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夜明け前には薄雲がでていましたが、太陽が昇る時間には快晴となりました。この列車は雪をいただいた山をバックに気持ち良く撮影が出来ました。しかしお目当ての1501Mが通過前に山に雲が出てしまい、稜線が隠れてしまいました。 10,11,27 七久保 1423M Canon EOS7D
27日は休みでした。週間予報だと好天が予報されていたので数日前から情報収集を始めました。まず秩父鉄道のC58363号が装いを新たにした門デフ(通は門デフとは呼ばず小工デフと呼ぶらしい様ですが…)で走るのでこれを何とか撮りたいと考えました。しかし秩父鉄道だけでは少し寂しいなと他を調べると、八高線にDD51の旧客試運転があるではありませんか。それも普段走る昼間のスジではなく、高崎を13時過ぎに出て小川町を往復すると言う大変珍しいスジです。時間的にも秩父鉄道の5001レを撮ってから八高線へ移動しても至近距離なので間に合います。しかしこのスケジュールだと秩父鉄道のC58363号が日中の運転のために朝のエロエロ光線に撮影出来る被写体がありません。どうしたもか?と思案していると偶然にも飯田線の原色119系E4編成が飯田北線を朝の絶妙な時間に走る1501Mに充当される事がわかりました。ちょっと距離はありますが(一般人なら相当な距離と思われますが、周囲の鉄ちゃんの尋常じぁない行動力の影響を受けて距離感覚がマヒしているかも知れません…)、無駄な時間もないことから飯田線ー(中央道・双葉スマートインター・140号)ー秩父鉄道武州日野ー八高線のコースで撮影する事にしました。
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1501Mを撮影しようとカメラを山に向けて露出やピントの最終チェックをしていると、あれよあれよと言う間に雲が稜線を隠してしまいました。山の稜線の見えないのにお立ち台にいるのは全く意味がありません。致し方なく、少し移動しカメラの向きを逆にして半逆光後追いで撮ることにしました。 10,11,27 七久保 1501M Canon EOS7D
27日は01:55に携帯電話のアラームで起きました。実はこの時刻は私が一交勤務をしていると仮眠から起床する時刻でもあるのです(仮眠時間は入浴や身支度を含めて20:50~02:20です)。従って01:55に鳴ったアラームは前夜にセットしたままをそのままの設定で鳴らしたまでの話で、自宅でこの時刻にアラームが鳴ると私は、何かとんでもない仕事をしているなぁ!…と実感してしまいます…泣
まずは一般道を北上し相模湖インターから中央道に乗りさらに北上(岡谷からは南下)します。
途中のPAで仮眠を2時間弱して駒ヶ根インターを6時に通過。七久保の撮影地にはまだ太陽の昇らない時刻に到着する事が出来ました。
諏訪あたりまでは厚い雲に覆われいましたが、現地では雲ひとつない絶好の天気になっていて撮影に期待が持てます。
一言に七久保と言うけど、中央道全通のおかげで本当に近くなったものです。旧国が活躍していた時代は新宿駅のアルプス広場に長時間並んだ末に、やっと夜行急行゛アルプス゛に乗車し、夜が明ける前の岡谷駅で165系の飯田線一番列車に乗り(たしかこの165系は暖かいから乗るのですが、たしかこの列車は駒ヶ根行で、田切や七久保へ行くには後続の旧国に乗り換えた記憶があります。)七久保に着くのは8時前だった記憶があります。まぁ、それでも山々が見えていれば良いのですが、山が見えないと七久保の価値は激減してしまいます。山が出てくる様子がないと判断すると、あわてて他の撮影地へ移動した事もありましたけ…
さて、今日は山が見えているからと安心していると8時を過ぎた辺りから急に雲が沸きだし、あっと言う間に山々の稜線を隠してしまいました。これだから山バックの撮影には気を緩める事は出来ません。旧国時代でも七久保で霧や靄もなく山が綺麗に出ていて、納得行く写真はなかった記憶が蘇ってきました。
カメラの向きを変えて1501Mをなんとか撮影し、すぐさま駒ヶ根インターから双葉スマートインターへ向かいます。午前中の上り線なのでガラガラと思いきや、名古屋周辺や高山ナンバーの車が多く意外でした。
双葉SA併設のスマートインターから一般道を経由、国道140号で三峰へ抜けるルートですが、この経路の難点は甲府市街地を通過しなくてはならない事です。お買い物渋滞が始まる前にはなんとか市街を通過したいと思っていましたが、幸いにもさほどの渋滞もなく市街地を通過はしました。しかし国道140号に入るとセメント輸送のトレーラーが行く手を阻み、平均速度が40キロ以下並みになり、閉口しました。考えてみれば、このセメント輸送はかつて秩父鉄道ー八高線経由で各地へ輸送されたもので、その代替輸送であるトレーラーに我が道を阻まれるとは運命的な物を感じます(少し大げさ?…笑)。
天気は甲府盆地は快晴だったものの国道140号に入ると雲が多くなり三峰口まで来ると、完全な雲りベースになっていました。しかしこの国道140号線を甲府(山梨市)側から入ったのは初めてですが、いたるところに大型トレーラーではギリギリの急カーブが点在し、峠はトンネルでバイパスしないと、とても越えられない道なのには感動しました。そう言えばこの国道140号線も昔は峠で寸断さるていたはずです。
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晴れていれば完全逆光で紅葉シルエットになるはずでしたが、太陽は隠れてしまい、ただの雲り写真になってしまいました。 10,11,27 秩父鉄道武州日野 5001レ Canon EOS7D
実は秩父鉄道で秩父より奥での撮影は数えるほどしかなく、さらに蒸機撮影は皆無でした。そのために前日に夜間軌行様よりレクチャーして頂き、武州日野の秩父よりの鉄橋だと晴れていれば逆光ですが駐車場もあり、お手頃です…この゛お手頃です゛の言葉に惹かれて武州日野で撮影する事にしました。
私の魂胆としては紅葉に浮き出る門デフのシゴハチを狙ったのですが…来秋にリベンジを決意した次第です。
ところで夜間軌行様と言えば、つい先日に披露宴を上げた新婚ですが、今回は奥様同伴との事でしたが、さすがに撮影よりはSL列車乗車の方が魅力的だったらしく、奥様より私に車内から嬉しそうなメールが来ていました。
武州日野で5001レ撮影後、夜間軌行様ご夫婦は三峰口の奥にある蕎麦屋に行くと言うので私は夜間軌行様の車の後部座席でオジャマ虫になって一緒に蕎麦でもと思っていたところ゛飯を食べると言う事は八高線の片道を捨てる事になりますけど、良いですか?寄居は晴れていましたヨ!゛の言葉に我に戻り(体裁の良いオジャマ虫の追い払いだったのかな?…笑)、蕎麦は諦めて昼食は運転しながら買い置きのパンにかじりつきながら、八高線へ向かいました。
八高線の上り試運転列車は貨物列車華やかな時代には設定のなかった時間帯で、今まで撮れなかった場所で撮れる事になるために、今まであまり足を運んだ事がなかった松久―用土間で撮影をしました。
夏なら往復共に撮影出来るのですが復路は日没時間に限りなく近く、まともな写真は撮れないので丹荘―群馬藤岡間の神流川の河川敷で試9221レをシルエットで撮影する事にしました。
撮影を終えて車に戻ると辺りはすっかり暗くなってしまいました。追いたてられるように本庄児玉インターから関越道に乗ったのですが、恐れていた事故渋滞に巻き込まれてしまいました。現場は鶴ヶ島インターの手前で、渋滞距離は私が巻き込まれ距離は4キロ程度ですが、最高は10キロ程度の渋滞になった様です。事故現場はを通過した時は発生からさほど時間は経っていない様子でパトカーが何台か到着している状態でした。事故は追い越し車線で派手に大破しており、1車線を規制されたおかげで40分くらいロスタイムとなってしまいました。その事故渋滞のロスタイムで八王子インターを出たのが18時過ぎ。インター周辺や八王子バイバスが一番混む時間帯にモロに当たってしまいました。渋滞を避けるために、かつて豊田机務段様に教わった抜け道を駆使してなんとかインター周辺から北野までの渋滞は潜り抜けたものの八王子バイバスの相模原出口の渋滞だけは交わす事が出来ず、さらに30分のロスタイムとなり、家に帰ったら20時を回っていました。
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27日の八高線の試運転は復路が丹荘を16:27と夏ならエロエロ光線で興奮する事、間違いなしなのですが、いかんせ冬至一ヶ月前ではこんな写真しか撮れません。 10,11,27 丹荘―群馬藤岡 試9221レ Canon EOS7D
朝の2時から21時まで一人で運転し続け家に辿り着いたら、出発前に0に戻した距離計は700キロ近くを指していました。充実はしていましたが、この数字を見て疲れがどっと溢れ、体の力が抜けて行きました