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中国共産党幹部も避暑に訪れると言う承徳はリゾート地だけにハイグレードのホテルが建ち並び宿泊費は高いもののそれなりのサービスと食事が提供されていました。そんな街の外れに行けばこんな列車が多い日には3本撮影出来たのですから素晴らしいとしか言いようがありませんでした。排気膨張室のない建設型が本気で力行すると鼓膜が破れそうなそれはそれは素晴らしいブラスト音が山々にこだましていました。 97,11,16 承徳専用線 11:15頃
93年に初めて中国へ現役蒸気機関車を撮影に追い掛けどっぷりハマってしまった私は毎年1回、あるいはそれ以上の回数、中国を訪れる様になっていました。最初は地理感覚さえ無くただ連れて行ってもらうだけでしたがこの頃になると中国・赤峰国際旅行社の李彦軍氏とコンタクトを取れる様になり国内代理店を通すよりかなり安く旅費を抑える事が出来てその分、回数多く訪中出来た訳です。
この時は赤峰から車をチャターして北京空港から承徳で一泊し翌日は承徳郊外の専用線で蒸気機関車を撮影し、夕方にに叶柏寿へ移動。叶柏寿でも撮影して赤峰へ移動。赤峰では市内で一番のホテルに宿泊。豊田机務段さまと国際放送でNHKニュースを見て〝ここが中国なんて信じられないネ!〝と話したことを今も覚えています。翌日朝早くに出発して集通鉄路へ移動。何日か撮影してからまた赤峰に戻り夜行列車で北京へ出て帰路に着いたと記憶しています。
この後、中国の鉄道は急速に近代化、高速化が進みあっという間に蒸気機関車もその姿を消してしまい我々が中国にハマったのはラストチャンスをモノにできたからだと今は思っています。
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叶柏寿の街は甲府みたいに盆地で四方に鉄道が伸びていて叶柏寿を出るためには峠を越える事が必要でした。本線はこの前の年くらいに無煙化されましたが支線である叶柏寿と赤峰を結ぶ叶赤線はまだまだ前進型がDF4に混じって活躍していました。この線は途中に炭鉱があり輸送量がそこそこある上に短区間運転の貨物列車が大半で時刻通りに列車がやって来ると言う好ましい撮影地でした。 97,11,17 石脳 4546次 No2 TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
この頃、まだ若かったなぁ!と思うのは車は隙間だらけで冷たい外気が容赦なく入って来る車内でまともな舗装なんてごくわずかでダートか舗装道かわからない道路に揺られ6時間とか8時間とか乗って深夜にホテルについて翌朝は夜が明ける前に出発でもさほど疲れを感じなかった事です。暖かい時期なら撮影中に誰か一人起きていて後はカメラの傍らで昼寝も出来ますがマイナス20℃とか30℃では外では休まず更にいくつもの山を登ったかと思うと降りてきて違う撮影地を探す毎日でも疲れや眠気を感じなかったのは現役蒸気機関車を撮影したいと言う思いばかりではなく若かったのも大きな理由だと思います。
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この写真を眺めていると20年数年前に中国の現役蒸気機関車に目覚めて執りつかれた様に訪中し、日常の蒸気機関車を撮影出来た事は私の人生にどんなにプラスになったか計り知れません。 97,11,22 下抗子―哈達山 TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED