ドンマックのつらつら日記

離職してからの毎日の生活や愛犬モコ助のことを気楽につらつらと書き綴ってみようと思うオジサンなのであります。

保育園の運動会と道中のモロモロ

2022-10-08 00:57:49 | 日記


 先日は息子2号の方の子供たち、孫のそー君とひいちゃんの運動会でした。
 と言っても本番は土曜日なので、その予行演習です。
 今回の家族の応援は予行も本番も家族3人までの条件付きだったので、本番にはママ方のお母さんが、予行演習はパパが仕事なので私たちとママさんの3人で応援することになりました。

 住んでいるのは車で90分程の港町なので、早朝からバタバタと準備をしていざ、久々に高速で向かいます。
 料金所のゲートを潜ろうとしたらいきなりバタンとバーが降りてびっくり。
 「カードを認識できません」とETCが言うので再度入れなおしたらOK。
 そして30分走った後に出口のゲートを出ようとしたらまたまた停車バーの洗礼を受ける。
 後ろのトラックを気にしつつも、またカードを入れなおしてみますが今度は全く反応せずです。
 走って来た係の誘導に従い停車して調べてみると、なんとカードの有効期限が9月で切れてました。
 現職中は毎日高速通勤だったので気にしてましたが、殆ど使わなくなったら油断してました。
 現金で払って何とか通過し、遅れを取り戻そうとちょっと早め?のスピードで走った結果、まあまあ早めに保育園へと着いてしまった。


 小さな保育園だし予行と言うこともあったので真ん前の特等席に椅子を並べて応援することができました。
 何しろパパもママも元々陸上系アスリートだったので、その血を引いた二人も良い走りをするのであります。(ジジバカ談)



 しかも保育園で兄弟2人だと次々と出番があり、応援や写真撮影も忙しいジイジとバアバなのでした。
 良い写真を撮ろうと真ん前に陣取ったのに早い動きに対応できず決定的な瞬間を取りのがしてしまうジイジ・・・ついに秘策をとる。
 写真は諦めてスマホでビデオ撮影をすれば、後でコマ送りしながら一番良い瞬間を写真にできるのですね。
 しかもスマホで8K画質の撮影ができるので、写真にしてもそれなりに綺麗に撮れました。




 約3時間で終了しましたが、演習とは言え子供たちは本番同様に頑張るので時間を忘れて応援することができました。

 さあ、子供たちは午後も保育園だったのでママさんと3人で港の展望レストランで刺身定食などを頂く。
 さすがにスーパーで売っているお刺身よりずっと新鮮でプリプリしていて美味しかった。








 帰りもナビに任せていたら朝とは違う道を走らせてくれて、まあそのおかげで高速にも乗らず、道の駅に寄ったり、薩摩富士(開聞岳)や桜島を眺めながらのんびりと帰ることができました。


 知覧町から見た開聞岳。手前はずっとお茶畑で空気を冷やす扇風機がズラッと並んでいます。

走行中に助手席から相方さんが撮った桜島。鹿児島から見る桜島は日に7回色を変えると言われる。

 家に着くとメーターはほぼ200kmを走行していた。
「北に向かっていればちょうど黒川温泉くらいには行けた距離だなあ、今度はそれも悪くないなあ」と運転疲れの目を擦りながら玄関のドアを開くと、留守番していたモコ助が廊下をドドドと走って来て腕に飛び込んだのでした。

橋から川をのぞき込むオジサンと犬

2022-10-04 00:49:05 | 日記


 朝夕がめっきり気持ち良くなりました。
 陽が登ってからでも肌を焼かれることがないのでのんびりと散歩に出かけます。

 台風の時はゴーゴーと音をたてて水しぶきを上げていた川も今はのんびりと穏やかに流れているので、つい橋の欄干から川を覗きこんでしまいます。



 10~20cmくらいの魚の群れが右に左に戯れながら泳いでいる。
 橋の下にもぐったので、モコ助と反対側に移動してまた覗いてみると・・。





 お?居ましたよ。今年も主が現れました。
 去年見たのよりかなり大きそうな70cmはあろうかという鯉です。
 本当にこの小さな川にどこからやってくるんだろうと思いますが、毎年、発見されます。
 いつのまにかいなくなるのは誰かがこっそり取ってるのかなあ?
 テレビに教えれば見に来るかなあ?
 でも今はそんな事をいちいち取材してる場合でもないしね。



 あ、あそこには・・。
 おそらくこの前の台風で上から流されてきたのか、まだ新しそうな自転車が深みに嵌ってます。



 ちょっと深そうでオジサンには手を出せそうにないので、たまにここで水遊びをしている高校生たちに任せて、さらに堤防沿いを国道の方に向かって歩いていく。


 桜島さあ、おやっとさあです

 国道のすぐ近くが海なので、満潮になると橋の下には海の魚も現れます。
 また覗いてみると、案の定、名前は分からないけれど大きな海の魚が数匹泳いでました。



 釣ればおいしい魚かもしれないけれど、誰も釣ろうとしてる人はいないなあ?
 さらに見つめていると・・



 なんとエイまで泳いでました。
 「どんだけ~」な川です。

 ずっと見ていたらもっと発見があるかもしれませんが、だんだん日が高くなって暑さが戻ってきたので早々に家路に向かうオジサンと1匹でした。



 

格闘王・・逝く! 追悼

2022-10-01 23:48:27 | 日記


 夕方、何気にスマートニュースを開いたら、「アントニオ猪木、死去」のニュースタイトルが・・。
 今日はあまりテレビを見ていなかったので夕方まで気づかなかった。

 アントニオ猪木と言えば世の女性陣からしたら昔のプロレスラーの一人と言うことになるのかも知れないが、我々60歳を過ぎるようなオジサンたち世代ではリングに上がるヒーローであって、小学校でも友達同士で卍固めやコブラツィストを掛け合って先生に怒られたものである。

 当時としては日本人には珍しく190cmの均整の取れた体格のレスラーだった。
 力道山から鬼のようなスパルタ教育を受けて力を付けていくも、師匠なき後はジャイアント馬場の影に隠れて、なかなか真の力を発揮することはできなかった。

 彼が一躍日の目を見たのは、1972年に新日本プロレスを立ち上げたときからである。
 タイガージェットシンやアンドロザジャイアント、ミルマスカラスなど外国スター選手を次々と迎え入れ、国内でもアニメから飛び出したようなタイガーマスクを登場させて人気は最高潮だった。

 このころは毎週ゴールデンタイムにいくつかの団体のプロレス番組が放送されていたほどである。

 そして自身はプロレスという枠を超えて、プロレス最強を証明するために異種格闘技という世界の幕を開けることになる。
 当時の世界ヘビー級ボクシング王者モハメド・アリとの闘い。
 相手側の理不尽な条件を飲まざる得なかったため、パンチをさけるためにはリングに寝転がって戦うしかなかった状況で後にアリキックと呼ばれた蹴り技は少なからずチャンピオンの足にダメージを与えて、アリが引退を速めた原因にもなったと言われている。

 その試合の前後にも、柔道のルスカ、空手のモンスターマン、熊殺しウイリーウイリアムスなどと死闘を繰り広げては勝利し、若者たちを熱狂させた。
 この時の活躍が今のK-1、PRIDE、RIZINなどの総合格闘技団体を生むことになったのである。

 その後、プロレスは徐々にフェードアウトしていくが、本人は政治家となり自分の信じる道を進んで言った。
 戦時下のイラクに単身乗り込み、日本人人質を解放したり、北朝鮮でプロレスを開催して外交に一役買ったり・・。

 政治家を辞めた後はあまり猪木氏の情報に接することもなくなったが、たまたま1年ほど前にご自身のyoutubeチャンネルで病気により激やせした彼が闘病している姿を見てびっくりしたものである。

 その後もチャンネルで状況を見守っていたが、こういう姿を公開するのは、きっといつか復活するまでの闘病記だという思いだったのでしょうね。
 今年の24時間テレビでの映像が全国に放送された最後の姿となった。

 訃報に接し、半年くらい前にたまたま書店で目に留まり即買いした彼の特集本をまた開いて読むことであった。



 アントニオ猪木さん、安らかにお眠りください。