ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

青空の下、京田辺へ5

2017年10月21日 21時11分16秒 | ウォーキング

さあ東北旅行から帰り
ブログはまず京田辺旅再開です。
県道に出てコースは
南の方へと向かって行きます。

ーーーーーーー

ここからコースは
1.5kmくらい広い道路沿いの
歩道を進んでいきます。



資料ではこの辺りは
ずっと竹藪だったそうです。
そこを京田辺市が買い取り、
切り開いてこの辺りを
市民公園として開発したそうです。



今は園内には温水プール、
体育館やグランド、多目的広場などが
整備されています。

ちょうど京田辺の町を
見下ろすような位置にあり、
なかなか景色のよさそうなところです。

あ~ここでお弁当も良さそうですが、



今日は弁当はありませんし、
時間的にも早いようです。
進んでいきましょう。

茂みの中にはススキも咲いていますねえ。



ススキには神が宿ると
昔から言われています。
そう、このあと10月になったら
4日に中秋の名月を迎えますねえ。

でもねえ、カレンダーを見てたら
満月は6日のようなんですが
なぜ4日が中秋の名月なんでしょうか。

で、調べてみたら、
どうも中秋の名月は旧暦の
8月15日のことを表すそうです。

でも、月の満ち欠けには
変則的な周期があります。

地球を回る月の軌道が
楕円形をしているから、
月が早く動いたり
遅く動いたりすることがあるからです。

以外にも満月が必ず中秋の
名月となることは少ないようで、
次に満月=中秋の名月となるのは
何と東京オリンピックの
次の年2021年になるようです。
ちょっと賢くなりましたねえ。

さらに歩いて進んでいきますと、
あれ?なんか防音壁に
くっついているものがいますよ。



バッタでもカマキリでもない、
なんと「ナナフシ」でした。

こいつの大きさは
約10cmくらいかなあ。
種によっては50cmくらい
あるやつもいる草食動物です。



「こいつ」と書きましたが、
実はナナフシは多くが雌だそうで、
オスは非常にレアな存在のようで、
むむ~うらやましいですな。

とか何とか言ってるうちに、
右折して同志社大学の方へと
入っていく山道の交差点に
出てきました。

そうかあ、doironが
大学受験をしたころには
ここにはまだ同志社の
キャンパスもなかったんでしょうねえ。

今の世になって、巨大大学は
土地の値段や税金の安い
こういう地域に多く
キャンパスを持っているようです。

まあ同志社といえば
いまはランも強いですねえ。

こんな地域で合宿なんかも
したのかもしれませんねえ。



さあ、ここからは車も
あまり通らない静かな
山道を進んでいきますよ。

500m程行ったところで、
右側に鳥居が見えてきました。
神社の名前が



「酒屋神社」

です。
え~っと、ちょっと辛口のお酒と、
酎ハイはレモンがいいですねえ。
などといってお参りしては
いけませんね。

神功皇后が通った時に
3個の酒壺を置き、
帰りにそこに社を立てた
とか河内の国の中臣酒屋の連がきて
酒造りを教えたとか
いった話があります。

まあ、いずれにしても酒に
関する話ですね。



doiron地域の祭りでも、
だんじり曳行の前に
神社の参道でお神酒を飲みます。

神社と酒って意外に
関係が深いですねえ。

遠くに行って酒のつくり方を
学んできた神様も、
今は祭神となっている神社も
結構あるようです。

地元の人にとって見たら
ありがたいお人だったんでしょうねえ。

ますます青い空の下、
神社を出てさらに山道を進んでいきます。

もうこの辺りは同志社の
大学敷地と接しているんですねえ。

おおきな湖、ため池かなの横の
山道を歩いていきます。

もうこの辺りは全く人も通りません。
さみしいところやなあと思っていたら、
前方よりスーツを着た
高齢者がてくてく歩いてきます。

え~こんなところで倒れたら
大変やでと心配してしまうほど高齢者です。

90歳近いのではないでしょうかあ。

も、もしかして狸が化けている
のかもしれません。

すれ違ったら・・・

普通のおじいちゃんでした。

続く


四国結願お祝い東北旅2

2017年10月19日 16時15分51秒 | 最近の出来事

え~今日は蔵王方面に行き
紅葉を見ながら遊びました。

運転はdoironがやりましたが
今回は二人とも免許証等は
持ってきてくれているようです。

前回伊勢に行ったときは、面白いことに
免許をもって、運転できるのは
doironだけだったんですからね。

ちゃんとその教訓は
生かしてくれているようですが
まあ、最年少のdoironが
運転するのが普通でしょうねえ。
今回もそうしました。

蔵王はいいですねえ
奥が深いしよかったです。

そして今日は蔵王温泉にきました。
ずっと奥の方の由緒ある旅館です。

さあ、こんやもこれから宴会だあ。


四国結願お祝い東北旅1

2017年10月18日 17時39分30秒 | 最近の出来事

京田辺はちょっと中断!

え~、本日より首Dさんと
T本さんとともに東北に来ています。

T本さんから、
四国結願したお祝いに
まだ行ったことのない東北へ
お祝い旅行に行こうという声があり
実現したものです。
すでに6月の時点で
安い飛行機(往復1万円)を
doironが抑え、首Dさんが宿などを
手配してくれて
やっとその日を迎えたわけですな。

きょうは空港から
レンタカーを転がして
福島の高湯温泉に来ています。

東北は二人とも行ったことがなかったそうで
とても楽しみにされていました。

宿は首Dさんお抱えの
ベテラン旅行社が抑えてくれた
所なので、ふろなどもなかなかのものでした。

これから食事に行きますが
是もまた楽しみです。

詳しい内容は帰阪してからまた書きましょう。


青空の下、京田辺へ4

2017年10月17日 21時24分24秒 | ウォーキング

薪神社の前には
甘南備寺の入り口を探している
という高齢じいさんに
その場所を説明するのは
むつかしかったですよ。

「このまま県道に出て、
その道をそのまま行くと
火の見やぐらや
公民館があるから
その先を右折」と詳しく
説明してあげたが
わかったかなあ。

ここの薪神社もかなり
探し回ったとのこと。



詳しい地図を持たないといけませんな。

でもまあ、原チャリで
ウロウロしてるのも
面白いんでしょうね。
あんなじいさんにも
それなりの老春があるのでしょう。

そうそう、飛び出し小僧なんですが、
なんとここのは「一休さん」の
飛び出し小僧です。



こういうふつうの小僧や



よくある奴やオモチャのものもあります。



で、学校の周辺のは
名前までついていました。

これが「わたる君」で



これが「あゆみちゃん」です。



おお、こんな飛び出し小僧も・・・
「なつおちゃん」です。・・・



うう、選挙違反になったらあかんので
ぼかしつけときました。

あ、そうそうお寺のところには
「おがみ小僧」もいましたねえ。



「選挙で政権とれますように・・・」
ああもういいですか。

でコースはまた先ほどの
「一休寺」の前まで
戻ってきました。



ここから一時北向いて
コースは変わっていきますが
その交差点にあったのがこれ。



「薪能金春芝跡の碑」

というのがありました。

金春禅竹という世阿弥の娘婿が
この辺りで猿楽の能を
演じたという石碑です。

この金春氏は一休とも交流があって、
いまは「山姥」や「江口」という
能の作者は一休であるとも
言われているそうです。

能ねえ、一度も見たことがありませんなあ。

面白いのかなあ。
心騒ぐのかなあ。
若干興味がありますねえ。

脳が詰まったことはあるんですが・・・

では田舎道を進んでいきましょう。



それにしても本当に
この日は気持ちいい一日でした。

なんといっても空がさわやか。



青空っていいなあ。
これが好きでマラソンを
してたのかもしれんなあ。

こんな地蔵さんや



市内の掲示板を見ながら進んでいきます。



掲示板には、おっ京田辺の
マラソン大会の案内が・・・
10月22日開催かあ。
衆議院選挙の日やねえ。
もし体育館で開票とか言うのと
大会がぶち当たったら大変ですねえ。
人員配置もいろいろあるだろうし、
投票率にも影響するかなあ。

急遽決まった選挙で
秋のイベントが中止になった
なんてのもあるやろねえ。

アップダウンのある田舎道を
進んでいきます。

この辺りには「薪幼稚園」や



「薪小学校」なんていう学校も



ありますねえ。

なんか運動会の練習を
しているようですねえ。



ま、僕だったら「キャンプファイヤー」ではなく
「キャンプ薪」なんかも
文化祭でしたりしてねえ。

「薪公園」というのもあるかなあ。

「BBQ大歓迎」だったりしたら
面白いのにねえ。

新しい家がたくさん建ち始めている
住宅街を上り詰めたところが

「とんち峠」



という地名になっていますねえ。
そこからぐいーっと坂道を
下っていきます。



あっ、ここには白い彼岸花が
咲いていますねえ。



この日歩いた後でエイに行き、
首Dさんに話しをしてたら
ママさんが
「九州のエイの地域にある
ヒガンバナは黄色い色をしているよ」
とのこと。

調べてみたら確かにそんな感じ。



ほかにもピンクのヒガンバナも
あるようです。



そしてさらに調べてみたら、
黄色いのはショウキズイセンで
白いのはヒガンバナと
ショウキズイセンの雑種
とも言われています。

じゃあ、ピンクは植物の種は
同じなのかなあ、
図鑑にはヒガンバナって
真赤なものが
載せられているだけでした。

で、ふと近くの地面を見ると、
青い色をしたつゆ草に交じって、
白い花も咲いていましたよ。



いやあ自然は色々と奥が深い。

コースは大きな池のある
交差点に出てきました。

尼ケ池です。



農業用水のため池だそうです。
この池の上にかかっている
おおきな「一休が丘橋」は、
一休さんのプレートが
飾られています。



これを渡って進みましょう。



続く


青空の下、京田辺へ3

2017年10月16日 20時52分20秒 | ウォーキング

ちょっとした山の中から町に出てくると、
おおきな公民館があった。



ここはかつての
「薪小学校跡地」に立つ公民館だ。

この辺りの地名には「薪」という文字が付く。
そもそも昔から山の多い地域だったから、
こんな名前なんですかねえ。

こんな大きな火の見やぐらもあり、



なるほど地名が地名だけに
火事対策は厳重なんやろねえ。
それにしても
ああきれいな空やなあと
上を見上げていたら



電柱にプレートが張り付けられていました。



ああ、駅前の一休さんのところに
案内があったやつやね。



一枚ごとに一休さんのことが
書かれてあるプレートです。



もっと前からあったのか知りませんが、
やっとここにきて気が付きました。





これには、一休と仲の良かった
物部親当とのことが書かれてありました。

県道の大きな交差点を渡ると、
いくつも一休とんちロードの
プレートがありましたが、



まあこれらをすべて勉強して
書いたらめちゃ長くなりそうなので、
いろいろあったよと写真を
紹介しておくだけにしましょう。

その交差点の少し向こうに
一休寺が見えてきました。



ここがその入り口近くにある
「一休庵」です。



餅入りのうどんなんかが名物のようで、
たしか30年前に来た時もあったのかなあ。
全然記憶にありません。

今回もまだ時間も早いので
入らずに置きましょう。

入り口に回っていくと、
ここが山門です。



なんか記憶にあるような無いような。

石畳の道をすすんでいきますと、



料金所がありました。
ここで入山料を払い、
境内へと入っていきます。

まずは一休の墓所です。



一休は後小松天皇の烙印と
いわれていますので、
墓所の門扉に菊花の章がありました。

宝物殿にも様々な文書が
展示されていますが、
この一休さんの絵が
面白かったですねえ。



ここまで来て、なんとか
30年前にもここに寄ったことを
思い出しました。

あの頃は、一休さんといえば
漫画の主人公みたいなイメージだったのに、
実際にいた人なんやなあ
とちょっぴり驚いたのを思い出します。

でも肖像画を見ると、
漫画ではありませんが、
ちょっぴりユニークな
顔をなされていたようですなあ。

その先にちょっとした広場があり、
その先に小さな橋が架かっています。
そこに「このはしわたるな」と
書かれてあったのを見て、
30年前に来たことを
完全に思い出しました。



橋を渡ったらあかんから
真ん中わたるねん
といいつつ歩いたのを思い出します。

今回もそうしましょうと、
橋の真ん中に足を置いたとたんです。

「フギャー」

と大きな声が聞こえました。
およよ~と驚き、
飛び上がりそうになってしまいましたよ。

「え~ほんまに渡ったらあかんの?」
とよく見ると、

その橋は、こういう池の端っこにかかっており、
どうやらそこに大きな
ウシガエルがいたようです。

驚いて渾身の鳴き声で
泣きはりましたねえ。

静かなお寺で、ひと時の大騒ぎでした。

一休さんのいたずらですかねえ。

帰りは山道の中を通って帰っていきます。
3本杉を眺め、



鐘楼も眺めながら、



30年前のことなんかも
頭に描きながら、よしよしと
一休寺を後にしたdoironなのでした。

この一休寺のそばには、
能楽発祥の地である
薪神社もありますねえ。



一休寺の横の社面
別名「一休坂」を上がっていきますと、



その神社がありました。
階段を上がっていきますと
本殿が見えてきます。



その横には「能楽発祥の碑」
が立っています。



そ、その時です。
原チャリバイクに乗って
やってきた高齢じいさんに
声をかけられました。

「ここが薪神社ですかあ」
とバイクに乗って探索している風の
じいさんでしたね。

で、甘南備寺はどこかなあ
などともいってはりますよ。

続く


青空の下、京田辺へ2

2017年10月15日 21時11分07秒 | ウォーキング

この辺りのゴミ出しは
こういう黄色いネットを
かけている人が多いようですねえ。



それと「飛び出し小僧」もここは多い。



ということは、古い町でも
小さな子供のいる若い人たちの
家が多いということかなあ。

よくある形も多いのですが、
あとでユニークなものも
出てきますので、
その時に紹介しましょう。

野菜の無人販売もある
古い道を進んでいきますと、





こんな道標に出会いました。



「左 八わた よと」

と刻んであります。
「八幡と淀」ですね。

そんな淀川まで、
ここからだと約12km。
それでもこういう道標が
建っているということは、
昔からこの辺りは水運が
結構熱心だったことがわかりますね。

そんな道標が建っている
交差点から右の坂道を
ウンコラショと登っていきますと、



そこにあったのが
「棚倉孫神社」です。

天照大神の孫が祭神の神社だそうです。



ここの神社は瑞饋神輿が
有名だそうです。



きれいに飾り付けられた
神輿が神社周辺を練り歩くそうです。

あ、その祭りの日はちょうど
doironたちの祭りと
同じ日かもしれません。

まあ穀物の豊作とか言うと
ちょうどこの時期に
なるかもしれませんね。

暑さもやわらいで気持ちのいい季節。
団結して祭りを楽しむには
いい季節なんでしょう。

神社にたくさん生えている
古い木々には
「京田辺の未来に継ぐ古木・奇木」
とプレートが張られています。







ふむふむ京田辺の巨木ツアーの
参照になるかなと
ホームページを見ましたが、
どうも事業の全容がわかりません。

この神社では、ツガ、クロガネモチ、
ケヤキが選定されていて
そんな神社への登り口のところで
川をこえてきました。

天津神川ですね。

その川の堤防のところには、
ああちょうど今の季節ですねえ。
真っ赤なヒガンバナが
咲いていますよ。



どうもコースもそちらをとって
いけば都合いいようですから、
写真を撮りながら
堤防を進んでいきましょう。

きれいな空に真っ赤な花。
いいですねえ。
写真をいっぱい取りましょう。



ヒガンバナをのぞき込むdoiron。
ああなんと季節感たっぷりの
神々しい写真なんでしょう。

彼岸の入りのころに咲き始め、
彼岸の終わりごろには
褪せてしまうこの花に
まあヒガンバナとは
本当によくつけた名前です。

振り返れば、京田辺の町と、
遠くに山城方向の山々が見えています。



こんなバイクの通行禁止
という小さな橋をこえると、



道は川を離れて
右の集落の方へと入っていきます。

あ、ここにはマンふたがありますね。



真ん中の模様は「京田辺」の
「田」の字をモチーフにした
市のマークです。

周りの花は、
ああもう書いてありますね
市の花である「ヒラドツツジ」です。

今の季節は目立たないけど、
春先には沢山咲いているんやろなあ。
小山が多いので、
斜面を華やかに彩っているんでしょう。

柿の実が並んでいる道を
しばらく歩くと、



おお~ここが甘南備寺です。



そもそも神が宿る神域のような
意味を持つ「甘南備」。



それをつけたお寺です。

もともとはこの近くの
甘南備山にあったお寺ですが、
荒廃していきここに
移されてきた黄檗宗のお寺です。



神仏が夢に現れて
信心を説く話は多い。

ここも大きなお寺に移りたいと
考えていた僧が、
この地域に住んでいた
ミミズの夢を見て、
移転をとどまったという夢を見たそうだ。

そしてこのお寺には
薬師如来像が安置されている。

腕や足が修復されたそうだが、
いつの間にか耳の病に聞く
といわれ始めているのだそうだ。

そのため耳が通ったとして、
穴の開いている石なんかが、
お寺の壁にいくつもつるされている。



こういうコバノギボウシの
花が咲くような境内を



きょろきょろ歩きながら、
名前のわりにこじんまりした
お寺を後にしたのでありました。

続く


青空の下、京田辺へ1

2017年10月14日 21時48分14秒 | ウォーキング

病院通いや台風の影響、
そして祭りの準備などで
最近はなんだかバタバタしていました。

歩きに出かけるのも
かなり物足りなくなるような状態で、
ウズウズとしていたのです。

で、ようやく病院の診察も
イボが取れる、痛風も消える
などで一段落。
久しぶりに歩いてみようと
思って出かけたのが「京田辺」でした。

この辺りはあまり歩いていません。
近くでいえば八幡市くらいかな。
スポット的にはなじみの
少ない地域のような感じだったので、
じゃあ一度行ってみようと
ネットを調べてみると、
おおなんか行ったことのある
地名も出てきましたね。

乗っていった車とかを頼りに
思い返してみたら、
30年くらい前にチラッと行ってるようです。

もう今だったらブログで
くっきり思い出せるのですが、
それくらい前だとほとんど
記録がありません。
脳梗塞に侵されていない
脳の塊を掘り起こしてみたら、
少しずつ思い出が出てくる程度ですね。

では、そんな脳の記憶を
ぷらっと思い出しつつ
出かけてみることにしましょう。

いやあ、しかしおまけの命を抱えて
あちこちに足跡をつけてきましたねえ。
まあいつも通りにdoironのような
こういう病気の後でも
これくらいのことはできるんだ
という参照になればいいかねえ。

この日は、第二京阪道路を通って
車で京田辺まで行きました。
高速だとすぐですねえ。

京田辺の駅前を目指していくと、
ああ駅踏切の少し手前に
一日600円の駐車場がありました。
ここに駐車して歩いていきましょう。

ここらあたりは街中ですので
コンビニもたくさんあるでしょうし、
食堂なんかもあるだろうと
見越してお昼ご飯は持たずに
歩くことにしました。

まずは、京田辺の駅に行きます。

もし電車で行くなら
京橋から学研都市線で
来ることになる駅ですね。
わりあいしっかりした駅ですねえ。



駅前には植え込みの間に
こういう人の銅像が立っています。

「一休さんのまち京田辺市」





とありますよ。
そう、ここにはあのとんちの和尚さん
として有名な一休禅師が
63歳の年に復興し、
生涯の幕を閉じる88歳まで
すごしたという
「一休寺」があるのです。

ああ、ここは30年くらい前に
訪ねたお寺ですねえ。
あの時のかすかな記憶と
どう違っているのか、
そんなところも尋ねながら
ぶらっと訪ねていくことにしましょう。

それにしてもこの時期の空は
気持ちのいい高さですねえ。
こんな空の下をdoironは
何度くらい歩いたかなあ。



いただいた命を大切に使ってねえ。

そうして歩いてる間
いろんな人とも巡り合えたし、
道端のちいさな石の中にある
たくさんの想いとも巡り会えた。

う~ん、大切な日々を
豊かに過ごしているなあ。

今回の旅ものんびり
しっかり歩いていこう。

一休さんの後ろ姿に
見送られながら



西の方へと進んでいきます。
そこにあったのが
京田辺市立中央図書館です。



ミセスに

「京田辺歩いてくるわ」

というと、あああそこの
図書館は仕事で行ったことが
あるなあといっておりました。

ここですね。

昔からこの辺りは官庁街だったようで、
市になる前の旧田辺町の
役場もここにあったようです。



平成の大合併で市となりましたが、
和歌山の田辺市と区別するために、
あたまに「京」をつけて
「京田辺市」になったそうです。

たなべという地名は多いですね。

大阪にも田辺という地名があります。
谷町線の田辺駅。

そのため、和歌山の田辺駅は
「紀伊田辺駅」という名前に
なっているそうです。

こういう市名の制定には、
以前も書いたように
「郡山」と「大和郡山」がありましたね。

この郡山の場合
JRの駅名はどちらも
「郡山」という状態になっています。

切符には(関)郡山と
(北)郡山と記入するようですね。

続く


パンク修理

2017年10月13日 21時08分10秒 | トライアスロン

トライアスロンをやっていた経験が
今になって役に立ってくることがある。
それが自転車のパンク修理だ。

ママチャリのパンクを修理する
これがもう村の人のお役に立って
感謝されているのだ。
ええように使われている、
という説もあるが
まあ、それでもいいと
doironは思っているのだ。

ただし、簡単にタイヤを外せる
前輪だけね。
そんな技を利用して、
今年ももう近所の人三人の
ママチャリ3台のパンク修理をした。

一台目はチューブに
しっかり穴が開いていたので、
パンク用のシールをはったらきれいに直った。

二台目は長い間乗ってなくて、
もうチューブもボロボロだったので、
新しいチューブを買ってきて
交換したけど、
外側のタイヤもボロボロだったから
それも交換。

そうして前輪は直せたが、
後輪はさすがにチューブや
ブレーキはややこしく、
自転車屋さんに持っていき
なおしてもらったのだ。

かかった経費は総ていただきました。

そして先日、今年3台目の
自転車修理に取り掛かった。

これやねんといって
預かってきた自転車の
まず前のタイヤの虫ゴムを変えてみたが、
もう瞬く間に空気が抜けて
ペッチャンコになる。

後輪は虫ゴム変えただけで
修理完了。もんだいは前輪だ。
ああ虫だけではだめですね、
チューブを見ないといけないだろう。

そこでフレームにタイヤを
つけたまま内部のチューブを
ホイールから外してみた。
こんな感じ。



まあこれくらいの作業は
アッという間にできて
簡単なのだが、今の時期は
「蚊」との闘いが大変だ。

この時期の蚊は気が建っている。
一刻も早く栄養分を吸収して
卵を産まないといけないからね。

なのでかたわらで蚊取り線香を
たきながらの作業となるのだ。

出てきたチューブに空気を入れて、
バケツの水道水の中で
どこから漏れているか調べてみると、



ああバルブの付け根から
プクプク空気が上がっている
ではありませんか。

見てみると、バルブの付け根の
ゴムが敗れて空気が漏れているようだ。



これだとパンク補修シールを
張ることもできないしなあ。
接着剤でくっつけたりするのかなあ。
でもそんなノウハウもないので、
これはもうチューブそのものの
交換しかないだろうと判断した。

タイヤに書かれてある
チューブのサイズを見て



26×1・3/8

のチューブを購入してきたのだ。
値段は750円である。



で、今度はホイールを
チューブから外して、
買ってきた新しいチューブと
交換して再度自転車に装着すると、
はい出来上がり。



無事にこの自転車の
パンク修理も完成です。

持っていったら喜んではりました。

友達にいただいたフレーム代金
750円に自分で250円を足して
1000円とし、
そのあと友達と競馬を買ったら
合計2000円強の勝ちとなりました。

まあ、いいことをしたら、
いいことが返ってくる
といういいお手本のような話なのですね、
へへ。

パンク修理はタイヤだけでなく
ご近所付き合いも
より深く直してくれるわけですな。


ゴール居酒屋の横大路3

2017年10月12日 21時33分13秒 | ウォーキング

耳成山のふもとにも
いろんな碑が立っていました。



本来なら以前のように
この山に一回登ってから
行こうかと思ったのですが、
どうも時間が遅くなりそうなので、
宴会に合わせてふもとの
記念碑だけを見て退散ですな。

西向いて歩いているので
道はもうなんか夕暮れの雰囲気ですが、



まあ大丈夫です。
宴会開始の30分くらい前には、
待ち合わせ場所に付きそうですから、
相変わらずきょろきょろしながら
歩いていきましょう。



道のかどっこに地蔵さんのある
大きな交差点にかかりました。



ここからは、八木に向けて
古い街並みの中を
歩いていくことになります。



ところどころにはこんな古い家もあり、



そこここにこんな解説板が



張られたりしています。

まあ、ここらは以前のブログでも
紹介したかな。

で、着いたのが「横大路」と



「下ッ道」の交差点。



途中、中ッ道との交差点には
神社があったけど、
ここはというと、
交差点の名前が「八木札ノ辻」というように、
昔は高札が上がっていたりした
大きな交差点だったんでしょうねえ。



この札ノ辻が日本遺産に認められ、
ここにはその記念館がありました。
では昔はどんなところだったんだろうと、
中に入ろうとすると、
女性の人が来て

「もしもしそこのお兄さん」
と呼び掛けてくるではないですか。

ああ、また映画スターと間違えられて
サインくれかなあと思ったら、

「もう時間がきて閉館なんですよ」とのこと。

だって、開いてるやんと思ってみたら、
もうこんな感じになっていました。



着いたときはこんな感じやったのになあ。



残念です。
営業時間を見たら、ここに着いた時にも
もうすっかり時間外でした。

ああ、そうかあこういう時間に歩くと、
閉館時間なんかにあったりするんやね。

仕方ないのでまだ少し時間があるため、
この辺りを少しウロウロしてみましょう。

狭い道を歩いて村中に入っていったら
こんな恵比寿神社があります。



これが祭神です。



てチャウチャウ。

そしてここが横大路の側溝の
遺跡跡です。



まだまだこんな発掘作業なんかも
あるんですねえ。

とか何とか言ってるうちに、
ぼちぼち時間に近くなったので
待ち合わせの八木駅に
向かうことにしました。

すると、その駅までの道の途中に、
こんな大神宮燈籠がありましたねえ。



近辺の横大路から移転させたそうですが、
こんな燈籠を見るとこの道が
昔の伊勢参りの道で
あったこともよくわかりますね。

これで今回は、約5キロを歩きました。



かなりウロウロきょろきょろしたので、
2時間半もかかりましたねえ。

駅で待ち合わせしつつ
無事にそろったので
今日の宴会場に向かいます。

今日は豆腐料理のお店を
抑えてくれているそうです。

こういう料理が次々訪れて、







途中で鍋もいただきました。



話を聞くと、学校の先生は
大変なようですねえ。
なかなか時間が思うようにならないしね。
この日は8月30日でしたので、
夏の最後に飲み会を持てて、
何とか夏の宿題を
一つ片づけたみたいだ
と言ってはりました。

マラソンの話や山登りの話など
いっぱい楽しんで、
あっという間に時間が過ぎていきます。

楽しい時間はあっという間に
過ぎていきますねえ。

気持ちよく飲んだあとで、
doironは電車で帰りました。

近鉄に揺られ、鶴橋から環状線。
そして阪和線に乗ったところで、

あれ?

電車はのろのろしか進みません。

車内放送が流れてきて聞くと、
南の方で人身事故らしいです。

うわー、これは大変だぞと
なんとか三国ケ丘についたところで、
高野線に乗り天下茶屋へいき、
南海電車で帰りました。

日が変わる直前くらいに
ようやく帰宅。

いやあ、今年の夏の最後の一日を
たっぷり楽しんだdoironなのでした。