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旧型客車を使用した宇都宮高校男子部が乗車した臨時列車です。牽引するは宮原機関区のEF58の中では目立たない存在なれど、そのスタイルの良さから根強い人気を持っていた75号機です。列車自体は宇都宮を12時頃に出発し、上野-東京間の連絡線を使って、東海道線を下って8113レで京都に夜着く行程でした。 75,07,17 東戸塚 8113レ
夏本番を迎え暑さに耐えられなくなると思い出す臨時列車があります。それが宇都宮高校男子部と女子部の修学旅行臨時列車です。宇都宮-京都間に運転されたこの修学旅行専用臨時列車が何故、印象に残っているかと言うとこの列車は男子部と女子部と別仕立ての列車で運転され(同一日で続行運転されたのか、別日で運転されたの記憶は定かではありません。)伝統的に男子部は冷房の無い旧型客車。女子部は冷房も効くし、自動ドアの12系客車で運転されていました。
どうして男子部と女子部で歴然とした格差があったのかは不明のままですが、沿線で撮っている傍観者の私でさえ”えこひいき”だよなぁ~女は得だよなぁ!と思った事を忘れません。
女子部に使われた12系は何処の車両かは記憶にありませんが、男子部に使われた旧型客車は品川客車区の波動輸送用をいつも使用していました。品川客車区だとナハ10系軽量客車がどこかに組み込まれていて、他の区の旧型客車とは一目瞭然で判別が出来、また軽量客車が組み込まれる事により格も上がり、カッコよかった事を鮮明に憶えています。(尾久客車区にもナハ10系の軽量客車の配置がありましたが、横軽の定期運用に優先的に組み込まれていて波動輸送にはあまり使われていなかった記憶があります。)
機関車は東京側が起点なので東京機関区が機関車運用を担当するのが順当ですが、東京-京都-(回)―大阪(宮原)を往復するために2日間以上を2両のEF58を捻出するのは厳しかったのか毎年、1往復は東京機関区のEF58で、もう1往復は宮原機関区のEF58が担当していました。宇都宮を旅立つ朝に、宮原から単6102レで回送してくるEF58が旧型客車の先頭に立つのが常でしたので6102レで機関車番号を確認して一喜一憂した事も忘れられない思い出です。
私にとってこの列車は毎年7月の風物詩となっていましたが、列車の存在に気づいて数年後、ふと気が付いたときには運転されなくなっていました。たぶんご多分に漏れず、新幹線利用にシフトされたのだと思いますが、宇都宮高校男子部の生徒にとっては単に修学旅行が新幹線利用になったと言う以上の価値があったのではないでしょうか…(笑)
最後に資料を調べていて気が付いたのですが、日本における修学旅行は1982年(明治15年)に栃木県第一中学校(現:宇都宮高校)の生徒たちが教員に引率され、東京・上野で開かれた「第二回勧業博覧会」を見学したことが日本での「学生・生徒の集団旅行」のはじまりといわれているそうです。すなわち宇都宮高校こそ、修学旅行のパイオニアであり、少々無謀の理論になりますが1982年の宇都宮高校の前身である栃木第一中学校の集団旅行が実施・成功していなかったら後の155系・159系、あるいは167系等の修学旅行専用電車はこの世に現れていなかった可能性もあったことになります。なんとも因縁深い話でしょうか…