マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

京都『イン・クライン』(その1)

2009年11月19日 | 身辺雑記

 間もなく出かけるミニクラス会の京都、一番の楽しみは紅葉です。京都の紅葉は一段と色鮮やか、今年もめぐり合えるでしょうか。その紅葉をめでながらの、主として東山方面の寺々をめぐる計画の中に唯一つ、お寺ではない「イン・クライン」を入れました。「青蓮院」から「南禅寺」への散策道に丁度「イン・クライン」は存在するのです。
 京都に詳しい妻から「イン・クライン」の話を聞いてその名前の意味するところを広辞苑で調べました。
 『傾斜面にレールを敷き、動力によって台車を走らせ、貨物や舟を昇降させる一種のケーブル・カー。日本では琵琶湖疎水の蹴上にあったものが有名』とあります。この実態を是非見たいものと、5年ほど前、妻に案内して貰い訪ねました。
 地下鉄東西線「蹴上」駅で下車すると、直ぐそこに「イン・クライン」を今に留める緩やかな斜面がありました。そこに掲げられた案内板を読むと「琵琶湖疎水は明治時代に造られた水路で、大津と京都を結び、飲用や発電の水源の確保のほか、貨物や旅客の輸送に使われたもので、明治時代の大工事であった」事が書かれていました。琵琶湖の水を、ある所では地下を通し、ここ「蹴上」まで運んで来る水路が明治時代に完成したわけです。なんとなくは知っていましたが、確固たる知識を持たなかった私は、ここまで流れ来た疎水と「イン・クライン」を見て興奮しました。
 蹴上まで、流れに任せて運ばれてきた荷物は舟ごと台車に乗せられ”陸路”「イン・クライン」を下り、その先は運河を経て、鴨川へと到達したわけです。逆に上る時の動力に、ここに造られた日本第1号の水力発電所で発電された電力が用いられた事も知りました。
 台車と舟も保存されていました。ここまで流れて来た疎水は、ここからは南禅寺までの急傾斜を降ります。レンガ造りの立体水路「水路閣」が南禅寺脇を通り抜けます。私は水路のすぐ脇の道を降り南禅寺に至り、南禅寺は素通りして、そのまま「哲学の道」に並行する疎水を追いかけました。
 ある種の興奮と感動がありました。明治時代のダイナミックな一面に感動したのかも知れません。京都を訪れると3回に1回はここを廻ります。今回のミニクラス会の行程にも入れようと幹事のBさんにメールを打ちました。するとその夫さん、Bさんメールを通じ「日本槐物語」を読まれたらとの返信。知識の宝庫の様なBさんの夫さん、勿論知っている知識だったのです。早速「日本槐物語」を購入。その中の「青春の運河」一気に読みました。
 (このブログ次回に続く)