さて3月25日の続きを書きます。
解雇に至った経緯の直接の発端は、「私のオーラが見える?」と言った社長の何気ない一言でした。私はこの一言でヒーラーのスイッチが入ってしまいました。
「それを聞く覚悟がありますか?」
社長の後ろには暗黒の闇が大きく広がっていました。そして、無数のさまよえる人たちの姿がありました。それは行列をなしてこちらに向かって来ていました。それを見て、私は覚悟がありますか? と尋ねたのでした。
(やばいなあ、これ)と思いました。社長は「覚悟あるよ」と答えなかったので、その暗黒の闇を伝えることはありませんでした。ですが、その闇は消えません。彼の頭の上に残ったままです。 (どうしよう‥)と思っていると、眼光の鋭い一人の男性がさまよえる人々の中から現れて、何やら私に訴え始めました。この人は社長のご先祖様の一人なのか、それとも高次の自我である社長の一部なのか、判断が付きかねていると、その人は私の中に入ってきました。そして私を通して、社長にいろいろと訴え始められました。
言葉そのものは穏やかなのですが、だんだんと社長の本心をつく意見が出てきました。そして、社長を諭すような言葉になっていきました。それは、「この事業は奉仕の心がなければ成功しない」ということを言いたかったようです。それは一時の利益を追い求めるのではなく、20年後や30年後の未来をつくる仕事なのだよ、と諭したかったようでした。つまり私たちが高齢者となったとき、こんな介護でいいのか、こんな施設でいいのか、と問われないように、今出来る最善のサービスを追い求め構築すること、と言っているようでした。
しかし、結果としてこれらの言葉(思い)は退けられました。私は解雇という形で会社を去ることになりました。しかし、私は社長を恨むことも憎むこともせず、天からのメッセージをお伝えしたのですから、感謝の思いをもって離れることにしました。よってけやへの思いはすべて手放しました。
むしろこれから大変なのは社長のほうでしょう。「他者を切り捨てることは自分を切り捨てること」のカルマを生み出し(過去世でも同様のことをされたきたようですが)、その報いが自分自身に返って来られます。自分で巻いた種は自分で刈り取らねばなりません。(因果応報の法則)
ですから解雇したのは他ならぬ自分自身であって、自分で自分を切り捨てたのです。今世での学びは厳しいものになるでしょう。でも、これも社長自身が選択されたことなので、誰も回避させることは出来ません。ただただキリストの「あがない」がありますように祈ります。ハレルヤ!
『自分を愛すようにあなたの隣人を愛しなさい』
新約聖書福音書からイエス・キリストの言葉