ある人は蒸機時代の瀬野八だったり、またある先輩は電化前の奥中山、あるいは年下の鉄仲間は57,11改正前の越河と言う人もいました。
私はいつも過去に見てきたところと限定されるなら中央西線中津川―塩尻電化前の木曽福島機関区に舞戻って今の機材で写真を撮ってみたと言っています。また見たことのない場所に行けるならC62が特急の先頭に立ち渾身の力を見せ走り抜けた山科に行きたいと答えています。
07,01,10
もし撮影地以外(鉄とは無関係)の土地だったらこの写真の所をに50年タイムスリップしてみたいと常々思っています。
写真の場所は自宅より約2キロほど東に進んだ道でこのまま坂を下り、一本道を進むと戸塚駅の前に出ます。平たく言えば、自宅から歩いて戸塚駅まで行くルートの途中と言うことです。
当然に駅に近くなれば華やかになるのですが道の幅は途中の大工場の前以外はこの細さのままでなかなか趣があります。現地は小さな山のほぼ頂上で今でも東側には竹林があり、市の保護地区となっています。
今は現存していませんがかつてはこの場所に百足荘と言う旅館がありました。名前があまりにもユニークなので亡くなった父がたいそう気にしていて、いつかは泊まってみたいなどと言っていたのを想い出します。今も竹林があるのでここは百足がたくさん出るのではないでしょうか…
私が小学生時代に今の土地に引っ越してきた時には既にこのあたりは宅地化されており、今とあまり変わらない様相でした。そのためここが昔どんな道だったのかは知る由もないのですが、何故かこの道の昔が見たいと言う欲望にかられます。
私が思うにこの道は畑の脇にあった小さな畦道で今の竹林の所はうっそうとした雑木林ではなかったかと思っています。今でこそ竹林の向こうは大きな工場がいくつも並びますが、50年前なら工場も全てなく、見晴らしが良かったであろう場所からは遠く、東海道線が一望でき、EF58の特急や151系、80系、あるいは横須賀線の70系の姿が当たり前のように眺められたと思ってしまいます。
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