続々と201系が新製されていた時代です。国鉄時代は新製された車両は車両製造メーカー近くの電車区の検査掛により仕業検査され、自力でいくつかの乗務員区の運転士に引き継がれ延々と配置区まで回送されました。そして配置区で公式試運転がなされ、問題がなければ晴れて国鉄に引き渡される事になります。最後に電車区区長の公印(角印)を書類(受取書とか、納車書とか呼んでいましたが、正式名は失念しました。)に押印して書類上も正式に納車されるシステムとなっていました。
写真は新製回送途中で一時入区した田町電車区から豊田電車区へ回送されている姿です。運転台に多数の指導運転士が乗っているのは品川―新宿間が田町電車区の運転士が担当のため、普段は乗務しない形式でもあり、万が一の事を考えて多数乗務していると思われます。 81,08,10 原宿 試9495M
今日は鉄道の日(旧鉄道記念日)です。この日は79年から絶える事無く中央線で主力形式として活躍してきた201系の最終日でもあります。懸念されたダイヤ乱れもなく予定通りH7編成は15T運用に入っている情報を頂いております。
201系は国鉄設計陣が最後の威信を掛けて造られた車両でそれまでの通勤電車ではどの線区でも使用される事を前提とした凡用として作成されたのに対して201系は中央線のみを使用する事を前提に設計されたのも注目されました(後に使用線区の見直しがなされ、総武線や京葉線更には東海道線京都-西明石間や環状線や関西線・奈良線でも201系が使用されることとなります)。
201系は通勤電車としては異例とも言える量産前に試作編成を作成した事は特筆に価すると思います。また、この試作編成を使用し原宿の宮廷ホームで一般公開されたのも通勤電車としては異例でしたが、それ以上に公開の場で案内役となって新しい車両を説明する車両設計事務所の人達の真剣な眼は今も忘れられません。あの眼こそ、この201系に掛ける国鉄車両設計事務所の意気込みだと、今も思っています。
この公開時に一番印象に残ったのが旧型電車を彷彿させる車内のポールでした。通勤輸送には障害となると言われていたセンターポールをあえて設けたと言う事に度肝をぬかされました。更に今では当たり前とはなりましたが通勤車としては異例だった空気ばねの足回り戸惑いを感じたのも事実です。車内に目を向けるとラインデリアと窓には片手で開くバランサー付き下降窓と最先端の私鉄電車をあざ笑う様な設計思想に国鉄らしくない通勤電車になかなか馴染まなかったりも、懐かしい思い出であります。
17日には最後のH7編成は二度と帰る事ない豊田車両センターを出区し長野へ廃車回送されます。ご苦労様でした201系!
まだまだ101系や103系が中央線で主力として活躍していた時代です。201系の特快がまだ珍しかった事を思い出します。 83,11,13 国分寺
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DT200A@CF-Y7
つばめ鮨[[EE:AEAB8]]の常連
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