墓を意味する「三昧」をつけて
「淡輪三昧」といわれています。
泉南の淡輪を本拠地としていた
飯田氏の徹斎と呼ばれる人が
根来・雑賀の争いをさけて
この地に移り住んだんだといわれています。



写真の一番右の五輪塔がその徹斎の墓と推定されるそうです。

合掌をして次の道標を目指し、
市内の南端を東西に流れる大津川に向かいます。

オジチャリなので、できるだけ車では通れないところを
選んで走っていきます。

こういうことをしていますと、
道端なんかに立っている石にとっても敏感になります。
路地の奥にそれらしい石が見えたら、
そちらへ引き寄せられるように進んで行ってしまいます。

そうして古い家が密集している地域で頻繁に見かけたのがこれ。




個人の所有地であることを表す石標ですね。
人が多く住んでいますと、
何かと摩擦も多いんでしょうかね。
ありがたく通らせてもらいました。

やがてオジチャリ号は大津川に出ました。



ここは今年の9月22日に、
ランニング仲間たちが開催する
「第2回大津川さわやか三時間走」の舞台となるところです。
まだまだ参加者を募集しているそうですから
走ってみようと思われる方は
ぜひ、連絡してください。
アットホームないい大会ですよ。
ささやかながら、doironもお手伝いを
させていただきます。

それにしても川は広々してていいですね、暑いけど・・・。



堤防を走っていて、川の中で水遊びをする子供たちの近くで、
こんな看板を見つけました。



どひゃー、河童も溺れるんですね。
よい子の皆さんは気をつけましょう。

この川の上流に目的の道標がある板原の墓地があります。

堤防をチリンチリンと走って行ってみると、
そこで墓掃除をしている人がいたので、
「道標があると聞いたのですが」と聞いてみました。
すると、「どうひょうって何ですか?」と逆に聞かれちゃいました。

どうひょう、じゃなくて、どひゃあと驚いてしまいました。

そうかあ、世間の人の関心はこんなもんなんですね~。

簡単に道標の説明をし、
墓の中をウロウロすることをわかっていただいて、
探すことにしました。
言っておかないと墓泥棒やと思われてもね。

ここには3つの道標があると、
資料には書かれてありました。

で、汗を拭き拭き探し回って、
ようやく見つけたのがこの2基でした。





最初のものには「右 岸和田 左 高月」と書かれてあります。

高月というのは忠岡市内の町名ですね。
以前、このブログに書いた
狛犬がお尻を持ち上げて、
逆立ちをしている天神社のあるところですね。

そこでふと思いました。
逆立ちしている狛犬には、
もしかしたら「尻上がり」という
おめでたい意味があるのかもしれませんね。

ふたつ目には「左 わけ道」としか書かれてありません。
「わけ」とは和泉市の町名で、
室町時代の多宝塔や五輪塔のある妙泉寺というお寺があるところです。

この「わけ(和気と書く)」は、
道標には結構登場する地名です。
妙泉寺がよほど有名だったのか
あるいは交通の要衝だったんでしょう。
和気には熊野街道も通っています。

そしてその道標の崩れてしまっている右側には、
資料によりますと、実は

「右 久米田道」と書かれてあったそうです。

実際、平成20年にはまだ崩れずに読み取れたようです。
資料には写真も残っていました。

このあたりの道標は、
和泉砂岩という加工しやすいが
崩れやすい石材でできているので、
保存が課題となっているそうです。
さらに崩れそうな亀裂も入っていました。

課題って、もう遅いかも・・・。

ともあれこれで
市内にある7基の道標のうち4基を確認しました。
残るはこの板原の見つけられなかった1基と
豊中にある2基です。
その豊中の2基に向かって
オジチャリは今度は北へと進んで行きます。

ブラリ、オジチャリ6に続きます。


ブラリ、オジチャリ(旧:ママチャリ)4

2013年08月09日 21時12分58秒 | 生活

え~、この記事を昨日ご覧になった方も
おられるかと思いますが
昨日の地震騒動のことを
ぜひとも書いておかなくてはと反省し
日付をゴニョゴニュいじくって
その記事を掲載しました。
そのあとで本日新たにこれを
掲載しなおすことにしました。
中身は昨日と変わっていないので
読まれた方は、今日はお休みください

今日も介護と仕事の合間を縫って、
オジチャリで市内探索をしました。
え、聞きなれない名前だって?
そう、「ママチャリ」という名は
やはりdoironが駆るブラリ号にはふさわしくないので、
今回から友人のアドバイスと
ミセスのひやかしを参考に

「オジチャリ」

ということにしたのです。

そこで、今後は「ブラリ、オジチャリ」
というタイトルで掲載いたします。

さて、そんなオジチャリの旅も
4話目となりました。
これからもあちこちに出没することになりましょうが、
まずは自分の住んでいる地域を
もう少し押さえておこうと、
今日は市内のあちこちをめぐることにしました。

それに先立ち、図書館に行って
市史や郷土資料を読みあさり、
散策箇所をいくつかピックアップしてみました。

この時期の図書館はいいですね。
空調もしっかりしているし、
静かで落ち着いているから、
仕事の調べものでも多用しております。

隣の和泉市の図書館も利用できるので、
なかなか快適で便利な世の中になったものです。
(前からやろっ)

ただ、夏休みに入って
子ども達が多く出入りする時なんかは、
騒がしくてあきませんがね。

そんな図書館の資料を基に、
オジチャリでぐるっと回れるコースを設定し、
炎天下にギコッと漕ぎ出したdoironでありました。

まず最初に向かったのが、
松之浜にあるといわれている道標です。
市内には石でできた道しるべ、
すなわち道標が7基現存するといわれています。

精密な地図がなかった昔、
道標は旅人にとってとても大切なものだったでしょう。

道標にまつわっていろんな人々の思いも
交錯もしたんじゃないかと思います。
そう考えれば、道標はいわゆる
パワーストーンの一種なんですね。

その市内7基のうち、doironがこれまで確認したのは、
今年の4月12日のブログに書いたように、
助松の紀州街道沿いにあるこの道標のみなんです。



そこで今回は未知の道標をめぐりながら、
その途中途中の景色や遺物を拾い集めていくことにしました。

松之浜の道標は、
駅の一本西側の筋を
南進したところにありました。

ところで、この「松之浜」の地名の表記なんですが
駅の名前が「松ノ浜」であるし
資料によっては「松の浜」とも書かれています。
時代によって変遷したのかもしれません。
ここでは地名の表記である「松之浜」を用いることにします。

その松之浜の道標は、
昨年の地蔵盆でお世話になった果物屋さんの先にあり、
よもやこんなところにあったとは
当時は思いもよらなかったです。

それはこんな感じで、



電柱の陰にちょこんと据えられていました。
そこに書かれてあるのは、
南面に「右 信ノ田の森 葛葉大明神」の文字。



肝心の面が電柱の陰で読みにくい。
でも、向きを変えるとおかしくなるという
意識が働いたんでしょうね。
仕方がありません。

そして、これも今年の1月22日に
このブログに綴った「葛葉稲荷」への道を
標しているんですね。

それにしては、少し位置関係が
ずれているような気がしないでもない
と思っていたら、郷土資料には
多分もう少し北の助松のどこかに
据えられていたのかもしれない
と書かれてありました。

それで納得です。

東面には、この道標を寄進した、
貝塚の「嘉祥寺屋岩蔵」という人の名前が刻まれていました。



その人は明治の初め頃に
貝塚で櫛の製造に関わっていた人であることがわかっていて、
その櫛の商売の繁盛を祈って
商売の神様と言われている
「葛葉大明神」と刻んだ道標を寄進したんだろうと、
世間ではもっぱらのうわさなんです。
(どんな世間や)

そしてdoironが次に行ったのが、
その昔トレーニングでよく走っていた
臨海線の歩道のそばにある

「破魔地蔵」

この臨界歩道、今は海まで遠くの位置にありますが
埋め立てられる前のずっと昔はきっと波打ち際に近かったのでしょう。

松之浜の地名がまさしくそれを物語っています。

そんな「浜」近くにあるから
「破魔」すなわち魔を破る地蔵として
建立されたのでしょう。

走りながら横目でちらっと見ていた地蔵と
いよいよ正面からの御対面です。

それは松之浜2号公園と名付けられた公園にあります。



公園とは名ばかりで、
わずかな空き地にわずかな遊具と倉庫を置いただけのところに
デーンと煉瓦造りの立派な地蔵堂が建てられてありました。



どれどれと、中をのぞいてみると、
そこには、驚くべき意外なお地蔵様が
祀られてありました。

ブラリ、オジチャリ5に続きます。


すわっ、大地震か

2013年08月08日 20時54分26秒 | 最近の出来事

昨日の夕方、自室で仕事の原稿書きを
しているときでした。
かたわらに置いてある携帯が
何となく不気味な警戒音を発しました。
見てみると、

緊急地震速報 震度6強 およそ0秒後

と表示されていました。

しかも震源地は奈良とも出ていましたので
「津波はないな」とか「奈良に住んでる友達は
無事だろうか」などと瞬間いろんなことが
頭をよぎりました。

しかしこれはいかんと、冷静に判断し、部屋を飛び出して
階下で寝ている親父を叩き起こしました。

そしてベッド横の本棚を支えながら
その時を待っていましたが、
0秒後という割には、1分経っても2分経っても
揺れがありません。

そうしているうちに
飲み会に行くべく
丁度電車に乗っていたミセスから

「電車が止まった」とメールがありました。
なんでも、その時ほとんどの乗客の携帯が
警戒音を発し、車内に鳴り響いたそうです。

さらに警戒をしていたのですが
ピクリとも動きません。
親父はのんきに犬とたわむれています。
で、さらに情報を収集しようとテレビをつけてみたら

身体に感じる揺れは観測されませんでした。

というメッセージが出ているではありませんか。
ということは、これは誤報ということになります。

きっと暑さでコンピューターが誤作動したのか
それとも、震源地が奈良とのことなので
夏休み中でセミ取りでもしている
子どもたちが地震計をいたずらしていじったのか
などと思いつつも、ほっと胸をなでおろしたのでした。

それにしても、震度6強の地震が来ると
思った時のイヤな感触はしばらく残りましたね。

あの、神戸の震災の時に
この辺りは震度5強だったのですが
あれよりも強い地震が来るのかと思うと
ドキドキしちゃいました。
と同時に、実際に事が起こった時には
どうすればいいのか
きっちり自分の中になかったことを
思い知らされた出来事でもありました。
高齢者を抱える我が家としては
今一度、そのことをしっかりと
意識しておかなくてはと
改めて考えさせられた、誤報となりました。
もしかしたら、気象庁の
そういう企みだったのかもしれないと
思ってしまったほどです。

狼少年になる前に、そのへんの
原因究明はしっかりとしてほしいと思います。
それと同時に、人騒がせなと怒ることは
簡単ですが、この機会に
自分自身の防災の心構えが
ちゃんとできていたか
見つめ直す機会をもらったんだと
前向きにとらえることも大切なんじゃないでしょうかね。

あ、doironは別に気象庁の
回し者ではありませんぜ。


やっと、ゴーヤが

2013年08月07日 21時37分07秒 | 生活

ここ数年、すずしい日陰と
おいしい収穫を期待して
毎年縁側の大きな窓のところにゴーヤを植えている。

植えはじめた最初の頃は
驚くほどたくさんの実がなって、
手がゴーヤ臭くなるほど毎日食べていた。

そんな日除け半分収穫半分の栽培の中で、
日除けの方はまずまずではあるものの、
実の方は出来すぎて少々飽きてきた
ということもある。

そこで、昨年は実の小さい品種を植えてみたら
葉の茂り具合もさらによく、
できた実も食べ飽きるというほどでもない感じで
適度に実ってくれた。

それはそれで、いろいろと試してみる楽しさも
味わうことができてよかったと喜んでいた。

で、今年は何を試したかというと、
昨年実ったゴーヤの種を取っておいて、
それを植えてみたわけだ。

加えて、ご近所に分けてもらった朝顔の種も
一緒に植えて、そうしてできた緑のカーテンを
doiron家では、ハイブリッドエコカーテンと呼んでいる。

名前はさておき、
そういうことで、今年の種はすべて無料で
手に入れたことになる。

その分、少々土にはお金をかけて、
プランターに植えたらすぐに芽が出て、
梅雨明け頃から両者ともぐんぐん伸び始めた。
夕方、蚊に刺されながらも
せっせと水やりした甲斐があるってもんだ。

最初の頃は上に伸びたつるを横に這わせて、
葉の密度を濃くするようにしてみた
その甲斐もあって、今は結構茂ってくれている。

朝顔も、程よく伸びて
早くから紅白模様のおめでたい花を咲かせてくれているのだ。



と、そんな中にひときわ大きく白い花が・・・。



これは夕顔。
いただいた種の中に混じっていたのだろう。
この花は名前の通り昼過ぎからつぼみが開き始める。
早朝開花の朝顔と違って、
観察の機会が多いので
今年はじっくり見た。

大きな筆のような形のつぼみで、
ねじ込まれた花が開いてくる様子が神秘的だったな。
咲いた花も、きれいな白い大きなきれいな花だった。

そんな風に朝顔、夕顔は
期待通りに見た目で楽しませてくれているが、
収穫期待のゴーヤが全然実をつけないでいたので
気をもんでいた。

花は咲くものの、実のなる雌花が全然ない。

これは、昨年の種を使ったのが
悪かったかなあと思い、
来年はちゃんと種を買おうと決意していた8月初め。
ようやく小さな実をつけた。

それが今やこんな感じ。



よく見ると、ほかにもあちこちに
雌花が膨らみ始めているではないか。

きた~っ!ようやく収穫できそうだ。

写真の実が多分今年の初物となるだろう。

愛情込めて、チャンプルにし、
お盆には仏様にもお供えしてあげれたらいいな。


ブラリ、ママチャリ3

2013年08月06日 21時14分04秒 | スポーツ全般

一旦あきらめたママチャリの改造ですが、
やはりあきらめきれず、
百均の品物でちょこっといじってみようと再挑戦をしました。
今の時期、ブラリ乗りに欠かせないのが、



WATER、H2Oですね。

脱水禁物のdoironにはなおさら重要です。
かといってウエストバッグを腰に巻いて
そこに入れるのも面倒だし、
かごに直接入れるのもガタガタして
勝手がよくありません。

で、バッグに入れてかごに入れてみて
一旦は満足していたのですが、
やはりなんというかスマートではない。

そこで先日、百均に行ったときに、
偶然こういう品物を見つけたので買ってみました。



これなら改造というほどたいそうなものではないのでよかろうと、
つけてみますと、底が浅いために
ちょっとした段差で中の飲み物が飛び出してしまうではありませんか。

そこでもう一工夫し、
文房具のリングとパンツのゴムを使って
飛び出し防止機能を持たせてみました。

それがこれ。



これはなかなか具合よく、少々の段差もなんのその。
飲み物が外に飛び出す心配はないでしょう。
さらに目の前に水があることによって
水分補給をいつも意識していられるのもいいしね。

で、さっそく風の気持ちいい夕方に、
耐久性も試してみようと、
夕食までのわずかの間の短い時間を利用して
ブラリ、ママチャリの旅に出てみたのでした。

まず最初に向かったのが、
市役所近くの元踏切のところにある地蔵尊でした。

なぜ「元」踏切なのかというと、
今はその場所では電車が高架を走っているため
踏切が撤去された場所だからです。
なので、地蔵さんも撤去されたかなと思い、
行って見たらちゃんとありました。
ここに地蔵さんがあるということは、
多分その踏切でかつて事故でもあったのでしょう。
今の状況を身内の人が見られれば
時代の流れを感じて感無量でしょうねえ。

そこからさらに海の方に向かい、
紀州街道を南下して途中から泉大津駅の方に行きました。

市内随一の目抜き通りであるアルザ通りを東進し、
昔の水道みちに行きあたります。
そこから撮った写真がこれ。



ずっと奥の方にアルザタワーが見えるでしょうか。

昨年市制70周年記念事業で、
市内すべてのだんじりがこの道を曳行しました。
実行委員会に出席したのも
いい思い出です。

とまあここまでは車でも通れる道を
チリンチリンと行ったわけですが、
ここからは市内最大級の池浦の町中の
車では通れない細い道に突入していきました。

そしたら、あるもんですねえ、
旧家の軒先によくある、
いわゆる「イジワル石」のひとつに
道標があるのを見つけました。

これ。



とりあえず一番下は「道」と書かれてあるようです。
「首」だったら、なんかいわく因縁がありそうですねえ。
ほかはなんて書いてあるのかその場ではわからず、
とりあえず写真をパチリ。
家へ帰ってよーく見たら、
なあんや、「私設道」と書いてあるようでした。
てっきり道標を取りこんどると思っていたのですが
ちがっていたようです。

そんな入り組んだ狭い道をさらに東に行くと、
大きな公園に出ます。
周りを住宅と学校に囲まれた
独特の雰囲気の公園です。

その一角にあったのが、これ。



「大峰山上竜王講社」と書かれてありました。
そういえばこの地域は大峰山の山上参りが盛んで、
何度か誘われたことがあります。
一度も一緒に行けておりませんがね。

わたくし、こう見えてもわが村の講で
山上参りの「先達」の称号を持っておりますのです、えへん。

この秋にでも行ってみたいですねえ。

それにしてもこの日はホントに風が心地よく
ママチャリをぬる~い感じで漕いでいても、
顔にさあっと風があたって
とっても気持ちよかちんでした。

このまま、もっと漕ぎ続けたかったのですが、
夕食前のひと時に
カップホルダーの性能試験も兼ねて
ぶらりと出かけただけなので、
このあと穴師神社、宮子安地蔵を
チリンチリンと訪ねて
ブラリ、ママチャリより帰宅しました。

え、それじゃ「ママチャリ」じゃなくて
「ジジチャリ」だろうって?

う~ん、ミセスと同じこと言わんといてんか。


WBGT温度って?

2013年08月05日 21時10分25秒 | 生活

毎日暑い日が続いている。
外を歩いていると、
頭や背中がじりじりと反応することからも
照りつける太陽が、
すごいエネルギーを放っていることがよくわかる。

同じように太陽が照っていても、
冬の散歩では、心地よい程度なのにえらい違いだ。

夏と冬で陽光を受ける角度と時間が少し違うだけで
こんなにも体感が変わるのだから、
やはりちっぽけな人間から
見れば地球も太陽も大きく宇宙は広いと
身を持って感じる今日この頃だ。

8月に入ってそんな暑い日々が続いているが、
明日からはまた一段と暑くなっていく
という予報が出ているらしい。
夏好きのdoironには、
従来なら居ても立っても居られない季節なのだが、
高齢者を抱えている身としては、
そうそう出歩いてばかりもいられないのが残念だ。

特に今年は、例年になく体調トラブルが多いしね。

年々、こういう傾向が強くなってきているのは確かだ。
夏を迎えるごとにそれを感じる。

今年の夏も、まもなくピークを迎えることになる。
数年前から、報道やネットでの熱中症の注意喚起が、
doironの介護生活に比例するように
活発になっているのを感じている。

特に今年は今まで聞きなれない言葉で、
よく見かけたり、耳にするのが「熱中症情報」だ。

マラソンやトライアスロンを趣味にしている人に関係の深い、
運動に関する情報を見てみると

「0.7×湿球温度+0.2×黒球温度+0.1×乾球温度」

で割り出した数値(WBGT温度という)が
31度以上の場合、
原則運動は禁止とされている。

ちなみにもう一つ、黒球温度とは、
黒い球の中心部の温度を測ったもので、
主に輻射熱の影響を見る指標だ。
すなわち、輻射熱が高くても
気流があれば低く出たりするので、
人間の体感に近い増減をする。

そうして計算されたWBGT温度は
主に都道府県単位で出され、
大阪では原則運動禁止の熱中症情報は、
8月に入って本日5日でもうすでに3回出されている。
さすがに猛暑といわれているだけのことはある。

国の指針に基づいて出されるこの数値をもとに、
我が家の熱中症対策も頻繁になる。

特に意識しているのは水分補給。
むくみの見られる症状に対し、
水分補給の加減は微妙なところがある。
しかし、ほぼ毎日医者に行く状況なので、
医者の指示に従って
微妙な水分摂取量の調節を
何とかこなしていかねばならない。
それがきちんとできているかどうかは、
四六時中、親父のそばについているわけではないので
怪しいけれど、
まあ常にそれを意識していることで、
そこそこには対応できている、と思っている。

こんなにきめ細かく介護していることを
きっと親父は理解してないかもしれない。
まあ、それは仕方ないとあきらめ、
自分が介護になった時に
この経験はきっと役に立つだろうと、
思うことにしている。
というか、そう思わないとやってられないぜ、
ということも正直あるんやけどね。

若いころはなあ、気温が上がれば上がるほど色めき立って、
こんな時の練習が自分を強くするんだとばかりに、
逆に積極的に外に出て過激に体を動かしたものだ。
そんな経験が自分の感覚をマヒさせている部分も
あるだろうからいい機会だと思うことにしている。

当時、熱中症の指標として
WBGTなどという概念はなかったが、
もしあったとしても
それが100になろうが、
動き続けるのがトライアスリートだ、
なんて考えていたことだろう。

少しの年月の間にいろんなことがあって、
そんな考え方は変わってきた。

人間、歳を取るといろんな事情に束縛されて
生きていかねばならないのだ。

明日からしばらくは、
また次の仕事が入っているので
今までのようには遊べないが、
まだしばらくは続く今年の夏を、
そんないろんな事情の隙間を縫って
しっかり満喫したいと、
今日も介護に遊びにと
せっせと動き回っていたdoironなのでした。


夏のお絵描き

2013年08月04日 21時21分15秒 | お絵かき

仕事の関係もあって、
文章を磨かねばということで
近頃はお絵かきも滞りがちであった。

いろいろと書きためて、
特集なんかも提案できるときには出してやろうと思っている。
ところが、ミニコミ誌の代表が
体調を崩して入院していたこともあり、
オファーが途切れているため、
足踏み状態が続いている。

そこで、久しぶりにお絵かきでもしてみようと、
スーパーで素材をあれこれ探してみた。
描いてみようと思い、購入してきたのが、

イチジク、ミョウガ、ブドウ。

まずはイチジクから。
doironは以前、
1年間だけ羽曳野市に住んでいたことがあります。
田舎のマンションで、
周りは畑とため池と古墳というロケーションでした。
休みになると、原チャリに乗って
近くの山登りに出かけたり、
近辺を散歩したりと
のどかに暮らしていました。
まだマラソンもしてなかった頃ですから
今のdoironからは想像できない人間でした。

果実の季節になると、
歩いていたら、
周りの畑から甘~いイチジクのにおいが
プンプンしてきました。

じつは、このイチジク。
花は身に包まれるように咲きます。
食べるときに中から出てくる紫のつぶつぶが花なんです。
漢字で書くと無花果と書くように、
一見花がないように育つので、
あまり家には植えられません。
“花がない”ということから歓迎されないのでしょう。

当時の記憶の中には、
そんな甘い香りがまだ
ほのかに残っています。

そんなことを思い浮かべながら描いた一枚がこれ。



どうですか?
甘い香りがにおってきませんかね。

ミョウガは、食べているのは花穂の部分です。
これを食べると物忘れがひどくなるといわれていますね。
しかし、これには科学的な根拠がなく、
そのような成分は一切含まれていないそうです。

ではなぜ?と思うでしょ。
実は、御釈迦さんの弟子で、
物忘れのひどい人がいて、
その人は自分の名前も忘れてしまうほどであったそうです。
今でいう認知症でしょうか。

その人のために自分の名前を書いた名荷(名札のこと)を
首から下げていたのに、
しまいには首からぶら下げていることさえ
忘れるほどであったといいます。

現代ならいよいよこれは施設に入らなくてはなりません。

とまあ、そんな話が転じて、
ミョウガ=物忘れといわれるようになったとのことです。
なので描いた絵には、
そんな連想から発想し、
このような言葉を入れてみました。



人間て厄介な生き物ですねえ、
という思いを込めています。

最後に、ブドウです。
買ってきたのはデラウェアでした。
大阪の柏原あたりで多く栽培されていますね。
かつての職場にブドウ農家の身内がおられて、
収穫の季節には
よく買わせていただきました。
プリンプリンの実の一つひとつが
粒よりの宝石のように輝いていました。
その辺の着想から言葉を紡ごうと思ったのですが、
気に入った言葉にいきあたらなかったので、
少し保留し、もう少し自分の中で熟成したいと思います。
絵はこれ。



微妙な色合いが難しかったです。
少し赤みが強かったかな。
2個、転がしてみました。

絵を描いて言葉を入れるのは
簡単なように見えて難しく
いろんなことを考えさせられます。

あーでもない、こーでもないと
自分の中から、言葉を紡ぎだすのは
脳トレにはいいかもしれません。

また逆に、言葉が先にあって、
それに会う画題を見つけるのもまた、
こんなお絵かきの楽しみのひとつなのかもしれません。

頑張って書いて描いて
ひとつの作品が出来上がった時には
意外に達成感もあるものです。

ま、そんなこんなの今日この頃です。


散歩道のコインランドリー

2013年08月03日 21時16分07秒 | 最近の出来事

痛みどめの効果なのか、足指の痛みもおさまり
痛風騒動もはっきりとしないまま
終息に向かいつつあります。
そんな中で、懲りずに散歩に出かけたdoiron。
通りかかったコインランドリーの前で
先日、これは書かなくてはと
思っていたネタを思い出したので
ちょっと書いてみます。

時は昭和の終わり頃、
下宿学生だったdoironは、
卒業前には安アパートで暮らしていました。
雪国というのにストーブはなく、
暖房器具といえば
ホームごたつのみという
シンプルな暮らし。
特急雷鳥に乗って、
風呂敷に包んで持って行った白黒テレビが
自慢の一品でした。

冷蔵庫は先輩から受け継いだもの。
机も先輩の卒業時に
友達と1キロくらいの道のりを
エッチラオッチラ手で運んだものでした。

ただし、洗濯機はありませんでした。
洗濯はもっぱら銭湯入り口にある
コインランドリーで済ましていました。

風呂に入る前に洗濯機を回し、
その間に風呂に行きます。
なので、銭湯にはよくノーパンで行ったものです。

たまに、金欠の時は
友達の下宿にある洗濯機を
使わせてもらったりしたのですが、
その洗濯機が、水に手を突っ込むと
電気でビリビリするという代物でした。

でも人間て順応性があるんですね。
何回か使っているうちに、
そのビリビリが心地よくなったりしたものです。

当時のコインランドリーで画期的だったのは
乾燥機があったことです。
毎日重く雪雲の垂れ込める雪国では、
なかなか洗濯物を
お天道さんの下に干すことができなかったので、
バイトのお金が入った時なんかは
乾燥機も使って贅沢感に浸ったりしたものです。

あれから35年が経ち
先日、近所を散歩している時です。

コインランドリーの前を通りかかったときに、
窓越しに中を見てみると
客がいないようなので、
最近のコインランドリーはどうなっているのじゃろ、
と興味を沸かせて
どれどれと入ってみました。

後から思えば下手したら
下着泥棒と間違えられかねない行動でしたが、
面白いものがあったら
ブログで紹介しなければ
という使命感に燃えて足を踏み入れてみたのでした。

店内はさっぱりととても清潔でした。



エアコンも効いてて
なかなか快適な環境でありました。

昔と違っていたのは、
ここには大型の洗濯機があって、
毛布なども丸洗いできる機械が置かれていたことです。

あ~、昔こんなのがあったら、
こてこての毛布にくるまって寝ることもなかったでしょうに。

さらに見回してみると、
おや、片隅にこんな洗濯機もあるじゃないですか。



これはよさそうです。
特にジムではく靴の使用頻度は高く、
しかも毎回汗まみれになってしまいます。
たまに洗うと、下手に洗って、
干した後で見たらアッパーに黄色いしみができたりするんです。

古い洗濯機を屋外に置いて
以前はそれで洗ったりもしていましたが、
浮き上がってきてなかなか思うように洗えません。

スニーカーランドリーと書かれてあるから、
その辺はうまくできているのでしょう。

今度、親父の汚れた寝具と一緒に
doironの靴も持ち込んで洗ってやろうと決意し、
コインランドリーを後にしました。

外は久しぶりの夕焼け空で、



よくこんな空の下を
洗濯物と洗面器を持って銭湯に行ったなあと、
当時を思い出しながら
ノスタルジーに浸りつつ家路についたdoironなのでした。


つ、ついに出たか?

2013年08月02日 22時09分09秒 | 生活

じぇ、じぇ、じぇ~

出、出たかもしれない

お化け?
いや違う。

じゃあ、
toto BIG 一等?
そんなうれしいことはない。

それとも、
ショッカー?
そんな酔っ払いジダンのようなことはない。

わかった、
イボG?
う~ん、ちょっと近いかも。

早よ言え~

はいはい、
何が出たかもしれないというと

痛風

二日前、ブログにビールのことを書いたのは
の知らせだったのでしょうか。

と言っても勝手にそう思っているだけで
多分、そうじゃないかと思っている疑惑の段階ですがね。

もし痛風だとしたら
あ~あ、またひとつ大人になってしまいました。
ではなく
しっかり治さねば、ね。

経過はこうです。

1昨日の夜から
右足の中指が
何となく変やなあと思っていたのです。

ほんのりと指全体がしびれたような感じで
ちょっと深爪したので
ばい菌でも入ったかな?
それか夕方の散歩で靴の履き方が悪く
指が詰まった感じがしていたので
軽く突き指でもしたかな
なんていろいろと考えていました。

ま、すぐに治るだろう、と
気にせずほおっておいたら
昨日あたりから痛くなってきたので
朝の散歩の途中、ふと足元を見たら
中指が少し赤くなっているではありませんか。
こんな感じ



じぇじぇじぇじぇ~

その頃から、拭いきれないある疑念が
doironの胸にモクモクと湧き上がってきたのです。

「も、もしかして、これがうわさの痛風?」

といっても、まだその痛みを経験したことはありません。
まだお子ちゃまですから~

なので、すでに痛風を経験したことのある人に
色々と聞いてみることにしました。

証言1
痛風だとすると、たいていは
膝やくるぶしに出ることが多いから
多分違うと思うよ。

証言2
症状の現れ方がまさに痛風やね
早めにお医者さんに行った方がいいな

証言3
痛風だったらもっと、パンパンに赤く腫れるよ
それにもっとズキズキ痛いはず

う~ん。
どれも経験者が語るだけに
説得力があるなあ。
で、結局はっきりしないまま
もしかしてやはり深爪の影響かもしれない
と思って、水分をたっぷりとる、野菜をしっかり食べる
など痛風の要素を排除しながら
様子を見ることにしました。

ところが、タイミングが悪いことに
その日は木曜日。
そう、エイでの定例会の日です。

どうしようかなとは思ったのですが
これがまた悪い時には
悪いタイミングが重なるものです。

実は、先々週のエイに行ったとき
doironは財布を持っていくのを忘れていたのです。
なので、相方の首Dさんにお金を借りていました。
それを先週返そうと思っていたところ
親父の血尿騒ぎがあって行けず
お金を返せずにいたので
やはり今週は行きたかったのです。

加えて、いつもエイは二人メンバーなのですが
今週に限って、昔のエイ仲間が
参加するとの連絡もあったので
これはもう行くほかはありません。

ミセスの「おとなしくしといたら?」という
助言も聞こえないふりをして
「借金が・・・、友達が・・・」と呟きながら
いそいそと出かけて行ったdoironなのでした。

しかし、対策は考えていましたよ。
「今日の一杯目は生ビールの



にしようと、固く心に誓っていたのでした。
しかも、肴はキャベツたっぷりの

「野菜炒め」と「冷やっこ」ね。

で、それを注文すると
「あ~、今日はもやしも切らしているのに
なんでいつもと違うのん言うの」と
叱られてしまった。
しかし、こんなことでめげるdoironではない。
「そしたらアワビのおどり食いにするわ」というと
「帰って」と言われちゃいました。

結局、もやし抜きキャベツたっぷりの野菜炒めにしていただきました。



そして夜も更けて、定例会も進んでいきますと
doironの前にはいつの間にか
瓶ビールの空きビンと
飲みかけの冷酒が・・・

結局、決意もむなしく
台無しにしてしまったのでした。ぐすん
明日、足はどうなっているだろう、と
ドキドキしながら眠りについたdoironでした。

そして、今朝

足を見ると、こんな感じ



少し腫れや赤みはましになっているようですが
まだ、患部を押さえると、ビリッと
痛みが走りますので油断はできません。

聞くところによりますと
痛風に関しては
尿酸値を下げる特効薬や
痛みを緩和する薬が
そろっているとのことなので
今日は朝から
近所のお医者さんにぶらっと行ってみることにしました。
新規の仕事もまだ入ってこないしね。

そこはいつもすいていて
先生も地元の人なのでざっくばらんに
診てもらえる医院なんです。
花粉症のケアでたまに利用します。

行けばすぐに診察室に通され
顔色を窺いながら
幹部を触ったり、押してみたりされました。

すると先生は
「う~ん、これは痛風じゃないような気がするなあ。
痛風の痛みはこんなもんじゃないし
ちょっと傷でもできてばい菌が入ったんだろう。」だって。

ということで、痛み止めと抗生剤を
処方していただきました。

もし、痛風だったとしても
薬じゃなくて
生活習慣を変えることで治すようにした方がいいな
と言われちゃいました。

わかっちゃいるんだけど・・・

さて、この痛風騒動
いったいどうなりますことやら。