さて、いま東海道・山陽線のブルトレの先頭に立つ下関運転所のEF66は85年から今の任務についていますが、当初からブルトレの先頭に立つEF66は2次車限定の運用となっていました。これは2次車はMGの容量増大化や制輪子の高速対応化などがなされているという判断からでした。さらに長距離高速運転に対して慎重を期すために2次車の中でも車令の一番若い40~55号機を選抜していました。(RF575号P58参照)
当時、EF66が配置されていた下関運転所は下関(通称:本所)と幡生(通称:支所)と客貨の二つに分かれていました。本所には旅客用のEF58やEF65P等の機関車が配置され、支所には貨物用のEF66が滞泊していました。そのためブルトレ用に支所から本所に選抜されたEF6640~55号機と支所に残った他のEF66とはでは配置区が同じでも使用用途が全く異なっていました。そのため当時から人気のあったEF66のヒサシなしの1次車がブルトレを引くことはまずあり得ないと言うことでした。
ところが86年夏過ぎから1次車のEF66がブルトレの運用に入っている噂を耳にするようになり、さらに自分自身も何度か1次車牽引のブルトレを見かけるようになりました。現在のJRのように完全な客貨分離され本所と支所で通常は機関車間の貸借のない下関運転所でなんでこんな事が起きるのだろう?当然の疑問でした。そして調べると答えは簡単でした。本所のEF66改造(当時の事がどうしても思い出せないのですが、たしかブレーキ関係の改造と聞いた覚えがあります。)のために両数不足となり支所からEF66を借入をしているとの事。当然、支所に残ったEF66は1次車がほとんどで当然の様に1次車が貸出され、その機関車もなぜかかなりの頻度で入れ替わっているのです。そうなると当時、支所に配置されていたヒサシなしのEF6618号機やEF66901号機がブルトレの先頭に立つ日がきっと来るだろうと期待は高まりました。そしてまず901号機が、そして続いて18号機が本所に助っ人としてやってきてブルトレの先頭に立ったのでした。901号機はこの時点で既にPS22化されていて原型から程遠いその姿から私の撮影対象からは外れていましたので撮影に行った記憶はありません。私が狙うはPS17搭載の18号機のブルトレだけした。何度か18号機のブルトレを追っかけた記憶はあるのですが、良く取れたというイメージはありません。ネガを見返してもほとんど記録がありません。きっと雲られて撮らなかったカットもあるのだと思います。そんな中で、このEF6618号機の引くマウント富士のヘッドマークは今でも納得のいく写真です。EF66の1次型ブルトレも18号機が幡生に返却され終わったと記憶しています。
当時はかなりの人がヒサシなしのEF66を追っかけていました。この場所にも数人の鉄ちゃんが居たと思います。 86,10,16 函南 8レ
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