結局、クリスマス・イヴの夜も38度2分の熱が出ました。
でも、私はもうこの熱を心配していませんでした。
しとりん自身はとても大変でしたが、これは浄化のプロセスであり、
一過性のものだということを感じていました。
何よりもIVH(中心静脈栄養)を必要としていないのだと確信していました。
25日クリスマスの朝、しとりんから電話が来ました。
熱が出てフラフラしながらトイレに行こうとナースステーションの前を通ったとき、
3人の夜勤の看護婦はペチャクチャお喋りして見向きもしなかったこと、
「こんなことならば一人暮らししているのと同じだよ」と訴えました。
特別養護老人ホームや有料老人ホームなどで夜勤の経験があるしとりんにとって、
夜1人でナースステーションの前を通る人に見向きもしないということは、
絶対にあり得ないし、考えられないことと言いました。
私自身も特養や老人保健施設での経験がありますので、
夜間1人でフラフラしながら歩いていたら必ず声をかけます。
「帰ろう!もう帰ろう!」
思わず私は携帯の向こう側にいるしとりんに向かって言いました。
「年末年始は家に帰ろう!」
「いい?」
「うん、だって少しずつ食べられるようになっているんだから」
「良かった」
ほっとして安堵したような声でした。
午後、大学病院へ行くと、しとりんは意外と元気でした。
「外泊でも家に帰れるという目標ができたから」
と少しずつ食べるようになってきました。
これは奇跡に等しいことでした。
IVHからの高カロリー液はもう期待できません。
自分の口から食べる以外、道はなかったからです。
食べられなかったら再びIVHを挿入するしかありません。
そうなれば、カテーテル感染を警戒しながらの入院生活となります。
私はポカリスエットとアップルティの氷をつくって持って行きました。
それらも少しずつ摂取できるようになっていました。
IVHが抜けたことは、マイナスに作用せず、プラスに転じて、
大きな転換期になったようでした。
「外泊がうまくいって、食べられるようになったら家に帰ろう!」
「うん!す~さんがそう言ってくれたから、気持ちがかわってきたみたい」
と、しとりんの表情はとても明るくなっていました。
クリスマスの夜、遠かった退院の二文字が目の前にあることを感じていました。
皆様のお祈りに心から感謝します。
私たちは退院に向けて次なる段階に進みました。
これからも、お祈りをどうぞよろしくお願いします。