DT200Aの庫 (goo-blg)

20年前の03月 急行”東海”の終焉


 デカ眼ライトに伝統の”東海”のヘッドマーク。さらにはロザ2両と東海道線の急行の風格のある被写体ともなれば萌えてしまうのは当たり前ですよネ!。   96,03,02 興津 302M

 20年前の03月はその月で引退となる静岡運輸区の165系がサヨナラ運転の一環として伝統のヘッドマークを掲出して急行”東海”に充当されました。往年の頃に比べて編成が短縮されたとは言えロザを組み込んで天下の東海道線を伝統の”東海”のヘッドマークをもりりしくデカ眼の165系が走るのですからそれを黙って見ている手はなく喜び勇んで数回、出撃しました。
 実はこの企画はJR東海・静岡支社に勤務していた一流大学卒のエリート鉄ちゃんが一人で企画し、上部に直談判して何度も拒否されながらも、粘り強く交渉の上、実現に至ったという事を後で知りました。そんなことを露知らず大喜びで撮影していたものでした。その後、ある人の結婚式の2次会(その結婚式の新郎は日本を代表する観光駅の現駅長ですがぁ・・・)でその企画した社員と話す機会があり素晴らしい企画に感謝の意を申し上げた事がありました。その中でいろいろな苦労話を聞かせてもらいましたがやはり安全第一の鉄道業で何かイベントをやろうとすると必ず事故のリスクを問われ、それをどう説得していくかが今風で言うプレゼン力だと聞かされ、妙に納得したものでした。
 当時の静岡の165系の運用は主に急行”東海”に充当されていたのですが1往復だけ東京―静岡間の普通列車(321Mと326M)に充当されていました。この列車に”東海”のヘッドマークを掲出したままで走る事は出来ないのでこの企画した社員とこの企画に賛同してくれた社員とで交代に自腹で静岡―東京の新幹線特急券を購入し事前に事情を話しておいた田町電車区に赴きヘッドマークを変えていたそうです(当時は品川駅は未開業)。その話を後日聞いた際に、当時私がそのことを知っていれば毎日田町電車区でヘッド―マークの交換をしたのにぃ!と話した記憶があります。

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コメント一覧

DT200A@CF-Y8
ワム8様
アケ番でしょうか?暇に任せた時間の無駄使いの弊ブログへのご投稿、感謝いたします。

>末期の特急「東海」なる373系6両のこの列車、往時を知るものとしたら寂しく・・・

 全く、仰せの通りだと私も思います。だいた373系って本線特急のつもりだったのでしょうが何のために造ったの?と考えてしまいす。
ワム8
列車によっては、途中の国府津まではチタ区の「ごてんば号」併結で堂々の16両編成、見応えがありました。
それに引き換え末期の特急「東海」なる373系6両のこの列車、往時を知るものとしたら寂しく見るたびに時代の移り変わりを感じさずにはいられない存在でもありました。
DT200A@CF-Y8
福臨鉄様
暇の極致の末のご乱心のご投稿、呆れるやら感謝するやらです。

 この手のイベントを一社員がやるとなると色々な障害が立ちふさがります。その最たるものが”事故が起きたら誰が責任をとるんだぁ!”と言うて定番のセリフです。このセリフをねじ伏せるだけのプレゼン力と行動力が必要となります。
福臨鉄
これはまた懐かしい!
伝統ある列車のあのマークが実現したのには↑こんな経緯があったんですね。
私なんか無論知らず当時住んでいた福島市から東北急行の夜行バスで
大川支線のクモハ12と引っかけて撮りに行きました。
急行の東海には一度だけ73年夏九州に行った帰りに乗りましたが、
車内は常磐線の急行と同じでも格が違うような感じがしました ^_^
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