ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ゴール居酒屋の横大路2

2017年10月11日 21時16分03秒 | ウォーキング

こんな虫籠窓のある家なんかを
眺めながら進んでいくと、



そこにあったのが



「三輪神社」

この神社の西側を、
南北に走る道が「中ッ道」です。
この南北の道は、奈良盆地を三つに分けて、
東から上ッ道、中ッ道、下ッ道
という名で通っています。

今でも痕跡が多く残る道ですが、
この中ッ道だけはっきりしない
ところもあるようです。

でもこの三輪神社横の道は中ッ道で、
ちょうど横大路との交差点にある神社ですね。



この神社の中にある
「大けやき」が大和名所図会にも
描かれており、



おかげ参りの目印になっていたといいます。

そして今もご神木としての
信仰を集めてもいるそうです。



そしてその交差点のところにある
溝の中に、古代寺院の
痕跡ではないかと伝わる
面堂の礎石があり、



そこの白山神社と合祀されています。



ここは三輪郷の西南済みに当たる
三輪神社ですから、
その礎石のようです。

とうぜん桜井の「大神神社」と
関連しているのでしょう。

さあ、道はどんどんと
昔の雰囲気を醸しだしてきます。



ここが弘法大師堂。



そうあの空海さんのお堂ですね。

彼が杖を突いたところから
水がわくという話は
すごいたくさんありますが、
ここはちょっと変わっています。

その昔弘法大師巡歴の際、
米川と出合川の合流地に来たときに、
「くしゃみ」に悩ませられ、
川水を掬って飲んだら
全治したという伝承があったそうで、
それに基づき、
明治初期に造られたお堂です。

いやあ、くしゃみというのも面白い。

当時ここでは
「南無大師へくしょん金剛」と
呼ばれていたかもしれません。

それにしても、
ブロックで囲まれた小さなスペースですが、
きれいに保たれているのは
さすがに信仰の篤い
弘法大師さまなんですな。



川沿いの道を進んでいきますと、
道標が立っています。



「すぐ香具山法然寺」

でしょう。
奈良三山を歩いているときに
香具山の下にあったお寺ですねえ。

ところどころで以前の歩きと
つながります。

あの大和三山歩きは、
猛烈に蚊の多い季節でしたねえ。
でも奈良南部の見どころを
ギュギュっと固めた感じで、
一度「やぶ蚊警報」のない
寒い時期でいいからもう一度
回ってみたいなあと思っている。

このあたりへ来るようになってから
もう8年くらいたつかなあ。

橿原市もこんな案内板や



道標などいろいろ力を



入れているようだ。

で、この日は夏の終わりかけの
雲のさわやかな日だったな。



この地蔵さんあたりから、
八木駅にかけては
さらにいっそう古い家が
続くので、しっかり歩いていこう。



道は車がすれ違うのも
ちょっと狭そうです。



で、ちょっと橋のところから
川沿いを見るとどうも
散歩道のようなものが続いている。



これはちょっと歩いてみますかね。



川沿いの涼しいこんな道を歩いていくと、



なんか大きな神社に出ました。



庚申さんが祀ってあったり、
小さな社殿もあります。

川からだと裏手の方から
入っていくので、
表の鳥居のところまで出たら
「山口神社」であることがわかりました。



地方のこういう神社やお寺は
地元住民の集まり場に
なったりしてますねえ。



ここもそんな雰囲気が充満してました。

さらに横大路を進んでいきますと、
右手の方にちょっとした
山が近づいてきました。



「耳成山」です。

天香具山、畝傍山とともに
大和三山と呼ばれる山です。

標高は139mと三山の中では
最も低い山ですが、
きれいな山です。

こんな豆腐屋のある交差点から



右に曲がって、すこし
その山の方に行ってみましょう。



ふもとには池があり、
そこは公園になっています。
こんな駐車場があったり、



歌の碑があったりします。



以前からここに来た時には
よく思うのですが、
ここではいつも多くの
子供たちが遊んでいますねえ。

続く


ゴール居酒屋の横大路1

2017年10月10日 21時03分41秒 | ウォーキング

奈良に住む友達と飲み会をした。

といっても奈良まで電車で
出かけて行って、
そのまま宴会などと
いうことにはならないよ。
いつも早く家を出て、
奈良の各地を歩き、
その勢いで夜間居酒屋でゴール
となるように計画しているのだ。

なので、これまで奈良三山や
談山神社、今井町、高取山などを
歩いて参加したという実積があり、
奈良歩きのとても良い機会となっている。

で、今回はどうしようかな~
と悩んだのだが、残念ながら
ちょっと午前中に用事が出来て、
出かけるのが午後からとなったために、
仕方なくこれまで何度か
バラバラに歩いた「横大路」を
まとめて歩くということにした。

「横大路」は街道名である。

全貌は葛城市の長尾神社から
桜井市の慈恩寺北交差点まで
東西にほぼまっすぐに進む
道のことを言う。

まあそもそも飛鳥京などを
起点とした古い街道である。

むかし、庶民はこの道を
伊勢参りの道として使ったという。

当時の大阪の旅人は
こんな話をしたのだろう。

「じゃあ伊勢へ行こうか。
最初は堺から長尾まで行く
長尾街道を通り、
そこから横大路を経て
桜井から初瀬街道を通っていくんやで」
とねえ。

まあ大事な街道筋であり、
これらを総合して江戸時代には
伊勢街道の道といわれていたそうです。

で、横大路は大体が現在の
国道166号線に平行するか、
国道そのものとなっており、
全長で14キロ程度の部分をいうのだ。

これをできるだけ東の方から
歩き始め、飲み会の八木までを
歩いてみることにしよう
と計画をした。

そう西側はまた別の飲み会の時に
歩くことになるだろうしね。

飲み会なので足は電車である。
いくつか行く方法はあるのだが、
この日は乗りなれた
近鉄電車に乗って
以前の職場であるM原市を抜け、
ゴトンゴトンと奈良に向かって
行くことにした。

途中そのM原市を通る際には
いろんなことが気になったなあ。

あ、こんなところに道ができている、
あああの工場がリニューアルしている、
マンションはここにあったっけ、
みたいなね。

電車はのんびりと走っていくよ。

義母の墓のある当麻寺も通り、
なんか眠くなるような感じで
ゆっくりと進んでいく。

橿原神宮のあたりでは乗り換えもあり、
ここから桜井に向かうのだが、
結構時間がかかったので、
この駅から歩いていくことにした。
距離は大体5~6キロくらいだろう。



う~ん、それにしても「大福駅」とは
なんかいいことありそうな名前の駅である。
宝くじ売り場はないのかなあ。
さあ、ではナビをセットして
歩き始めよう。



といっても、この駅あたりに
横大路の案内板はない。

だいたい線路の南側を東西に
走っている道を目指して歩いていこう。



しばらく南向いて歩いていくと、
東西に一本の道が通っている。

川の流れに沿ってくねーと
曲がっている道だからそうかな
と思いつつ、西向いて
歩いていくことにした。

で、しばらく歩いていると、
もう一本南側にそれっぽい道があるぞ。



ではそちらに行ってみよう。
すると、やっぱりそうです。
道の感じもさらに街道ぽいし、



こんな神社の遥拝所のような
ところがありました。



これはもう間違いないですね。

どんな横やりが入っても、
ここは横大路です。

石標もあるのですが、
むむ~doironには判読不能です。



そしてついに、doironにも
判読可能な旗が出てきました。
まあなんとわかりやすい。



「ここは横大路」

と書かれており、
キャラクター「ひみこちゃん」が
叫んでいます。



え~ひみこちゃん、
doiron家近くの弥生公園でも
ひみこの里ではないのかという
静かな叫びがあります。

なのでかってにここで
ひみこちゃんはないぞー。
このdoironだってひみこの
子孫かもしれんしねえ。

はっきりしたら、
「ひみこdoiron」と名付けてあげるさ~と続く


2017祭り片づけ

2017年10月09日 18時38分24秒 | 生活

今日は祭りの片づけでした。

祭り本番はいまいちのお天気でしたが、
こんな日にはなんともまあいい天気。

だんじり片付け、
提灯片付け、
詰め所の片づけ、
公民館の片づけと
無事に済ますことができました。

今日はこの後は「落策」という打ち上げです。

今年はねえ、祭りの寄付に関して
とっても頑張ってくれたラーメン屋さんが、
居酒屋メニューも作ってくれる
というのでそこですることにしています。
寄付はいつもありがたいですねえ。
こういうお返しもちゃんとしないとねえ。

そしてそのあとは、
毎年行きつけのスナックで
重鎮たちの二次会。
ここまででまあ来年の役員も決まり、
これで今年の祭りが終わるのです。

やれやれお疲れさんでした。

さあ祭りがすんだら
今年は3つの旅行をはじめ
宴会、歩き、美術館巡り
そしてじぶんの絵画の展示会と
遊びの予定がもういっぱい入ってます。

またしっかりと遊ばなくてはなりませんね~。

ではいまから落策に行ってきます。


2017祭り2日目

2017年10月08日 22時44分53秒 | 生活

ああ~今年の祭りも無事に終わりました。
いろいろ楽しいことも
あった祭りでしたねえ。



息子夫婦は無事に長野からやってきて、
楽しい時間が過ごせてよかったです。

まあことしの祭りは色々ありました。
まず祭りの前からは
市のだんじり協議会のメンバーとして
ちょっといろんな意見の違いがありましたが、
まあそれも一旦休止して祭りに突入。
おかげで、一層知り合いが
増えましたなあ。

そして試験曳では警察の
ペナルティも受けましたが、
終わってからの
長渕剛そっくりさんの
コンサートが大うけ。



こんなに大きな音量で
苦情も全くない町内には
感心してはりましたな。

そして祭り本番は、
まあ天気的にはそこそこでしたが、
天気に関係なく
いいやりまわしも見せ
頑張ってくれました。

そうそう、来年からはdoironも
地元神社の氏子総代です。

だんじりの宮入を裃で
迎えなくてはなりませんので、
その挙措を参考に
じっくり見つめておきました。

そして明日は片づけとそのあとは大宴会。

今年の祭りはまだまだ
みんなではじけますよ~。


2017祭り1日目

2017年10月07日 22時19分22秒 | 生活

何とか時折の雨の中でしたが、
祭りの初日は無事に終わりました。

2年前は暑くて変な脱水になり
「脳梗塞」を起こしてしまいましたが、
まあ今年は逆に寒くて
最初は風邪をひかないか
心配したくらいですね。

午後から気温も上がり
まあまあ快適に過ごすことができました。
今年の初日は警備に忙しく
辺に気を遣う一日となります。

でもまあ、大したこともなく
1日目は無事終了。

さああと1日頑張りましょう。


2017祭り前夜祭

2017年10月06日 23時47分43秒 | 生活

さあて、あすからいよいよ
今年の祭り本番です。

今年はだんじりを大修繕したので、
きれいなだんじりでの曳行ですねえ。

でもねえ、そんなきれいな
だんじりなのに雨がねえ。
カバーをかぶせて曵行なんかも
するんですが、
そうなるとなかなか見栄えがねえ。

それに乗ってるものも
大変不自由しますしね。
何とか降らないようには
できないものですかねえ。

まあdoironは今年は祭りの
半分が警備ですから、
そんな中での曳行で
事故・けがのないことを祈ります。

あとまあ気を付けないと
いけないのが、お酒。

また飲みすぎたら痛風も出ると
大変やから気を付けないとねえ。

自町ではもちろんだけど、
今年の警備の場所が
他町の休憩場所に近いので、
飲まされ続けないようにしないとねえ。

そうそう、あと一つは
息子が返ってくるんだよね。
6月の結婚式以来やねえ。

doironは外に出ていることが
多いのですが、
ミセスはその応対も含めて
バタバタするやろねえ。

まあ何事もなく無事に
祭りが終わることを祈ろう。

今夜は前夜祭でした。

doironはノープリン体ビールで
乾杯でしたよ。
で、あしたは午前5時集合。

短い時間ですが、
今からじっくり寝るとしよう。

おやすみなさい


10月も忙しく生きてます

2017年10月05日 20時49分41秒 | 生活

10月のちょっと気になる話。

見つけたんです。
これまでいろいろと工夫をしたけど
ようやくめちゃ役に立つ物品を。

それがこれなんです。





メダカを飼っていたかめに
トンボなどが近寄って
卵を産まないようにと
スマートにふたを
しておくネットです。

絶滅危惧種保護ネット。

環境省が開発したものです。
なあんて、冗談、冗談。

このネットはなんと扇風機の保護ネットです。
これがねえ、メダカを飼ってる
カメにピッタリなんです。
100均でみつけて
これに気付いた時には、
もうびっくりしましたねえ。

いやほんと。

カメでメダカなんかを飼ってる人には
大助かりです。
ーーーあんまりおらんかなあ。

このブログを読んだ鳥羽水族館なんかも
役に立てるかもしれませんねえ。
海遊館も・・・
ジダンの会社も・・・
もういいか
いやあでもいいこと発見しました。
これで日本のメダカも
救われる毎日を過ごすでしょうよ。


そしてまだまだありますよ。
これ。







見事にイボがdoironの体から
排除されました。
ある朝どうなってるかなあ
と思ってみた時です。
かさぶたのようになっているイボが
今にも体から離れそうになっていました。

おややと思って触った瞬間、
イボはポロリとdoironの体から
離脱していったのです。



手に取ってみると、
微妙に硬いイボでしたねえ。

傷口はまだ赤いのですが、
これは離脱時に傷ついた
doironの皮膚の修復行動なんでしょうか。

それとも、も、もしかして
また新たなイボがここから
膨らんでくるんではないでしょうねえ。
それはちと心配していますが・・・

しかしこれで体重も1gくらいは
やせたかもしれません。
もう服を着るときに当たって
不快な思いをすることもないでしょうねえ。
これもまた10月になって
起こったいいことの一つでした。


さて先日電車に乗っているときには
こんなことがありました。
歩きに出かける朝の電車だったので、
満員でした。
痴漢に間違えられちゃかなんので、
片手でつり革を持ち、
片手をつり革を持った手の
ひじの上に置いてました。
もうこれで、doironの両手は
ふさがっているよという状態ですね。
揺れるので体のバランス取りが
不自由なんですが、
つり革手でなんとか体を
支えているときです。

後ろに立った2人の小柄な
女子高生の話が
ぼそぼそ聞こえてくるのです。
それがもう驚くような会話。

「最近、彼とあまり遊ばないね」
という一人の質問に
「あのさあ、先日さあ、
彼に分かれようっていわれたの」
「え~、そうなん?」
「そうなのよ。世の中っていややね~」だって。

思わず膝から崩れ落ちそうになりました。

「またいいひと見つかるよ。
まだまだ男いっぱいいるから」
なんていう会話もあって、
それからの二人の会話が
チョー面白かったこと。

つり革を持ちながら、
笑いをこらえるのに大変でしたね。
世の中大変面白いことが
まだまだいっぱいあるね。
長生きしててよかったなあ。

あ、そうそうそれともう一つ、
ジム仲間の友達の数歳くらい
歳上の女性が2年間
ずっと計画していたことがありました。

それが「キリマンジャロ」の登頂です。

六甲やお菊山、竜門山から始まって、
高度に勝つためと富士山にも
上って鍛えてきて、
ついに今年の秋に出発しました。

~添乗人に甘えて甘えて登頂してくださいよ~
と言ってたら、先日
ついに登頂しましたとのメールが。



いやあ、すごい思い出を作られましたねえ。
「イモト」も真っ青です。
この思い出もまたすごい話で、
今度そんな思い出話を聞きながら
みんなで飲み会しようと計画中です。

いろんな制約や不便事もいろいろあるけど、
まだまだ毎日予想外の
楽しい出来事だらけで、
おかげで退屈せずに生きています。


兵庫なぎさ海道8

2017年10月04日 21時04分57秒 | ウォーキング

この「みなと八幡神社」には、



これまで一度も見たことがない
石が立っている。



これが

「迷子のしるべ石」

といわれている。
え~どうして使うんやろ。
迷子になったらとりあえず
ここまで来いということ?

それとも人生に迷子になったら
この石を拝みなさいかな?

いえいえそうじゃなくて、
この石の両サイドには
「たずぬる方」と「しらする方」と
彫られてある。

「たずぬる方」には子どもの特徴などを
かいた紙を張り、
「しらする方」には迷子を発見した人が
その旨の神をはるという
仕組みで子どもの行方を
知らせっこするというものだ。

「え~肩からカメラをつるして、
へらへら言ってるお爺さん」

あるいは

「頭にタオルを巻いて山を
駆けずり回ってるジダンのようなおじいさん」
なんて張らないでね。

まあ、そんな当時としては
珍しい石なのだ。

残念ながら昭和20年の
空襲で破壊されたようだが、
それは補修されて鉄で
巻かれて再生さるとともに、
全く新しい石で同じものも
作られているようです。

もう今のような情報社会にあっては
全く不必要なものでしょうが、
ちょっと珍しいこんな石を
再生して残しておくというのも
いい手やねえ。

京都の誓願寺前のしるべ石は
「をしゆる方」と「さがす方」
になっているようだ。
そして桑名の春日神社のものは
「たづぬ留かた」と「おしゆる方」に。

全国的には東京・浅草寺の
「浅草迷子しらせ石標」が
有名だとのことだ。

こうして数えてみたら、
全国で約30基が確認されているそうで、
大事にしておいてほしいですね。

ここの神社にはほかにも
「力石」なんかも置かれていたねえ。



さあ、ではまた歩き始めよう。



選んだコースはJR神戸線をくぐって、
線路に沿って進んでいく
ことになっている。

その途中いかつい事務所があって、
周りに外車が大量に置かれている
建物がありましたねえ。

なんかこの辺りはとても
きな臭い感じですから、
スタスタと離れていきましょう。

しばらく行くと、そこにあったのが
「新開地」の案内看板。



ああ~ここ、ここ。

これを左に曲がって、
大衆芸能の道=新開地本通り
に入っていこう。



車のあまり通らない静かな道を
歩いていくと、人の形をした
ゲートが出てくる。



このゲートのすぐ横にあったのが、
新開地劇場と



映画館。



あ、映画館の壁にdoironが
写ってますねえ。

ああ、ハリウッドスターに
間違えられてもいけませんので
慌てて身を隠すように
歩いていきます。

まあ、もともと世間から
身を隠していますが・・。

商店街は結構古いお店も



残っていますが、まあその辺の



歴史的価値はここでは
置いときましょう。



ただ、商店街を出たところにある
このお店には興味をもっていたのに、
な、なんとお休み。



ああ、ここの饅頭が
食べたかったのになあ。
食べながら宇宙空間を
ただよっているような
気持になりたかったのになあ。

え?お前はすでに
現世をただよっているではないかって。
そ、それはそうなんですけど~。

調べたら、この店はめちゃ不定休で、
正月どころか、夏場は開けていない
とかという、もう宇宙空間的な
不定休でした。

ネットで調べたら、
こんな饅頭なんだそうだ。



ああ、資料の中にあった
江戸時代など古い遺物なんか
見逃さずに来たのになあ。
ここへきて大誤算でした。

やっぱり宇宙は広いです。

このあとはもう神戸駅へ
まっすぐむかいましょう。



途中、湊川神社により



最後の参りをして、
加藤文太郎、平清盛、高田屋嘉兵衛と
知り合えた喜びを伝えておきましたよ。



全部で歩いた距離は11キロくらいと、
まあそんなに長い距離では
ありませんでしたが、
充実した一日をすごした気がしますね。

兵庫なぎさ海道、これにておしまい。


兵庫なぎさ海道7

2017年10月03日 21時43分46秒 | ウォーキング

このチヂミ稲荷には、
大変重要なものがある。

嘉兵衛が寄進したという燈籠だ。

鳥居から中を見た景色がこれで



その横に立っていたのが、
その燈籠だ。



なぜ彼が寄進したのかわかるかというと、
ぐるっと燈籠を見回してみると、



おお~ここに

「高田屋」

と書いてあります。
寄進したのは、もう彼が
引退して淡路に戻ったころですが、
彼の住居に近いこの神社に
海運安全を祈って寄進した
という燈籠なんだそうです。



え~、小説を読み始めてから
実際の彼の遺品に
会うのは初めてです。

以前、小説をまだ読んでいない頃に
淡路の高田屋嘉兵衛記念館の
横のログハウスに
止まったこともあるのですよ。

でもその時には記念館には
入りませんでした。

今だったら、
見たいものはいっぱいあるのになあ。

例えば、当時の船が
どんな形だったのかが知りたいですねえ。
昔は幕府の制限で
立派な船は作れなかったそうで、
だったらどんな形だったんだろうと、
小説を読みながらずっと思っていたので、
それなんかは是非に知ってみたいですね。

以前はそんなに興味も
示さなかったのに、
今はこうして「高田屋」の名前の入った
燈籠との出会いでも感激するなどしながら、
なんか自分なりにちょっと
歴史を感じた瞬間でした。

近いうちにあのログハウスに
止まってみたいなあと
思いましたね。

ちなみに嘉兵衛は淡路で
59歳の時になくなっています。

その墓もまた、ログハウスの
そばにあるようです。

そうかあ59歳かあ。
もう自分より若い時に
亡くなった人なんですねえ。

それなのにあれだけの
実績とはすごいねえ。

doironは人生油断して
生きてきたよなあと、
しみじみ思ってしまいますねえ。

まあもう仕方ありませんね。

あと残りの人生も、
しっかり油断して楽しもうっと。

さて、この神社には
まだ特徴があります。
それが、ここのビリケン像。



中にあった石に昭和5年
と刻まれていたそうです。

実はビリケンはアメリカの芸術家が
夢の中で見た神秘的な人物なんだそうです。

足の裏をくすぐって
顔が笑ったら願いが叶う、
というものだったそうで、
それはもういまから
110年くらい前の話です。

しかしあの時は驚きましたねえ。
ビリケンさんといえば通天閣が浮かびますが、
そんな古い歴史を持つものだ
ということを、ここに来たことで
初めて知りましたね。

歩いていると少しずつ
知識も増えていくもんだな。

で、この神社はこれで終わりかというと、
そうではない。
もう一つあるのが「平経俊」の塚だ。



湊川の合戦で、
鵯越から降りてきたところを
源氏のものにやられたという
彼の塚は、この地域の過去の
名所案内である「福原びんかがみ」では
経俊の塚は佐比江の浜に
あるとされているのです。

そんなことを考えると、
どうやらこの神社にある経俊の塚は、
佐比浜から移転してきた
ということがわかりますねえ。

とまあ、嘉兵衛ゆかりのこの神社を
じっくり訪ねた後は、
コースをまたJR神戸線の方へと
戻していきます。

そのJRの手前で、
西国街道と交わるところにあるのが
「みなと八幡宮」です。



ここは西国街道の兵庫の町への
東の入り口であったらしい。

まあそれくらい前なら
汗汚い歩きdoironじいさんは
入れてくれなかったでしょうねえ。

さらし首になっていたでしょうか。
台の上で笑っている
doironの首があったら
変な感じやろうなあ。

入り口の総門の説明版には、
当時の状況が絵で描かれています。
昔は旅をするのも大変やったんやなあ。

でも田んぼ道とか山道通って
普通に街に入っていくことなんか
できなかったのかなあ。

当時の道の状況なんて
どんな感じやったのかなあ
と疑問を抱いたりしてしまうのでした。

続く


兵庫なぎさ海道6

2017年10月02日 21時52分16秒 | ウォーキング

兵庫大仏を、あの石切大仏なんかを
思い出しながら眺めた後は、
地図を見ながら先ほどの
コースの方へと戻っていくとしよう。

この辺りは、
「兵庫津の道」のエリア内で
あると同時に、京から下関へと続く

「西国街道」

も通っている。

兵庫大仏の先を左折すると、
その西国街道神戸の
「札場ノ辻」に出ていく。



西国軌道の地図をツラーっと
見ていくと、道が
90度曲がっている部分がある。
たぶん、兵庫津の方つまり兵庫の
中心地に向かって街道は曲がっており、
ここを抜けてまた方向転換をし、
須磨、明石の方へと進んでいく
ようになっている。
ここにはぜひよらなくちゃ
みたいなコース設定やね

そしてこの先でdoironコースは
海辺の方に入っていく。

海岸線のところにあったのが
「古代大和田の泊石椋」
のモニュメントだ。



う~ん、これはカエルのような・・・

ちゃうちゃう



これです、これ。

昭和27年の新川運河拡張工事のさいに
出土した大きな石の塊で、
この辺りにあった大輪田泊の
防波堤の一部だとされている。

横には説明版もあったが、
文字盤がくちゃくちゃで
解読は困難この上ない。



さあ、そこから海岸線沿いを
進んでいこう。

この先には鍛治屋町という町がある。

このあたりから出てくる人物が、
高田屋嘉兵衛だ。
淡路島の貧しい農家に生まれ、
庄屋の娘を無理やり連れて
神戸にやってくる。
これがその娘の姿



ちゃうちゃう

そして神戸に来てから
彼の船乗りとしての
人生が始まるのだ。

当時、船乗りは厳しいおきての中で
組織されていた。
決められた屋号のものしか
大きな舟を出せない。
そんな中、彼はいかだのような
舟で江戸まで材料を
運んだりしながら船乗りとしての
名を挙げていく。

で、あるときに廃船間近の
船を手に入れ、それを改修して
知り合いの屋号を借りて
荷物の運搬に取り組み始める。

一度舟を手に入れ運搬するごとに
大きなお金が動いていき、
今doironが読んでいる小説の部分では、
北海道に行く北前船を
運転を始めているのだ。

この後ロシアとの交流なども
出てきそうなのだが、
途中いろんな本と出合って
ちょっと離れている
というのが最近の状況である。

年内くらいには
全部読んでみたいなあと思っている。

その高田屋嘉兵衛が
住んでいたこの兵庫津で、
とても大きな庄屋だったのが
北風家だ。
すべての船乗りに、
無料で風呂や食事を
配っているという大御所で、
その北風家が反映したのが
この鍛冶屋町だった。

北風家は繁栄をつづけ、
この地方の港の多くをまとめていた。

無名時代の高田屋嘉兵衛を
講演したのも北風家だったし、
あの与謝蕪村の講演もしていたそうだ。

また後世になっても、
このブログの最初の方に
出てきた明親園の開港にも
関連していたが、
明治28年に北風正造によって
歴史の幕は閉じた。

しかし当時のその一族は
今も名前を変えて
主な港町に散在しているという。

高田屋嘉兵衛がその北風家の
風呂に行くシーンも、
小説「菜の花の沖」の中には
たびたび登場していた。

まあということは嘉兵衛の家も
近かったということだ。

その鍛冶屋町から
しばらく歩いていくと、
竹尾稲荷という神社があるが、
どうも彼の家はそのあたりだったそうだ。

その稲荷がここ。



彼の顕彰碑が立ち、



大きな案内板が設置されていた。



そしてそこからしばらく
阪神高速に沿って歩いていくと、



「西出鎮守稲荷」という
神社に到着する。



近辺の人たちはここを
「チヂミ」神社といって
慕っているそうだ。

なぜチヂミなのかなあ
と思って調べてみたが、
どうもよくわからない。

昔ここで「チヂミ」を焼いて
売ってる人がいたのかなあ。

それとも住職さんが
小柄な人だったのかなあ。

いろんなことを想像したが、
どこにも理由は乗っていなかった。
でも待てよ、ここの神社の名前は
「西出鎮守稲荷」。

舌の周りの鈍い人が
「チジュ稲荷」→「チジュイリ」
→「チヂミ」と略して
言ってたのかもしれないぞ
無理あるかなあ

そして、なぜここが
画高田屋嘉兵衛と
関係あるかというと

そのわけは、続く