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DE10に牽引され秋晴れの米坂線を走り抜けるニイ座です。当初は6両でしたがのちに〝サロン佐渡〝と称するサロンカーを連結し7輌編成となりローカル線では見栄えした事は確かです。を 87,11,01 伊佐領―羽前松岡 9812レ TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
30年前の11月は米坂線に新潟局のお座敷列車が頻繁に走り、また天気も恵まれたことから何度か撮影しています。
80年代(昭和60年代前半)になると増収活動の花形として本州の各鉄道管理局で1編成づつお座敷列車を持つようになってました。高崎局なんかは1編成では足りずに2編成のお座敷列車を持つ程でした。新潟局も12系のお座敷列車を持っていましたが今で言う差別化を図るためにオハ14を改造して〝サロン佐渡〝と称するイベントカーを作成してお座敷列車の編成の真ん中に組み込んで運用していました。これがなかなかカッコ良くまた、6輌と7輌ではその風格も異なり魅力的にでニイ座がローカル線に入線するといそいそと出撃することがありました。
この時代、御大は独身で、ある大型スーパーの福島店準備要員として福島駅近くのアパートに抑留されており、彼も庭坂や赤岩への撮影に都合が良いので志願した様でこちらも中継地点として大変都合の良く何度かお邪魔させてもらいました。この時も御大のアパートで集合となり何台かの車に分乗して米坂線へ向かった記憶があります。確か私の車には元都庁の大先生が乗っていた記憶がありますが定かではありません。うっすらとした記憶ではどこかの駅で突放した様です。
この写真の日ではありませんが同じニイ座を撮影しようと手ノ子の定番撮影地で草刈り中に珍味先生は何を血迷ったのか自分の足を刈り、動脈にまだ達する傷口で出血が止まらず大変な事になってしまいました。ここで撮影を取りやめて病院に行くのは普通の人で、我々はとりあえずニイ座を撮影してから病院に行くことにして彼自身に止血させて我々は何事もなかったように撮影後、小国町立病院に担ぎ込んだのも良い思い出です。この時、珍味大先生は自分のハンカチで止血したのですが病院に入るなり、看護婦さんから”雑巾みたいな不潔な布で止血したらダメでしょ!”と言われて付き添った一同、苦笑したのも昨日のように鮮明に覚えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/98/8a1c83e07ff6c054209be5f8c02b7282.jpg)
ただ追い掛けていたらこんな撮影地を見つけました。蕎麦畑が良いアクセントになったようです。こうやってサイドから撮影すると6輌と7輌の格の違いが鮮明になります。 87,11,01 西米沢―成島 9812レ TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED