ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

京都雑学の道3

2020年03月21日 20時46分08秒 | ウォーキング

事前に読んでいた資料では、
ここには一等三角点がある
と書かれてあったのですが、
どうも間違いのようですねえ。

その山頂付近にあったのは
「三等三角点」でした。



さて吉田神社はこの西側にあるのですが、
哲学の道とは反対側ですから、
今日は遠慮しておきましょう。

その先にある公園で、
トイレをすましたら、
目的の東の方へ下って
いくことにしましょう。



長い坂道を降りて下っていくと、
この下にあったのが
陽成天皇の陵墓です。



この天皇は先ほどの
後二条天皇よりももっと昔の天皇で、
9歳で天皇になりました。
そして8年間天皇だったのですが、
宮中の殺人事件などにより退位し、
その後なんと最多の80歳まで
上皇として過ごしたんだそうです。

65年の上皇生活は
さぞや長かったでしょうねえ。
今はここの陵墓に静かに
眠っているそうです。

その先にあるのが真如堂。

ここは紅葉がきれいだそうですが、
季節が違います。
お金を払って入ることはなく、
スルーしましょう。

こういう昔の道を通って行きますと、



右手に広い場所がありますよ。



ここが京都帝国大学医学部の
納骨墓地でした。



なんか医学部の墓地って
どうなんでしょうかあ。
考えてしまいますねえ。

じっとよく見ると横に立っている
卒塔婆に書かれていましたねえ。



京都大学解剖体、

と書かれています。
ああ、ここは献体の慰霊碑なんですね。
今の医学の根本部分を
支えているんでしょうねえ。

いわばいわゆるパワースポットなわけです。

そしてその先にあるのが
金戒光明寺の入り口です。



ここは閑静なお寺で、
時代劇のロケが行われるそうです。
そしてここは新撰組を支配下に置く
京都守護職の本陣ともなった寺院です。

地元ではくろ谷さん
と呼ばれて親しまれています。
おおきな「くろ谷」の石が
建っていますねえ。

そんな入り口だけ眺めて
コース歩きを進めていきましょう。
ここには親鸞聖人の
草庵跡がありますねえ。



そしてここが岡崎神社です。



まあ子授けの神様として
信仰されています。



境内にはウサギ関連の彫刻が多い、
例えば狛うさぎが置かれていますねえ。



そして手水鉢には多産のウサギの
置物もいます。



さらなる孫誕生のための
安産祈願もしておきましょうかね。

そうしているうちに、
道は白川通りと丸太町道理の交差点



「天王町」に出てきました。



このあたりから道はさらに
東向いて行き、哲学の道へと
続いていきます。



大豊神社への案内とともに
哲学の道への道標もありました。
ここから入っていきましょう。

大豊神社への鳥居をくぐると



案内のボランティアの
おじさんのいる橋のところに
出てきます。
この橋のかかっている水路が
琵琶湖疏水の分流ですね。



以前、琵琶湖のところから
インクラインのところへ
歩いてきましたね。
あの疏水がインクラインの
手前で分岐して南禅寺のあたりを
通りここへと流れてきているのですね。

そしてこの疏水のこの辺りから
下流へつながっている道が、
世間でいう「哲学の道」なのです。

京大教授の西田幾多郎が
哲学の思索に耽った散歩道
ということでこういう
名前がついています。

さらさらと流れる川の水の音、
木々の葉っぱをゆする季節の風、
自分の足音やはく息の音が
彼の脳みそをどんどん
刺激していったのでしょう。

75歳まで生きて最後に
尿毒症で亡くなったそうです。

ではそんな水路の横の道を
doironも思索深い顔をしながら
(わあ、絶対嘘や)
てくてくと歩いて
いくことにしましょう。

この日はさすがに観光客は
少なかったですね。
道を歩いていても50mに
一組ぐらいの感じで
すれ違ったりしていました。



川沿いに並ぶお土産屋さんも
全く静かな状態でしたね。

う~ん、doironの思索も
どんどん深まっていきます。

続く

 


京都雑学の道2

2020年03月20日 20時53分17秒 | ウォーキング

このあたりから、
左右に京都大学の施設が続きます。



あ、母校じゃないですよ。
でもねえ、昔友達がここの学生で、
遊びに行った時に授業に
紛れ込んで入ったことがあります。
何が何やらさっぱりわからん
授業だったのを覚えています。

その学校の前にはこんな
注意看板が立っていました。



泉州マラソンと同じ日に、
このあたりでも京都マラソンが
あったんですねえ。
無事に開催できたのかなあ。

そしてその看板の後方に、
大きな郵便ポストがありましたよ。



も、もしかしたらこのポストから
世界的にも有名になった
論文なんかが送られたのかも
しれないですねえ。
あ、今の時代はそんなことはないかあ。
メールとかで行けるのかなあ。

そしてその先にあったのが、
後二条天皇の陵墓です。



調べてみたら16歳で天皇に
即位したのですが、
その周りには5人もの上皇が
いたそうです。
まあ天皇ですから政治を
直接するわけではないのですが、
やりにくかったでしょうねえ。
神経をすり減らして天皇を務め、
7年で亡くなられたそうです。
諸先輩方に囲まれて、
さぞや大変だったことでしょう。
お祈りしておきましょう。

さらにコースを東向いて
進んでいきますと、
大学周辺のこのあたりには
何となくボリュームの多そうな
食堂が続いています。

もうお昼を過ぎましたので、
doironもおなかがすきました。
ぼつぼつどこかを見つけて
お店に入りましょう。



意外にアジア風のお店が多い中で、
見つけたこんなお店に入りました。
けっこう大勢のお客が
入っている感じです。

その店の片隅に腰掛けて、
多いメニューの中から
選んでいただいたのが
こんなから揚げハンバーグの定食です。



これがねえ、とっても量が
多かったです。
脳を使うと学生さんは
おなかがすくのでしょうねえ。

自転車で移動している
若い学生さんたちが
多いような気がしました。

そんな外の京都の景色を
眺めながらぼちぼちと
いただきましたよ。

夜の宴会に備えて
予行演習でビールも少し
頂いてゆきましょう。

さあではおなかも
いっぱいになったので、
こちらは脳ではなく
体を使いに再度
歩き始めることにします。

doironにとっては
雑学の道コースですから、
きょろきょろしながら歩きます。
お店を出てしばらく行くと
南側に吉田山が見えてきました。



昔は神楽岡と呼ばれていた

単独峰なんですが、
吉田神社の境内が多くを
占めていたところから今は
「吉田山」といわれています。

せっかくですのでこの山にも
登っていきましょう。
さほど高くはない山ですし、
大丈夫でしょう。
そもそもこういう神様の
関連の場所となると、
何となく心の奥底で
安心感を抱いてしまいますねえ。

この吉田山は今から登る
北側が結構急峻な山になっていますので、
くねくね道の山道を
ゆっくりと登っていきます。

心拍数もあまり上がらない
ような感じでね。

山道の入り口には鳥居が経ち、
吉田神社の北参道の石も
立っています。



あ、注意看板が2つありますよ。
ひとつはカエンダケに
注意の張り紙です。
オレンジ色の小さなキノコですが、
猛毒だそうです。
触ってもいけません。
そういえば熊野古道の
熊野大社直前の山道でも
見つけましたねえ。
11月頃の季節でした。



そしてもうひとつが
「マムシ注意」ですが、
これはまだ寒すぎて出ていないでしょう。



ふうふうと登っていくと、
こんな緑地保全地区の石が
建っていましたね。



確かに、こんな街中なのに
結構深い緑に包まれていました。



いつのまにこんな
山の中にって感じです。

標高は121mですから、
ふうふうもほんの少しで登れますね。
そしてこんな道標に沿って
山頂休憩広場の方に向かっていきましょう。
少し広い広場がありました。
あ、ここからは大文字山が
よく見えますねえ。



続く

 


京都雑学の道1

2020年03月19日 20時45分57秒 | ウォーキング

心臓の精密検査までの間、
もしその病が原因で体に
不調があるようなことが起これば、
歩きに行っても無事に生きては
帰れないかもしれません。

長期的に負担のかかる長いコースや
人のあまりいないコース、
負担の大きい坂道とかは
今はできるだけ避けましょうと、
歩きに行く先については
いろいろと悩んできました。

そんなことを考えずに
じっとしておけよという声も
あるかもしれませんが、
まあそんなことばかりでは
人生面白くありません。
頑張って行動もしていかないとね。

もし何かあれば、迷惑かけますが
人に助けてもらえそうな
コースを選ぶとか、
山の中で孤独に息絶える
コースとかはやめましょうと考えます。

世間の人に甘えられる
コースがいいかもしれません。
都合のいい性格でしょ。

なのでそんな感じで、
命まで他人任せの
都合のいいdoiron
今回選んだ歩き先は、
ぼちぼち歩きでも楽しい歩きが
出来そうな京都を中心に考えました。

まずは平地ということで、
京都周りの山方面は遠慮しましょう。
たらたら歩くことでも、
いろんな古いことや新しいことがあったり、
人々の暮らしに大きくかかわっている
というようなコースに
するのがいいでしょう。

手持ちの歩き関係の本なんかも見つつ、
結局選んだのが
「哲学の道」周辺のコースです。

あそこだったらこんなコロナ騒ぎの時で
外国人の少ない今が行きどころではないか、
それに生活している日本人も
必ず何人かはいてるだろうし
と思ったわけです。

昔、西田幾多郎がむつかしいことを
思索しながら歩いた哲学道を、
doironの無い脳みそを絞り、
雑学を仕入れつつも
命の大切さを味わいつつ
歩いてみようという企みで
そこに出かけていくことにしました。

今回は車で人込みを避けて
出かけていきたかったのですが、
夕方から飲み会がありますので、
マスクをして電車で出かけてゆきます。

では出発です。

まずは出町柳の駅へと向かいます。
そこから東向いて行くと
百萬遍の近くに差しかかりますので、
そんなコースをとことこ
歩いていくことにしましょう。

百萬遍の交差点に来ると、
薬局がありますよ。

トイレに行きたいので
ちょっと中をのぞいていきましょう。

マスクは・・・ありません。
消毒薬も・・・ありません。

う~ん、薬局は京都でも悩んでますねえ。

あ、深い眠りを促す薬も
売っていますよ。



1000円以上で高いのは
4580円の錠剤も。

ああ~こんな薬を見たら、
いつも布団でひたすら爆睡する
doironの眠りにも
すごい値打ちがあるのですなあ。

「寝るときゃ寝る、やるときゃやる」

この精神でいつも頑張っている
doironなのであります。

この日は出るのが遅かったので、
もうお昼が近いです。
食堂なんかも見ながら歩いていたら、
いろいろとお店があります。
京都大学など学生さんも
多いようですからね。

あ、こんな食堂もありましたよ。



大阪串カツ、「ソースの二度づけ禁止」だって。
でも京都やから
「ソースの二度づけはあきまへんで~」
にしといてほしかったな。

しかも、コロナの時代ですから、
二度づけ禁止は全くその通りです。
そしてランチは福井県の
ソースかつ丼らしいですよ。

ああ福井の鯖江を思い出します。
もちろんこれを食べるときも
ソースは二度づけ禁止なんでしょう。
当たり前ですな。

店の前でそんなことを
ぶつぶつ言いながら写真撮影しました。
変なおっさんです。
そしてその先の北側に
知恩寺があります。





京に疫病が流行った頃に、
この寺で善阿上人が念仏を
百萬遍唱えてそれを収めたそうです。
これが百萬遍の名前の根源ですねえ。
こんな仏教の力を発揮して、
浄土宗の皆さんがんばって
コロナ対策で百万遍の念仏を
唱えてくれたら
いいのかもしれませんよ。

続く

 


年休を活用して

2020年03月18日 21時50分45秒 | 生活

息子が長野県から帰ってきている。

年休をうまく活用しているそうだ。
今回は車を飛ばしての帰宅で、
残念ながら息子のみで
孫はついてきていない。

コロナのこともあるしね。

うう、ちょっと寂しい。

出発した日は長野県は大雪だった。
帰ってきてから聞いた話では、
吹雪のような状態で、
大きな荷台のトラックが
ふらふらと風に揺られていたそうだ。
まあ雪の中の運転は
もう慣れているから大丈夫なのだが、
周りに巻き込まれることがあるので
やはり要注意なんだそうだ。

そんな時に出発したので、
いつもより時間がかかるよ
とメールを送ってきた。

途中、「今どこ?」とメールすると
「大阪府に入った感じ」と返信が来た。
意外に早かったなあ。
だったらもう1時間くらいで
帰るだろうと思っていたら、
2時間たっても帰ってこない。
え~家を忘れたか、
なんてことはないだろうし、
どうなってるのかあと思っていたら
二時間半後くらいに帰ってきた。

「途中眠くなったので寝てしまった」
とのこと。
はあ、もうすっかり自立している
息子とはいえ、心配をかけますな。

その日は帰宅時間もわからないので、
自宅でミセスがご飯を用意してました。
おお~すき焼きです。
久しぶりに家族三人での食事ですな。

持ってきたお土産を見ると、
今回はリンゴだらけ。
リンゴパイ、



リンゴのジャム、
リンゴのもなか、
リンゴジュース。

そしてもうひとつは地元の
友達に向けて買ってきた
「野沢菜」です。
帰宅した日に配ってました。
もうひとつおすすめ品がありましたね。
柿の種のラー油付けです。



これは少しむつかしい。
おいしい食べ方について
色々と考えてみましょう。

今回帰ってきた目的の一つに、
株などの資金運用について、
こちらの話を聞くことでした。

今やっていることを説明し、
これからやるならこういうことに
注意してやればいいよ
なんてことを話しましたが、
どうなることやらです。

あと、最近のポケモンのゲームの話で
ミセスと盛り上がっていましたね。
おじいちゃんの誕生日に
ゲーム機買ってあげよか
という話もありましたが、
残念ながらdoironには
ゲームまでやるような暇はありませんね。
まあ一杯ビールをおごってくれたら
いいと返事して置いたら、
今日は先ほどまで焼肉屋に
いってきました。

仕事の話は、もう何か専門的過ぎて
よくわかりません。
ひとつ面白かったのが
常識テストみたいなのがあるそうで、
それはもうおじいちゃんには
得意中の得意です。

孫の話は楽しかったですねえ。
一時期、滑り台を滑るのに
すごいこってるようでしたが、
一度失敗してあごを打ち付けて
少しけがをしてから
一切のらなくなったそうです。

しゃべるのも少し始まったようで、
母親のことを「マママママー」と
言ったりするそうです。

ちなみに、母親の親はじいじとばあばと
呼んでおり、doiron家のことは
「じじいとばばあ」
ではなく
「じいちゃん、ばあちゃん」と
呼んでいるそうです。

早く本人からそう呼ばれたいですねえ。

帰宅してから、墓参りも行きました。
後々は自分がこの墓を管理するのかあ
というような感じで、
じっくり見ていたのが印象的でしたね。

年に何度かこうして帰ってきたり
するのですが、孫も奥さんもつれずに
一人で帰ってくるというのも
いいものかもしれませんね。

もし長野に行ってなかったら、
こんな感じで毎日が続いていたかも
しれませんね。

まもなくまた長野に帰宅していくでしょう。
今年の春はコロナ騒ぎで大変でしょうが、
家族で楽しく過ごしてくれたら
いいですね。

もう少し暖かくなったら、
またそちらに遊びに行くからね。
資金運用うまくいくといいねえ
とかいいながら、もうすこし
久しぶりの親子三人を
楽しんでいるdoironなのでした。

 


紙を広げて絵筆を持って5

2020年03月17日 21時15分47秒 | お絵かき

次に描いたのが、トックリランです。

とまあ書いただけでは
この植物はよくわかりませんねえ。
どんな植物かというと、
こういう観葉植物です。



リュウゼツラン科の植物で
根元の株が太くなっているのは
水を蓄えているそうです。

この植物が、近所の植物園の
植木置き場に置かれています。
doironが近所の公園に
散歩に行く時に通る道の
ところに無造作に置かれていますので、
それを参考に絵にすることにしました。

この植物はやはり葉っぱですねえ。
全部緑一色で描けば
いいわけではないですよ。

光の当たる葉、枯れそうな葉、
元気な葉と描き分けていかないと
絵がくちゃくちゃになっていきます。

鉛筆で細かく下書きをし、
パレットに緑、リーフグリーン、
オリーブ色、白、黒、茶色、黄色などを
出し細かく塗り分けていきました。

色が重なって、絵具がにじむのを恐れて、
重なる部分なんかは
いちいち描いた絵の具を
乾かしてから次を塗るという風に、
1本ずつ重ね塗りをして
かき分けていきます。

こんな時にはドライアーが
役に立つそうなんですが、
残念ながら想像がつくと思いますが
doironは自分のドライアーなど
持っていないのです、うう。

そうして描き上げたのがこれでした。



うんうん、それなりに
観葉植物風に描けました。
なんか葉陰からさわやかな
夏の風が舞い込んできそうですねえ。

でもねえ、この絵も最後は
ウナギと一緒ですね。
白一色の植木鉢ですから
簡単に描いたら、
これも何か変になりました。

なんか場末の怪しげな風が
匂ってきそうです。

この辺のセンスをもっと
磨かないといけませんね。

絵はやはり奥深いです。

次に描いたのが、
庭に植えてある沈丁花です。

高木の沈香と丁子のような花から
ついた名前ですね。

むかし、トレーニングで
外を走っている頃は、
この花の香りがとても印象的でした。
マラソンシーズンを終えて、
さあこれから夏の
トライアスロンシーズンに
入っていくぞという
なんか新鮮な気持ちを
飾ってくれましたね。

義理の父母が生前時に
庭に植えていた花を持ってきて、
いまもdoiron家で咲いてくれています。

トックリランを描くときに、
パレットの中にいれた
緑が残っているので、
それらを活用して
葉っぱを描きました。

そして花は、つぼみの頃から
まだかまだかと咲くのを
待っていたので、
花と花の間に赤いつぼみを
描き加えています。

それにしてもこの花は、
色のつきかたが可憐です。
色を出すのはむつかしかった
のですが、別紙でいろいろと
調整をしてようやく出せた
赤い色系を花の中央だけでなく
花の縁にもそっと縫っています。



自分で描きながら、
紙からにおいが漂ってきそうな感じでした。

これはまあそれなりに
表現できたかもしれません。

最後に描いた絵は、チーズです。

チーズといえば
最近は、はやっているでしょ。
こんなやつ。



これらを何本か選んで、
それらを組み合わせて
セットにして購入します。

そんなチーズを見ながら
絵を描こうと考えたのです。

絵にするとなれば
チーズはこういう
板の上に置くのがいいですね。
穴の開いたチーズは想像で描きました。



ブルーチーズは試しに
一緒に買ったので、
それを描いています。

全体的にちょっと色が濃すぎましたが、
この方が味わい深くて
いいかなあと思って
描いたものです。



チーズは腐って、熟成する者です、
熟成の「成」の漢字はこれなんですが、
ちょっと雰囲気を生かそうと
思って書き入れた言葉では
「生」の字を使ってみました。

去年のカレンダーを作成したときに、
さあ来年はどんな絵を描こう
と思っていたのですが、
コロナの対策で思わぬ
お絵かき時間が出来て、
こちょこちょ描いては
それなりに楽しんでいる
doironなのでした。


紙を広げて絵筆を持って4

2020年03月16日 21時11分51秒 | お絵かき

え~っと、コロナウイルスのおかげで、
なかなか世の中が
大変なことになっています。

doironもコロナに頭を
侵されてしまったのかもしれません。
脳みそがおバカでパンデミック状態です。
なあんてふざけていたらあきませんね。

でもねえ、どうしたら
落ち着くのでしょうか。

今の状態からコロナが消えていくかなあ。
それとももう収集つかなくて、
みんなが自覚して予防しながら暮らしていくか、
なんでしょうねえ。

まあとりあえずは、
人込みを避けて遊びもこそこそと
していくしかありませんね。
歩きに行ったりするお出かけを
減らすというのがdoiron家の
措置なんですが、まあそれくらいで
しか仕方ありませんね。

そんな暮らしのなかで、
よくやっているのがやはり絵描きです。
普段生活の中や近場の散歩の中で
見つけたものを絵にしていってます。

まず最初に絵にしようと
考えたのがこれです。



携帯でなんか割引のポイントをもらい、
そのポイントでゲットしたウナギです。

doiron
は今はあまり好き嫌いがありません。
まあもちろんハチノコを食べてとか
イナゴを食べてとかいうのは苦手ですが、
一般的にはあまりきらいなものはありません。

昔は納豆とかダメだったのですが、
それもエイで食べるようになったら、
今はもう普通に食えます。

そして、昔は何が嫌いかといって
最初に出てくるのがウナギでした。
でもこれも、飲み屋でちょこちょこ
口にするようになり、
最後に女子マラソンで名古屋に行った時に、
初めて食べたひつまぶしで
完全に脱却したのでありました。

ただねえ、値段も高いので
さほど食べる機会はありません。

人生これまでで、
ウナギを口に運んだのは、
多分20回くらいしかないはずです。
でももう嫌いじゃないですよ。
普通に食べれますからね。

そんなウナギ思考なんですが、
今回のポイントの中で
興味のあるものといえば
このウナギのかば焼きだったのです。

注文を出して二月の末に
クール便で届いたのを、
ご飯に乗せてうな丼に
したのがさっきの写真です。

ではさっそくこれを絵にしてみましょう。
うな丼じゃちょっと寂しいので、
豪勢なうな重にしてみようと、
写真を見ながら下書きを
していきました。

ウナギを豪華に4切れほど
載せてみました。
まあ下書きまでは順調に仕上がり、



それに基本的な色を付けたところで、
ふと迷いました。

どんなふうに色を付けていったら
ウナギにみえるだろうと悩んだのです。
まあこれまで20回くらいしか
ウナギを食べていないので、
どう描くのがおいしく
見えるのかってのがよくわかりません。
固いのがいいのか
柔らかいのがおいしいのか
もうその辺から未知の領域なわけです。

となると早速別紙で練習して
みればいいですかね。
いくつかウナギの形を書いて、
それにいろいろと書き加えて、
絵にしていきました。

おいしそうなのとはもう別物で、
doironの筆の力だと
ウナギっぽく見えることを
メインに考えていきましょう。

でまあ五つほどいろいろと考えた挙句、



この絵の下の段のように書けば、
ウナギっぽくは見えるかもしれないぞ、
という結論に達しました。

では描いていきましょう。

ポイントは断面に描いた
ギザギザの横線でしたね。
それをていねいに書いていけば、
まあまあウナギには見えそうです。

ゴニョゴニョ。

ようやく、ああウナギかなあ
という感じに書けました。



あとはお重を描けば仕上がりです。
四角く赤と黒で描くだけなので
これは簡単です。
色を塗っていくと、

あれ?変な感じです。

遠近感もおかしいです。

そうじつはこのお重が
とっても大事だったのです。
ウナギにばかり気を取られて
簡単だと思っていたのに
最後に落とし穴に落ちました。

まあ、初めてのウナギですので
今日はこれくらいに
しておいてください。

今後の参考にしていきましょう。

続く

 


和歌山岡公園周辺4

2020年03月15日 21時10分37秒 | ウォーキング

この巨大な首大仏は、
首から上の願いをかなえる
といわれています。



え~っと、
髪の毛が増えますように
頭の中がよくなりますように
虫歯がよくなりますように
白内障がよくなりますように
耳がよくなりますように
歌声がきれいになりますように
鼻が高くなりますように
顔のしわがなくなりますように
って首から上の願いってめちゃ多いやん。

まあとにかく首から上が
最高によくなりますように
っとお願いしておきましょう。



いやあそれにしてもこんな大きな
首大仏を見るだけでも
ここら辺を歩いた甲斐が
あったというものです。

普通の住宅地ですが
ところどころにお寺があります。



それもそのはず、このあたりは
寺町通りといわれています。



昔からたくさんのお寺が並んでおり、
住居表示に寺町という地名はありませんが、
住民の要望でここは寺町通りと
名付けられているそうです。



ここが窓誉寺というお寺です。
もともとは窓養寺と
いわれるところでしたが、
ある時に僧が葬式に行った時に
嵐になって、火焔車がお棺を
引っ張っていこうとしたので
僧が拝んで合掌すると
月が現れたということから、
養は誉と名を変えて
窓誉寺になったそうです。

う~ん、先程の珊瑚寺といい、
なんかこの辺りは名前を
変える寺が多いようだ。

この窓誉寺には番町皿屋敷の
お菊の皿があるそうだが、
非公開なんだそうです。
なので境内には供養のために
お菊地蔵がまつられているそうです。

そしてお寺はまだまだありますよ。



「恵運寺」にはお墓がずらっと
並んでいますし、その先には、
「報恩寺」というお寺もあります。



このお寺は今回の歩きの中でも、
注目していたところです。
そう、このお寺の奥には、
徳川家の御廟があるからです。



静かな境内をどんどん進んでいきます。
道がどんどん奥に続いて、
山の中を登っていきます。



周りに人の気配は全くなく、
とても静かな感じで、



こんな扉もこえて階段を上っていきます。



そして一番奥の階段を上ったところに
徳川家の御廟がありました。



もともと藩主の徳川家の御廟は
海南の長保寺なんですが、
ここにはその婦人たちの墓があります。



埋葬は別々の場所だったんですねえ。
海南の長保寺にも
そのうちに行こうかと思っています。

そんな婦人たちの御廟に参って、
さあまた歩き始めましょう。

しばらく行くと、左手に



「徳川吉宗公の誕生地」

という小さな石碑があります。
紀州徳川家の2代目藩主
光貞の子でうまれたときは
刺田比古神社の神主の子
とされていたそうです。

のちに徳川家の8代目将軍となり、
享保の改革を進め
「徳川中興の英主」と
いわれたそうです。

偉大な人だったんですねえ。

その割に誕生地の石碑は
狭いところにありました。

写真をとってると、
横をとおったおばあさんが、
ここは何ですかと聞いて
きはりました。

吉宗公の誕生地ですよというと、
ふ~んといわれていましたねえ。

市民といえども
あまり興味のない人は
こんな感じなんでしょうねえ。

コースはここから美術館とかの
横を歩く感じになります。



和大の付属小学校の横を通り、
美術館の通りを進んでいきます。

途中、こんな広い所を
抜けていきますと、
そこにあったのが「時鐘堂」です。



建物の中に鐘がつるされ、
二人の番人が時がくれば鐘を
鳴らして時刻を知らせていたそうです。

その鐘は、大坂夏の陣で
豊臣が使った大筒を
粉河の鋳物師が鐘に
したものだったそうです。

でもねえ、そんな時代にどのようにして
時刻を決めていたのでしょう。
日の出と日の入りを
基準に定めていた
不定時法だったそうですが、
簡単な日時計みたいなのが
あったのかなあ。

そんな時鐘堂から山を
下りるように進んでいくと、
和歌山城がよく見える
まわりの道路に出てゆきます。



これで、今回の歩きは終わりですねえ。
全部回り終わっても
2時間くらいで、手軽に
歩きを楽しめましたね。

さあて次はどこに行くかあ
とか考えているのですが、
心臓の事、コロナの事なんかが
気になったりはしているのです。

早く落ち着いたらいいなあ。


和歌山岡公園周辺3

2020年03月14日 22時46分23秒 | ウォーキング

え~、本日はdoironの誕生日です。
64歳になります。
年を取りましたねえ。
でもねえ、生きているだけで
丸もうけです。
年齢なりにしっかりと
遊びつつ残りの人生を
楽しんでいけたらいいなと
思っています。
では和歌山歩きの続きです。

―――――――

祭神の名前は本当にややこしいですねえ。
いろんな資料の中から
こういう神の系譜なんかも
持っていたりするのですが、



なかなか当てはまらなかったり、
地方で言われる名前が
違っていたりしますねえ。
人々の暮らしに合わせて、
名前が変わる神々って
その体系を学ぶのは
とってもむつかしいような感じですねえ。

その刺田比古神社は別名で、
「岡の宮」の通称があるほか、
「吉宗公拾い親神社」を称したりします。

「岡の宮」はここに「岡の宮古墳」が
あるからといわれています。



その古墳は現在落砂によって
埋没しているそうです。
発見されているのは1基ですが、
まだ未発掘の古墳もあるのでは
とされています。

そして「吉宗公拾い親神社」は、
もともとこの神社は和歌山城の氏神で、
5代目藩主徳川吉宗が
生まれたときには
ここの神主が仮親になった
と伝えられておりました。

中に入っていくと、
まず最初に目につくのが神馬の厩です。
中には彫り物の馬がいますねえ。



この馬は神社が吉宗公の
将軍就任の折に
寄贈された馬が亡くなった時に、
木彫りの馬を作って
ここに納めたものです。

平成の時代に修復されましたが、
吉宗公の愛馬で
福井県生まれの白馬だったそうです。

その馬を見ながら進んでいくと、
目の前に山が見えてきます。
これが岡の宮古墳の
ある山ですね。
そこには立派な百度石である
「百度参標石」が建てられています。



これまで訪ねたお寺では
いろんな百度石を目にし、
写真に撮ってきましたので、
それを特集したいなあ
とは思っています。

ここの百度石も特徴的ですから
そんな特集には出てくるでしょうねえ。

お参りをしてさらに進んでいきますと、
今度は禅曹洞宗の珊瑚寺
というお寺があります。



実はこのお寺は、別の場所で
三五寺としておかれていたのですが、
それがここへ移転してきたそうです。



その時に、多くの珊瑚が
初代和歌山城主の桑山氏より
珊瑚の数珠が寄進されたので

「珊瑚寺」という名前になったとのこと。

 

う~ん、なんかよくできた話ですねえ。

話しの中に、すこしダジャレの

気持ちがあるようなそんな話です。

 

広い境内のあるお寺でした。



少し広い道に出てから、

さらに住宅地の中を歩いていきますと、

今度は無量光寺という

お寺へやってきます。

 

ここは浄土宗であの

徳本上人開山の寺です。

 

この名前は和歌山を歩いて

時には何度も耳にした名前です。

日高の誕生院にもいき、

住職さんが突然現れた

おっさんにとても

丁寧に説明もし、

たたきすぎてすり切れた

木魚などという遺品にも

触らせてくれました。




4年くらい前の出来事です。

読本さんが描く名号碑の字は



とても特徴的で、語尾が丸くて

跳ね上がるという

特徴があるのですぐにわかります。

 

紀州街道なんかにも

徳本さんの字がかかれた

道標がありましたね。

 

その字面と激しいお経の

読み上げなんかでとても

優秀な上人です。

 

熊野古道を歩いた人で、

彼の名前を知らない人は

いないでしょうねえ。

 

そんな徳本さんのお寺に

入っていってみましょう。

これが徳本さんですね。



一日に茶わん一杯の麦や

そばで暮らしたというから、

イメージはとても細いです。

 

ああ、doironにはできない
ダイエットですねえ。

江戸時代に創建されたこのお寺の
本尊は阿弥陀物だそうです。
ここがその本尊。
そしてその向こうには
大きな鐘がつるされていますよ。



これは立派ですねえ、
と思って近づいていきますと、
ウヒャーこれは鐘ではなく
大仏の頭です。
巨大ですねえ。
これは首大仏といわれています。



頭だけ作って、体の方は
資金がなくて作れなかったそうです。
知らなかったので、
その巨大さを見たときは
本当に圧倒されました。

続く

 


和歌山岡公園周辺2

2020年03月13日 21時08分48秒 | ウォーキング

岡公園に置かれているSLは
C57という蒸気機関車です。



東京、鹿児島、宇治山田などの
機関区を経て最後は和歌山機関区で
走り続けたそうです。
昭和47年の3月14日という
doironの15歳の誕生日に、
その役割を終えたそうです。

生涯の運転距離は256万キロ以上と
地球を60回以上まわる活躍を
したんだそうです。

ああ~doironも地球2周くらいは
走っていますけどねえ。

このSLにはくまの号という
名前が付けられているそうです。

まあ和歌山にとっては
クマノは重要な土地ですねえ。
そんな相性が付けられているのは
みんなに親しまれていたんでしょうねえ。

そしてこれらの電車の横に
あったのがこの記念碑です。



この形はもうこれまで何本見たでしょうか。
和歌山県の朝日夕陽百選ですね。

ここの対象は和歌山城です。
確かにこの城の天守閣から
見た朝日夕陽はきれいでしょうねえ。
結構な高台になりますからね。

あの和歌浦の先端の山からも
天守閣が見えてましたからねえ。

そうそうあの有吉佐和子の小説、
紀ノ川の中に出てくる
ここからの眺めはとても印象的でした。

ああ歩き始めからなかなか
テンションの上がる展示が続きました。
ここへきて正解だったなあ
とうれしくなりましたね。

そしたら岡公園の中に入ってゆきましょう。

駐車場から続く細い山道を
上がってゆきますと、
そこに「農学博士 高橋克己氏」の
碑がありました。



この人の名は同姓同名で
有名人がいますね。

髪の毛の少ないマルチタレント、
おっとそれは克美でした。

タイガースのギタリスト
加藤かつみの本名だったり、
経済学者にも同姓同名の人がいます。

でもこの農学博士の高橋氏は
和歌山の生まれで、
ビタミンAの抽出なんかにも
活躍した人で、別名は
ビタミン博士と呼ばれていたそうです。
なくなってもまだ人々に
こうして元気を注いではるんですなあ。

そんなのを見ながら
道を登っていきますと
眺めのいい所に出てきます。

ここから見る和歌山城はきれいなんだと、
帰ってから見たネットに
出ていました。

残念‼映しそこねてしまいました。
こんな感じかな。



そんな山を下ると、
大きな石の横に出てきます。



ごつごつした大きな石です。
この岩には子どもたちも
乗ったりするようです。

小山があったり、大岩があったりで
自然豊かな公園と評判なんだそうです。
ただ単に遊具を置いたりするだけの
公園とはちょっと雰囲気が違いますね。





あそこにある滑り台は傾斜が急です。
そのためにここの滑り台は、
結構人気なんだそうですよ。

そして山からこんなトレイル風の
道を降りてゆくと、下の広場に出ます。



今上っていた山の方を振り返って見ると、
岩が入り組んだりしていましたねえ。



そしてここには「御作事所跡」の案内が
立っています。



和歌山城などの建築修繕に
かかわる現場事務所。

まあ今でいう都道府県の
土木建築事務所みたいなものかなあ。
そんな跡地がありました。

そしてそんな山の横には
大きな池がありますよ。



公園そのものはかなり古いのですが、
それなりに整備の進んでいる公園です。

ではこの公園から出て、
南側の住宅地の方に入っていきましょう。
まず最初に出会うのが
「刺田比古神社」です。



この神社の名前も特徴的ですねえ。
この神社は数々の兵乱により、
古文書や文書を失っているので
古来の祭神は明らかになっていない。

それにしてもこういう祭神の名前なんかは
ややこしいですねえ。
神様の名前なので間違って
表記しないように
気を付けていますが、
なかなかむつかしい。

今のこの神社の祭神は
「道臣命(みちおみのみこと)」

「大伴佐氐比古命
(おおとものさでひこのみこと)」

前者は刺田比古の子で
大伴氏の祖にあたる人。
神武天皇の東征の先鋒を務め、
神武天皇即位の際には
宮門の警衛を務めた
といわれています。

そして後者はその道臣命の
十代孫といわれています。

ふむふむ。

続く

 


和歌山岡公園周辺1

2020年03月12日 21時25分27秒 | ウォーキング

二月になったら、
気候の落ち着いた日には、
歩きに行きたくて
うずうずしてました。

でもねえ、三月に行う予定の
心臓の精密検査が気になっていて、
さすがに元気に歩きに行くのは
押さえてました。
まあいっても、人通りの多い所で
距離を短くしたりしながら、
静かに歩いたり、車で高野山など



春の歩きの下見に
行ったりをしていました。

そんな日々の中で、
少し歩いてみるかと思って
出かけたのが和歌山市でした。

コロナの問題がいろいろと
出ていたころでしたが、
和歌山市内の方は大丈夫なようなので、
車で出かけスパっと歩いて
帰ってくるという軽い歩きを
することにしました。

あったかいやろうしね。

で、コースはというと、
和歌山のブラクリ丁や
和歌山城は何度か出かけたので、
今回はまだ未知の、
城の南側の岡公園の辺りを
歩いてみるかと考えたのです。

和歌山城周辺に車をとめて
歩くことにしましょう。
高速を降りて、和歌山城の
あたりに近づくと、
駐車場はたくさんあります。

たいがいが、一日最大いくら
とかいうような駐車場です。

いろいろと選んだ挙句、
岡公園横の駐車場でよさそうです。
前の車が入っていくので、
ついて入って行きます。

あれ?駐車場との境目に、
くるま止めの石が置かれていますよ。
どこから入るのかなあ
と思いつつ見ていたら、
前の車から制服の警察官が
降りてくるではないですか。

ウヒャー、ここは公園の横にある
交番の駐車場ではないですか。

このまま不法侵入で逮捕されるのか?
あるいは違法運転だといわれて
尋問されるのか?と思いつつ、
窓を開けて
「公園の駐車場やとおもったわあ」
と言い訳したら笑ってはりました。

は~よかった。
まあその構造上間違って
侵入する人は多いのでしょう。
飲酒運転だったらそのまま
確保されますね。
和歌山県警の陰謀ですかねえ。
運転が下手に燃えないように、
じわっとしかしスムーズに
方向を変えて退出です。

いったん公道に出てから
50mほど走り、その先にある
駐車場の入り口を見つけて、
そこから慎重に侵入しました。

ぜんぶ交番から見えていますからね。

広大な駐車場に車をとめて
早速歩きだしましょう。

あっ、この駐車場の端っこに
銅像が立っていますよ。

陸奥宗光と書かれています。
調べてみますと、
明治の初期の頃に活躍した政治家で
神奈川県知事、兵庫県知事として
活躍したほか「カミソリ大臣」
とよばれて外務大臣として
活躍した人らしい。
生まれがどうもこの辺なんだそうだ。

そんな銅像の写真を撮りながら、
周りをさらに見回してみると、
西の方に列車が置かれていますよ。
ちょうど一年前に和歌浦の方に
行った時に、この列車の事は
調べてありました。

和歌山市内には
「和歌山軌道鉄道」という
路面電車が以前走っており、
1971年に廃止されましたが、
その車両がここに
展示されていると知ってました。
それが、これです。



和歌山市内を走り回り、
市民の交通機関として
親しまれていましたが、
その後これらが交通渋滞の
大きな原因として廃止されました。

まあどこもそんな感じで
なくなっているのでしょうねえ。
で、いらなくなった車両は
どうなったかといいますと、
ほとんどが和歌山沖の海に
沈められて、漁礁として
活用されたそうです。

ウワー、すごい歴史があるんですねえ。

現役で残っているのは、
この車両と海南に一両だけだそうで、
もうdoironより年下の人たちには
全く馴染みもないのですが、
きちんと保存がされているんですねえ。

前面の行き先には和歌浦口
と書かれていますねえ。
その目的地である和歌浦には、
今はほぼ同じ軌道でバスが
運行されているそうです。

そしてその横にはSLも
置かれていますよ。
あちこちの電車区を経て
ここに来たSLだそうです。

続く