ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

目の検査を受けました

2019年11月10日 20時51分55秒 | ウォーキング

この頃目の疲れが大きい。

長い間視力を存分に使っていると、
ああもういやっというくらい
気分が暗くなる。
なのでパソコンを見ていても
必ず定期的に休憩を入れているし、
週一くらいでパソコンを
見ない日も作るようにしている。

まあもう強制的にそうしないと
つかれまくってしまうのだ。

視力が元気な時なら、
車の運転にもまだメガネはいらないし、
新聞だって普通に読めているのですが、
疲れてくると文庫本なんかは
目にぐっと力を入れないと
普通に読むのはむつかしい時もある。

まあ弱い脳みそ、虚弱な心臓に比べて、
視力の方は加齢の割には
何とか持ちこたえている感じではある。

退職してからは、
目の使い方が不規則になり
つかれてしまうことが多かったので、
5年くらい前に検査に行ったことがある。

その時は何も異常はなく、
「きれいな瞳で世の中を見ていますね」
といわれたものです。
でももう5年たったから
また行った方がいいかなあと
思い始めていました。

で、そんなときです。

どうも目ヤニが出て目が
少し赤くなりました。

あ、これはちょうどいい機会だから、
この診察と一緒に目の検査も
してもらおうと思い立ち、
目医者に行くことにしたのでした。

検査は前に行った目医者です。

診察室に入っていくと、
まず目の状況を看護師?に説明し、
ついでに目の検査もとお願いしたら、
すぐに眼圧の機械に乗せられました。

そのあともなんか変な機会に乗せられて、
パシャパシャさせられたり、
視力を図られましたね。

そしてしばらくしてから、
医者の診断です。

目をこじ開けられて
「あ~目ヤニが出ていますねえ。
流行り目かどうか検査しますねえ。」
といいつつ薬品を出してきます。

「麻酔しますからねえ」と目にプシュッ。

それから目をこじ開けて、
組織を削るようにこすっていきます。

「検査の結果は15分後に出ますから、
待合室でなにも触らずに座っていてください」
といわれいったん外へ行きます。
まあ流行り目だったら写らないように
しないといけないから当然ですね。

結果は幸い流行り目ではなかったようです。

なんかばい菌が入ったんでしょうとのこと。
目薬をもらって、4、5日後に
また来てくださいとのこと。
流行り目じゃないとほっとして
外に出たのですが、目の検査の結果は
聞くのをすっかり忘れてしまいました。

何も言わなかったから、
大丈夫だったのかな。
ま、次回にもう一度聞いてみるかと思い、
その日は目薬だけもらって帰りました。

そして5日後に再診です。

「あ~目はだいぶ落ち着きましたねえ。
あげた薬を指し終わったら終わりです」
とのことです。
それは良かったです。

では目の検査の事を聞こうと思ったら、
先生の方から
「目の白内障が始まりかけていますねえ。
このままいったら70歳くらいで
手術になりますよ」とのことです。

写真も見せてもらったら、
確かに白い部分が出来ています。

「とりあえずは目薬を差し続けてください」
とのことです。

実はdoironの親父も白内障で
手術をしています。
遺伝的なものもあるのでしょうねえ。

以前の検査の結果では
きれいな瞳をしているといわれたのに、
白内障だなんてねえ。
もうすっかり加齢の症状が
出てきているということですねえ。

おうちに帰ってミセスに話をしたら、

「言ってみれば、まあ順調に
年を取ってるということなんでしょう」
といわれました。

人間やっぱり年齢を重ねると
いろいろ出てきますねえ。

これからは体の中のいろんなことに
さらに注意を払いながら、
つつましく、そしてそれでも
しっかりと遊んでいきますかね。


六地蔵を歩いてきた8

2019年11月09日 21時19分38秒 | ウォーキング

一言寺を出てさらに進んでいきますと、
周りに何の施設もない空き地に、
一本の石が建っていました。



そこに書かれていたのは
「平重衡郷墓」という文字です。

え~これが平清盛の5男である
平重衡の墓?
これは墓本体ではなくて
案内なのかなあ。
近くに墓があるのかなあ。
よくわかりませんでした。
でもさすがに京都、
もしこれが本当の墓だった
としてもああそうかあで
終わってしまいそうな感じです。

謎を抱えたまま次に向かいましょう。

交差点に差し掛かると、
カーブミラーとごみの合間に
石が二本立っています。



ひとつは「親鸞聖人日野誕生院」
と書かれています。

そう、この先にある法界寺が
親鸞の生まれたところだったのですね。
そこには日野薬師もありますので、
もう一つの石には
「右 ひのやくし」と
書かれています。



ああ、今回最後の見ものですね、
訪ねていきましょう。

ん?でも待てよ、
なんか小さな道標が立っていますよ。

「鴨長明方丈石」

というのがここから
1000mと書かれています。
資料では100mと書かれていますが
間違いですね。

鴨の一族である鴨長明の事は
下鴨神社の横の河合神社のところで
学びましたね。

そこで禰宜になり損ねて
大原に移り住んだと書かれていました。
そこから最後にここにきて
61歳で亡くなったのですね。
ほかにも死んだ場所はある
といわれていますけどね。

河合神社には、彼が住んでいたという
小さな屋敷「方丈」が再生されていましたね。

その時にdoironが
撮影したのがこれです。



組み立てて運べるような小さな家です。
昔のプレハブ小屋みたいな
ものだったかもしれません。

そんな彼が大原を出て最後に
方丈を立てていたのが、
ここから一キロほど山の中にある石の上で、
それが方丈石といわれているそうです。

この時は実際にはいきませんでしたが、
ネットにはそのことが書かれていまして、
かなり山の中だったそうです。



こんな写真が掲載されていました。
よくもまあこんな山の中に
粗末な方丈で生きていたものですねえ。
方丈石の案内に関しては、
この1000mのほかにも、
こんな案内や



800mのこんな石の案内も立っていました。



ファンは訪ねていったり
するんでしょうねえ。

あちこち歩いて最近ほんとに
思うのですが、過去の歴史や
様々な思いを何らかの形で
残しておこうと思う人は
多いのですねえ。
若い時にはあまりきずかなかったけど、
世の中にはそういうものが
いっぱい残っていますねえ。

そこからしばらく歩いていくと、
親鸞聖人ご誕生の地という
石が建っています。



その横にあるのが日野誕生院ですね。



親鸞はここで生まれて、
その横にある法界寺の薬師如来など
見ながら育ち、浄土真宗を
生み出していったのですねえ。

ここがその法界寺です。



中身は残念ながら
撮影できていません。

さあこれで、今回の見どころは
だいたい回りましたねえ。
時刻もお昼を回っています。
ぼちぼち昼食を考えていきましょう。

え~車なので、ビールはあきません。
歩いていると、おお、まったけご飯の
旗が上がっているではありませんか。

お食事処に入りましょう。

注文したのがお蕎麦と松茸ご飯と
てんぷらの定食です。
めちゃめちゃ豪華ですねえ。



もう晩飯はお茶漬けだけに
しておきましょう。

それにしてもこの地域は、
小野小町や醍醐天皇、
豊臣秀吉、鴨長明、親鸞と
とても豪華な顔ぶれが
残っていましたねえ。

これから秋にかけて
紅葉もきれいになりますから、
前半の山科川の散歩も合わせて
なかなかいいコースでした。

さて次は、三重県に行きます。

友達の三重の仕事に便乗していた
三重県散策歩きの続きです。
津、鈴鹿、松阪、四日市、桑名と
歩きまわりましたが
今回は、まだ未踏だった
亀山に行ってみることにしました。


六地蔵を歩いてきた7

2019年11月08日 21時28分31秒 | ウォーキング

この醍醐寺の中の石畳の道は、
旧奈良街道に並行してついている。
きれいな道ですねえ。



さてそんな醍醐寺ですが、
背後に山があってこのあたりに
わく水がとてもうまくて
「醍醐味」と名付けられた
というようなところです。

ではこの「醍醐」というのは何でしょうか。

実はうまい五つの味として
順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と
精製されて最後の一番美味しいものとして、
醍醐というのがあげられています。

ではその製法はというと、
じつはもうすでに製法は
失われているそうです。
仏教の経典などの記述を
見ながら再生した人もいて
どうもバターオイルのような
物質ではないかといった人も
いるそうです。

また「カルピス」という飲み物の
名前はカルシウムの「カリ」と
熟酥(サルピス)のピスを
くっつけたものだそうです。

いずれにしても最上においしいという意味の
醍醐が付けられたお寺ということですねえ。

そんなお寺の中を南向いて
進んでいきますと、門のところに出ます。
このもんが「黒門」といわれる門です。



これで醍醐寺を南北に
貫いたことになります。

その門の前にはかやぶきの
古い民家が立っており、
そこには「太田垣蓮月仮寓居跡」の
碑が立っています。



この太田垣蓮月は江戸時代の尼僧で、
亀山城で10年ほど過ごした後、
子どもや夫に先立たれ
各地を引っ越し歩いたそうです。



そんな尼僧の寓居のひとつが
この建物の場所で、
京都市重要建造物になっています。
その建物の横の狭い道を進んでいきます。



道の突き当りには「融雲寺」や



浄土宗の「唯心寺」などがあり、



それらを眺めながらグルリンと
住宅街を進んでいきます。



このあたりは背後に醍醐山があるので
小さな水路が何本も流れていますねえ。

資料では「小さな橋を渡る」と書かれていますが、
確かに橋が何本もかかっており、
よく見たらそんな橋にもそれぞれ
名前が付けられています。

これが「上端山橋」



そしてこれが「柏森橋」みたいにね。



あ、ここの石垣には注意看板があります。



「犬の飼い主にお願い」
犬の糞尿クッサイです、だと。

ああ、感情がこもっていますねえ。
しかも防犯ベルが設置されているそうで、
糞尿の匂いに反応したらすごいなあ。

あ、そうそうそれで思い出しました。
ここの手前のトイレで、
この寒いのに半そでを着ている
外国人の後にトイレにはいったら、
なんとトイレから湯気が出ていましたよ。
体温高いんですねえ。
もし駅のトイレで用事をしたら、
煙の感知器に反応するんじゃないか
と心配しましたよ。
ここの防犯ブザーもそんなんだったら
面白いのにねとくすっと笑ってしまいました。

そしてその先にあったのが
「一言寺」です。



あの「大原女」のモデルとなった
「阿波内侍」によって創建されたお寺です。
この寺の御詠歌が
「ただたのめ ほとけにうそは なきものぞ 
二言といわぬ 一言寺かな」です。

先ほどの一音寺は阿弥陀が放つ
一言が皆の心を助けるみたいな
寺でしたが、ここは一言だけなら
願い事が叶うというお寺です。

う~ん、むつかしいですねえ。
一言だけかあ。
まあ、いろいろと考えてひとつだけ
お願いしておきました。
中身はひ・み・つ、です。



もしこれがねえ百言寺だったら大変ですよ。
なかなか百の願い事なんて
思いつきませんからね。
本堂でしっかりと願いしてきました。

で帰り道に気が付いたのですが、
ここの山門近くの出入り口に
立派な木がありますよ。
みたら樹齢400年以上の
ヤマモモだそうです。
京都の天然記念僕に
指定されているそうです。



中が空洞になっているような
でかい木で、なかなか年季の
入った感じです。

毎年6月に赤い実を
たくさんつけるんだそうですが、
そんな時には掃除など
手入れが大変ですねえ。

続く


六地蔵を歩いてきた6

2019年11月07日 21時12分07秒 | ウォーキング

この御陵の清掃をされていた方は、
少しこだわりのありそうな
感じでしたね。

醍醐天皇後山科陵の
「後」について聞いてみますと、
あれは「のちの」と読むそうなんです。

亡くなった時には陵には
入れられなかったのですが、
後に陵に入られました。

そういう意味で
「のちの」というのが
ついているようです。
説明をしてくれたおじさんは、
ほかにも皇后の墓の事とか
話してくれましたが、
ちょっと基本的な知識が足りないので、
頭の中でのつこつと話が
反響しておりましたな。



まあとりあえずこの御陵は
醍醐寺が管理する「円墳」です。

お参りの道を歩いていると、
なんとここはキノコ
だらけの道でした。





湿気が高いのかなあ。
醍醐の地下水で元気に
はぐくまれているのかなあ。

なんか不思議な感じの
するところでした。

御陵の横には普通に住宅が
密集しています。



住宅地の中の森のような御陵でした。

そこから道は昔の雰囲気のある
道となり、そこを進んでいきます。



というのもそのまま
まっすぐ行ったら
醍醐寺の北門へと
続いていく道ですから、
多くの人が歩いた道なんでしょう。

何となくそんな雰囲気で
あふれています。

そんな嗅覚が何となく
doironにもついたような
気がします。

すこし進むと、
御陵西浦公園というのが
すこし西側にあり、



資料にはその公園には
石仏があると書かれて
あったので寄ってみましたが、
ウロウロと探し回っても
石仏はありませんでした。

近くの家のこんな石仏で
我慢しておきましょう。



また、愛宕燈明のある神社では、



こんな灯明を見つけましたが、



それよりも何よりも、
境内の庭にうじゃうじゃと
たむろしているこんな毛虫には
ビックらこきましたね。



ウヒャヒャーと逃げていきましょう。





ここは「一音寺」

この先に「一言寺」というのがあって
一言の願いを聞いてくれるそうです。
なのでこの寺も関係あるかと思ったのですが
そんなんではなかったです。
阿弥陀様はたった一言で
我々の心にしみいる
という意味があるそうです。

コースの左手にはまた何やら
緑の場所がありますね。



ここが、「朱雀天皇醍醐陵」です。

朱雀天皇は醍醐天皇の長兄で、
醍醐天皇が崩御し
8歳で天皇となりました。
以後、平将門の乱があったり、
富士山の噴火や地震の災害
などがある大変な時期に
16年間在位しておりました。

その後30歳で崩御する
という若い天皇でした。

その御陵がここにあります。

中に入っていくと、
拝所はこんな感じ。



宇多天皇、醍醐天皇、朱雀天皇と
続く天皇一族はこのあたりを
中心に活動をしていたのでしょうねえ。

やがてコースは醍醐寺の
北門に到着します。



とはいえこのコースには、
周りにお寺もまだあります。



ここは理性院というところで、
中に入るとたくさんの
石物が出迎えてくれます。



また山の方には長尾天満宮もある
と書かれています。



そちらをのぞき込むと
まっすぐな参道の奥に、
長い登りの階段が
続いていますよ。



う~ん、ついつい立ち寄っていたら
時間がかかって仕方がありませんので、
ここはまあネットで
境内を見ておきましょう。



そしてここからは、
醍醐寺の三宝院の東側の
通路を進んでいきます。



そうちょうどこの壁の内側は、
いまから900年くらい前に
僧正勝覚によって創建された
僧正の坊である三宝院で
見事な庭が広がっています。

なかでもdoironが忘れられないのが
藤戸石で、



圧倒的な存在感を放っていましたねえ。

この石がとれた倉敷の場所まで
見に行ったものです。

この上醍醐時に続く
仁王門のところまで来たら、



右折して三宝院入り口の方へと
向かって行きます。
すると途中に見事な紋の
施された漆黒の門が見えてきます。



これが「国宝」となっている唐門です。

このあたりは大変多くの桜が
植えられています。
ちょうど秀吉がなくなる数か月前に
ここで開かれた
「醍醐の花見」の印象が
濃い所なのです。



そんな桜の木なんかに
はさまれた通路を過ぎてゆき、
三宝院の入り口の前の道を
左折していきます。

続く


六地蔵を歩いてきた5

2019年11月06日 20時30分01秒 | ウォーキング

今シーズン最後の暑さにほだされて、
前回はこの地域をぐるりんと
一周する歩きをいったん
途中でやめてしまいました。

コースは面白かったんですよ。
ヒガンバナが咲いている山科川は



とても気持ち良くて、
こうして元気に歩けるのも
それとなく健康でいるからやと、
実感する歩きでした。

しかしやはり最近は暑い気温が
人々を襲います。

あんなに炎天下の下で
トライアスロンとかやっていたのに、
そういう面でも弱くなりましたね。
まあ普通になったというのかも。

脱水はdoironの天敵ですから、
それを意識したらやはり
暑さには弱くなりますねえ。

ふんふんと元気で歩いていても、
知らない間に体や精神的に
疲れがたまってきていたりするのです。

まあ歩きの経験も増えましたから、
その辺の危機察知能力も
知らずに高くなってきた
といっても過言ではないでしょう。

そんな中、朝晩が一気に冷えるようになり、
結局日差しも気持ちの
良いよさそうな日に、
今だとばかりに思い立って
早速前回の続きを歩くべく、
六地蔵方面へと向かって
行くことにしたのでした。

やはり途中でやめていたので
気になっていたからね。
このあたりは伏見や宇治に行った時に
車でだいぶ通いなれましたねえ。

第二京阪に乗って小椋で
降り伏見を抜けて走っていきます。

六地蔵に着くと駐車場も
この前と同じスーパーの駐車場に向かいます。
ここだともう乗るべき地下鉄の
駅に近いですね。

そこから前回引き返した
「小野」の駅を目指していきましょう。

ところで歴史の中に「小野」の名字は
よく登場しますねえ。

小野妹子、

小野篁、

小野小町、

小野道風と様々なところでの
この人たちの活動が見られます。

実はこの人たちは全部一族ですね。

この今回向かう小野駅も
この小野一族に関連しています。

そう駅の近くにある隋心院には
あの絶世の美女といわれた
小野小町が使ったといわれる
井戸があったりするからですね。

そんな小野駅で降りて、
さあでは歩き始めましょう。



まずは奈良街道のところで
前回最後の名所となった
隋心院を通り抜けて、
東の方へ進んでいきます。

ここがその隋心院の駐車場です。



入り口には奇妙な鉄塔が
立っていますねえ。



奇妙な目印ですねえ。

そんな横を通り過ぎていくと、
醍醐古道という交差点に出てきます。



へ~醍醐と名がついているから
いわれのある地名なんでしょうねえ。
でもこのあたり、醍醐で始まる
地名がなんと50以上もあるようで、
醍醐天皇ならびに醍醐寺が
強く関連している地域なんですねえ。

その交差点を右に曲がります。



道はちょっと並木のある下り坂で、
100mくらい行くと
左の奥に森が見えてきます。

そちらに向かって行きましょう。

そこは醍醐天皇後山科陵です。

この陵の管理は醍醐寺が
行っていますので、
他の多くの陵のように
所在が分からなくはなっていません。

かの菅原道真を太宰府に
左遷したことにより、
見方や身内を次々になくなどという
道真の怨霊にさいなまれたのではという
醍醐天皇の御陵です。

グルリンと半周回っていくと、



中年の男性が清掃活動を
している陵への道が続いています。



宮内庁の人かなあ。

近々天皇が即位の報告に
京都方面に来るそうなんですが、
それに向けての整備かもしれませんね。

まあとりあえずdoironが
お参りしておきましょう。

勧修寺で玉の輿で生まれた女性が
宇多天皇との間に産んだ子供が
醍醐天皇です。

菅原道真の追放など
父である宇多天皇に
背いたといわれて、
死後は閻魔大王に
地獄に落とされて今も
苦行が続いている
などといわれたりしています。

この陵は醍醐天皇後山科陵



といいます。
ん?山科の前の「後」というのは
何なんでしょうか。

掃除をしていた人に
聞いてみました。

「後」って何?


甲子園マラソン応援本番2

2019年11月05日 21時13分06秒 | マラソン

このマラソンの先導は
自転車がやっています。
最初にやってきたのが
10kmの選手です。



結局この人が優勝でしたね。

「風もなくて走りやすかったですね」
とコメントを出しておりました。
タイムは32分台でしたから、
ああ1キロくらいなら現役時には
一緒に走れたかなあ。

そして第2集団で走る中にいた
黄色い服の人、この人が
ハーフの優勝者ですね。



なんとお年が53歳。
趣味で始めたマラソンを
30数年続けているそうです。

フルも2時間30分程度と
全くすごい人ですねえ。

この大会の選手は、
前面にゼッケンをつけるだけなので
後ろからは、フルの選手か
ハーフの選手かわからないそうで、
このハーフの優勝者は
前方の選手を追いかけていたら、
10キロの選手で思いのほか
早いなあと思っていたそうです。

まあその思い違いが
功を奏したのでしょうねえ。
10キロのゴール地点を過ぎたら
自分がトップ集団にいて
驚いたんでしょうねえ。

doironの横には、その後からも
どんどん選手がやってきます。
ゴール地点に向かって
ゆっくり歩いていくと、
あっ後ろからルネの
女の子がやってきましたよ。



なかなかいいペースです。

ハーフの部女子で10番目くらいを
走っているでしょうか。

そしてジム友もやってきたのですが、
集団の中だったので見逃しそうになりました。



そのほか10キロにも
知り合いのランナーが多く出ていて、
はっと気づいた時にはみんな
通り過ぎていきましたねえ。

やがてdoironは10キロの
ゴールを過ぎてハーフのコースの方へと
移動していきます。

途中ねえ、広い河原の空き地を見ていたら、
子ども相手のラグビー教室を
何面も開いてましたねえ。

W杯の人気から、さらにラグビー人口が
増えるのかもしれませんね。
なんかdoironも次の2023年の
フランスのW杯が楽しみになりました。

とまあそんな子供ラグビーを見ているうちに、
前方からトップ選手が返ってきましたよ。



かなり息をハアハア言わしています。
それもそのはず、まあこのひとも
53歳という年齢ということもあるのですが、
残り2キロでスパートしたんだそうです。



なので10秒くらい後ろに
2位、3位の選手が走っていましたから、
渾身のラストスパートだったんでしょう。

翌日の新聞を見たら
きっちりその人のラストスパートが
聞いたようでした。

ああトップ通過かとおもって
その時にふと自分の手を見たら、
ウヒャー、ヌスビトハギの種が
めちゃめちゃついています。



これはいかんぞと、
その種をむしり始めたら、
な、なんと足も種だらけです。



熊野古道を歩いているときは、
この季節、ヒッツキムシ注意報を出して
警戒をしていたのに、
ここにきてこんな目に合うとは。

「頑張れ~」と選手に声をかけながら、
思わず自分も頑張って
種むしりをしてたのでありました。

で、そうしているうちに
ルネの女の子もやってきました。



これだと1時間38分くらいかなあ。
順位も10番くらいだったと思いますが、
種取りに夢中で見過ごしも
あったかもしれません。

そしてその後、知り合いも
順次返ってきたのですが、
なかなかジム友が来ません。

この武庫川は僕のマラソンの中で
大きな事件のあったところですから、
ちょっと心配したのですが、
予測時間を20分以上経過して
ようやくかえってきはりました。



これでまあ全員完走です。

まあ気持ちいお天気の中
全員よく頑張りましたねえ。

皆さんが着替えている間、
河川敷でボウ―っと景色を眺めていたら
男性に道を聞かれました。

「ここから駅ってどれくらいありますか?」

「1キロくらいかなあ」と答えると
「ウヒャー、そんなにあるの?」
と驚いていたので

「今日は22.0975キロやと
思って帰りなはれ」と
励ましておきましたよ。

意外に警備も厳重でない、大きいけど
アットホームな大会でした。

帰りは「王将」で餃子と生ビール。

秋の楽しい一日でしたな。


甲子園マラソン応援本番1

2019年11月04日 20時25分27秒 | マラソン

この秋、甲子園周辺に二回出ていき、
甲子園マラソンの
ハーフのコースをすべて歩きました。

街なかと武庫川の気持ちいいコースでしたね。

なのでこうなったら本番のレースでも
選手はあのコースをレースで
走ったらどうなのか、
また選手やその家族友達は
どんな感じでレースを楽しんでいるのかと、
そういうことを確認してみようと
またまた出かけていきました。

その日は秋晴れの
気持ちいい日でしたね。
JRで梅田へ行き、
そこから阪神電車の本線で
行くことにしました。

日曜日なので、遊びにお出かけ
という感じの人が多く、
電車の楽しいですね。

これで甲子園に電車で行くための
三つの方法を試したことになりますね。
ひとつは難波から、
そしてもう一つは西九条乗り換えで、
これらは難波線で、
そして今回の本線での方法です。

結局、doiron生息域からだと
乗り換えとか考えたら
本線利用がいいかもしれません。

しかも甲子園口は急行も
止まるのですから、便利ですね。
甲子園球場を意識した
ダイヤなんでしょうね。

朝7時半ころに和泉府中をスタートし、
8時半過ぎにはもう甲子園に
ついていましたよ。

この大会、参加者は結構多く、
甲子園の周りは選手とかで
あふれていましたが、
さすがに甲子園は5万人以上も
飲み込む球場ですから、
通路の広さやあき場所の多さなど、
どことなく余裕を感じさせて
くれましたね。

荷物を置いて、レース出場の準備を
したのがタイガースの各選手の
写真が並ぶ場所で、
なんとそこは矢野監督の前でしたから
写真を撮りに来る人が
とても多かったです。

本日の選手の皆さんも
ここで撮影しましたが、
これがねえ、人が多くて撮影が大変。



人がいないときを見計らって
素早くシャッター押したから、
ぶれてしまいました。

まあ結局広報の写真なんかを
撮ってるカメラマンにしては
全然ダメですねえ。
腕を磨かないといけませんな。

選手のスタートは10キロ、
ハーフともに午前10時です。

ではコースの方に向かいましょう。



今日の計画はスタート後に応援をして、



こちらは電車で武庫川に向かい、
9キロ地点くらいと
ゴール前500mくらいでの
応援を考えています。

でもねえ、スタートして500mくらいの
ところでは大集団なので、
なかなか選手を見つけることができません。



かろうじて、元ルネの選手の
姿を見ることができましたな。

次の地点は河川敷ですから、
もう少しは皆さんを
見つけることができればいいですね。

では甲子園の駅に戻って
阪神電車で武庫川の駅を
目指しましょう。

この武庫川の駅というのは面白い駅ですよ。
だって、駅舎が橋の上にあるのです。
こんな駅は珍しく、ネットで調べたら
北赤羽駅、東大島駅、土佐北川駅、
石手川公園駅などが
あるようですが少ないです。

この駅で降りて、大会のコースである
武庫川の右岸の方を目指していきましょう。

展望が不可思議に入り組んだところを
抜けて、河川敷へと降りていきます。

河川敷の様子はというと、
あれ?この前歩きに来た時と
変わってないですよ。

河川敷を普通にランニングしている
人もいるし、犬の散歩をしている人も
います。
もうじきここをハーフ、
10キロのトップ選手が
走ってくるというのにのんきな感じです。

あれ?なんかコースを見前違えてる
かなあと思うくらいです。
でもところどころに警備員らしき人が
いますねえ。
河川敷に降りて聞いてみますと、

「ああ、もうすぐ選手がここに来ますねえ」

といってますが、どうも
切迫感がないですねえ。

まあ仕方ないので木陰のベンチに
座って待つことにしましょう。

時刻は今でスタートしてから
約30分。
もう来る頃かなあと思っていると、
先導の自転車の姿が見えてきましたよ。

続く


カレンダー作成中です

2019年11月03日 21時26分12秒 | 最近の出来事

毎年カレンダーを作成しつつ、
知り合いに配って
トイレなんかに設置し、
予定を書き込むカレンダーなんかに
してもらっている。



来年でなんともう8作目かなあ。

配布する人も少しづつ増えて、
毎年100冊以上は配布を
するような感じになっているのだ。

なのでお邪魔じゃない人には
重宝してもらっているよ~
と喜んでもらっていると
思っているんだけどどうだろうか。

お世辞半分で誉め言葉を
受け取ってもいいかなあ
と思いつつも、自分的には
そんな作業を、せめて少しでも
世の中の役に立たんかなあ
とか思いつつ自己満足で
頑張っているのだ。

まあ大きさ的にはさほどかさばらないから、
トイレや部屋のすみっこにあっても、
たいして人生の邪魔には
ならないだろうと思ったりしている。

作成はすべて自分で行う。

まずは一年分の絵と言葉をそろえて、
エクセルで作ったカレンダーに
当てはめていく。

言葉で作業を書けば
これだけなので
簡単そうに見えるのだが、
これがねえなかなか自分の心を
くすぐる作業が多くて
それなりに作成には
自分なりに充実感を感じているのだ。

カレンダーの日付部分の作成は
10月くらいから少しずつ始めていく。
なぜその時期かというと、
それくらいになると民間の
カレンダーがどんどん出始めるから、
カレンダー内に必要な情報が
簡単に手に入るようになるからなのだ。

ただ、昨年は時代が変わることがあって、
そんなカレンダー情報も
ぎりぎりまで待って作った。

休日なんかも閣議決定されるのを
見越して入れ込んでいったしね。
市販のものは休日じゃなくても、
doironのカレンダーでは
10月22日なんかもちゃんと
休日になっていたでしょう。

まあ手探りで、家内工業的に
作成しているので融通が利く
というものだ。

ことしはまあ、そんな大きな時代の
変遷もないので、市販のカレンダーを
もとに作成していくので、
さほど悩むこともなく
作っていくことができた。

でも一年となると、
微妙にいろんな部分で
変更があったりもするんですねえ。
来年は東京オリンピックの年なので、
特別に祝日に関しての変更がありました。

「体育の日」が「スポーツの日」に
なって来年だけオリンピックに合わせて
10月から7月にうつるのですね。

そしてなおかつ海の日もこの部分に
移動となって、土曜日を入れた
4連休となってきます。

ああ、この変更によって毎年海の日に
開催されていた皆生トライアスロンも
閉会式の日にちが平日と
なるのではないかと見込まれています。

まだ決定ではないですけどね。は

まあ特別な変更に伴い、
いろんなことが
変更になってきたりはするんですね。

それから、天皇誕生日も変更になります。

12月23日から2月23日に
なるんですね。

以前昭和の天皇誕生日は
「昭和の日」となって
残っていったのですが、
平成の天皇誕生日は今のところは
暦上は残らない感じになっています。
これも今後どうなるかは注目ですね。

カレンダーといえば連続休みが
どうなるかというのも
気になりますねえ。

作業をしていると来年は
一年を通じで5連休が5月のGWで
4連休がオリンピックの時期と、
9月の敬老、秋分の日の時期の
2回ということになりますので、
これもまあ楽しみです。

だいたい日付部分を完成させるのに
配慮するところはこれくらいですかね。

でもdoironの場合、
カレンダーの月をまたがる余白部分に
そのほかの価値も入れていく
予定もありますので、
それは今のところは
未定となっています。

もちろん絵や言葉も精査して
いかないといけませんね。

完成は多分今月いっぱい
くらいかかるでしょう。

今年は作らないのかなとか
思っている人がもしいたら、
安心してください。

それなりに頑張っているところです。


ふたたび広報でなんやかや13

2019年11月02日 20時56分18秒 | 仕事

広報紙の11月号が出ましたねえ。

イベントたっぷりの秋の広報なんですが、
メインはやはり「だんじり曳行」と
「文化祭」、それから新しく
生まれ変わろうとしている
「図書館」の記事が多かったですね。

まあどれもdoironにとっては
興味のある記事です。
特に図書館は活用してますからねえ。
もっといい図書館に
生まれ変わってほしいと思います。

そんな広報紙の11月号ですが、
doironが取材に絡んだニュースが
二つ乗っています。

ひとつは「だんじり祭り」ですね。
といいましても、
もうだんじりもすべての責任者を終え、
沿道警備に携わる年齢となりましたので、
パレードなんかでは自町の法被ではなく、
パレードの法被を着ながら、
決められた交差点で交通整理です。
祭りでもねえ、交通規制には
反対する人間もいるよねえ。
まあマラソンだって通行止めに
反発する人も多いというのも
応援をするようになって
あちこちで見かけるようになりました。

まあなにもそんなに自分の権利のみを
大声で叫ぶのではなく、
出来るだけ邪魔にならんように
協力すればいいのにねえ。
そんな警備の立場での写真撮影なので、
どうしても制限があります。
まあ最近はdoironのそういう動きを
理解してくれる人が多いので、
おおいに助けられていますが、
それでもやはり警備が一番の立場ですから、
遠慮は致します。

カメラも大型じゃなくて、
小型のカメラを腹巻の中に隠しておいて、
時折すっと取り出しては
構えたりするのです。

今回はそんな撮り方しか
できないからねと広報にも
念を押しておきました。

なので、まあ写真の多くは
夜間の曳行時の撮影が多かったです。
子どもたちが楽しそうに
だんじりを曳いている姿を
何とか作品にできないかと
頑張ったので、子どもたちの姿を
とらえた写真が載っていたのは
うれしい限りです。



もう一つは、三時間走の原稿です。

担当のH野君が撮影した写真も
送ったのですが、どうも役所の人が
撮影した写真を使っているようです。



ま、いろいろあるんでしょう。
でも役所じゃない民間人が
主催している大会を、
こういう話題のページに乗せることは
あまりないのですが、
これは広報がいろいろと
配慮してくれたようです。

というのもこの大会は今年で8回目で、
10回目までは頑張って開催して、
以降は市のイベントとして
開催してもらえないだろうかと、
関係者で呼びかけたことに対して、
市の思いもあったからなんだろうと思います。

あと2回の大会の間に、
いろんな行政の動きも
あるかもしれません。
機会を見つけては
アピールしていきたいですね。

今回は、イベントの秋ということも
あっていろんな催しの
取材が予定されています。

モニターも増えたので
分担しながら取り掛かっていきますよ。
当面は早朝の釣り大会にもいきます。
午前六時とはもうくらいですよねえ。
ストロボ撮影の事なんかを
思い出しながら出かけてきます。
いい写真が取れるかなあ。

果たして、12月号の掲載は
どうなるでしょうかねえ。


甲子園マラソンを歩いた 4

2019年11月01日 21時11分10秒 | ウォーキング

この甲子園マラソンは、
アップダウンが少ないですねえ。
ここへ来るまでの間では、
武庫川の河川敷道路に
上がってゆく時が
最大の登り道でしたね。
結構記録的にはねらえる
コースかもしれません。

武庫川の駅を出て河川敷に
入ったところで9キロ地点となります。

ここまで距離を刻んできましたが、
特に泉州マラソンのように
道路に記載があるわけではありません。
ネットのなかで甲子園マラソンの
コース案内が出ており、
そこに書いた距離を参考にしていますので、
きっちりここが何キロという
点ではないので理解を
しておいてください。

コースは武庫川橋をくぐっていきます。
河原は今はきれいですねえ。
この時はコスモスがきれいに
咲いていました。



そして空には飛行機が
結構低い高さで飛んでいきます。
伊丹空港での発着でしょうねえ。



でもこれがねえ、
最初見えていたのとは
かなり違った位置で
見えてくるようになります。

ウォークですけどそれだけこっちの
場所は移動していってるんでしょうねえ。
ランだったらもっと変わるんでしょう。

さて、前方に見えてきた古い橋が
武庫川大橋ですね。
国道二号です。



ここで注目しなければならないのは、
橋の見事さです。



日本百名橋のひとつに数えられた
土木遺産です。
でもねえ、マラソンじゃなかったら
本当はこの橋の右側にある
武庫川女子大の建物がすごいのです。



甲子園ホテルを回収して建てたもので、
立派な建物です。
上には上がれないから
想像だけして走りましょう。
その橋の手前が10キロ地点です。
10キロのゴールでもあるわけですね。

ハーフの選手はそのまま
走っていきましょう。
第2の給水もありますので
しっかり給水してください。

さあ、では次の橋を目指していきましょう。

次に見えてくるのは
JRの東海道本線ですね。



コース上のこんな木や



武庫川の鳥の看板なんかが過ぎたら、

その線路が見えてきます。

さあドンドン距離が増えてきますよ。
JRの電車を見ながら
橋をくぐると11キロ地点です。
あと10キロですねえ。
頑張りましょう。

山手大橋を過ぎると、
このあたりには黄色い花が



植えられていてとてもきれいに
整備されています。



そして前方に名神高速が
見えてきたら第3給水もありますね。
後半はやはり疲れてくるので
給水も多くあるようです。
でも水の手配ができないといけません。
多分ここにはこの陸橋の根元に
水道がきているので



それを活用するのかもしれません。

この日もこの水道で練習している
多くのランナーが給水していましたねえ。

名神高速をこえたら12キロ地点です。
このあたり歩いていても
ぼちぼち同じ景色に飽きてきましたねえ。
なので走っている人も
まだかまだかと思うんでしょうねえ。

阪急電車をこえて13キロ、
国道171を超えて14キロ、

そして新幹線の下をこえたら



15キロとなり、
まもなく折り返しとなります。

このあたりの武庫川の水は
昔は農業用水に使われていたようですねえ。



途中、こんな「アンコ樋」なんて
いう樋もありましたよ。
ここでのアンコは雨樋の縦と
横をつなぐ器具の事で、
武庫川の水を横に流す樋
だったんでしょうねえ。

左手に報徳学園が見えてきたら
折り返しです。

報徳学園の駅伝選手も
武庫川を走ったりしていたかなあ。

先ほどと同じ道を
武庫側駅の少し手前まで
戻っていくことになります。

頑張って頑張って走りぬいてください。
ハーフなので目標を設定して
走るのもいいかもね。

doironのハーフ最高記録は
万博での1時間23分11秒。



もうこの写真の時は
心臓バクバクでしたねえ。
よくぞ死ななかったことです。

この甲子園マラソンは
11月3日に開催されます。
もしかしたら沿道で
doironも応援しているかもです。

見かけたら声かけてね~。