今はやりの有料撮影会のさきがけとなったEF5861号機撮影会です。この時は正規のルートではなく国鉄の制服で現場に乱入して撮影しましたが、撮影会終了後に地元の人にも黙認と言う形で撮影の機会を設けてくれたのが時代を反映しています。 84,09,30 国府津運転区
私が恋焦がれて追い続け〝教祖様〝と呼び続けたEF5861号機が過日、保管されていた大井工場(現:東京総合車両所)から大宮の鉄道博物館へ移送され10月30日より一般公開されると昨日、プレスリリースされました。
2007年06月に最後の列車牽引を終え、その後は体力維持(絶縁低下防止)のために単機運転などして2008年06月に保存前提で大井工場に取り込まれ、その後は工場の公開で陽の目を見る事はあったものの、ほとんど人の眼には触れずに今まで保管されていましたが、大井工場の土地活用計画が持ち上がり、EF5861号機が保管されていた場所もその活用対象となったことから、鉄道博物館への移送計画が実現したようです。
名古屋鉄道管理局の展望付きお座敷客車をけん引する、我らが教祖様です。情報を確保して慌てて大垣夜行の飛び乗った記憶があります。当時、まだ大垣夜行も認知度が高くなく、途中駅から乗っても座れたものでした。 84,11,21 近江長岡 9443レ
私が鉄道を撮り始めてその魅力に魅かれたのがEF58でした。その中でも頂点とも言える61号機は常に追い掛ける対象で、独身時代は61号機が廃車になるまでは結婚しないで好きなだけ撮ろうと決めていました。
事実、84年02月のダイヤ改正(59,2ダイヤ改正)前にダイヤ改正に伴う機関車配置計画の中にEF5861号機廃車の文字を見つけて〝これで俺の独身も終わりだぁ!〝と嘆いたものでした。ただ、この改正では直前にEF5861号機の廃車に対して見直しが図られて廃車復活と言うサプライズがあり、結婚しなくて済むなのか、あるいは教祖様の撮影がこれからも出来るかのかは判りませんが小躍りして喜んだ記憶があります。
たくさん教祖様の撮影をしましたが、どれも思い出の残るカットばかりです。その中でも、思い出深い一枚がこの桜満開の伊豆多賀駅を発車する姿です。今だったら山を禿さすほの鉄ちゃんが押し寄せるでしょうが、当時にしては多かったと言っても30人くらいでしょうか?この後、そのまま遠征して翌日の午前中には飯田線でED62の貨物列車を、午後には高山線でDD51の団臨を撮影しています。当時、自分がいかに若かったのかと思います。 86,04,12 伊豆多賀 9027レ TRI-X スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED
その後、EF58そのものが老朽化で本線から撤退する中でも61号機だけはその輝きを失わず、イベント機関車などと言われながらも活躍を続けたものの運転する乗務員やメンテナンスする人材が枯渇する中でどんどん稼働機会を失いいつしか、庫で休む姿が多くなり2008年02月に田端運転所から大井工場への単機回送を最後として二度と本線を走る姿を見せる事はありませんでした。
今回、無事鉄道博物館に保存され、ひと安心ですが大井工場から鉄道博物館へ移送される際に大宮工場の手で塗装などを昔の色に戻して欲しかったなど、細かい事も言いたくなりますが、そこは大人しくしていることにします。
仲間の中には公開初日の10月30日に一番乗りして教祖様の拝謁をすると意気込んでる方もいらっしゃいます。最初は笑っていたものの、私も徹夜して一番乗りで拝謁しようかなぁ?なんて気になってきました(笑)。誰が言い出したのか?〝もう1号編成のお召列車は走らない!ましてEF5861に牽引する姿はあり得ない〝とまで言われていて、また我々もそれを信じていたために〝栃木でお召列車が運転されるらしい、それもEF5861牽引の1号編成だ!〝と言うニュースを聞いて、最初は信じませんでした。〝嘘だろぉ!誰がのガセ!〝と思い、無視を決め込んでいました。しかし、現場で着々と準備が進められている情報に接して”こりゃあ大変だあ!ほんとうなんだぁ!”となったのは言うまでもありませんでした。幸いにも、撮影地は仲間内を介してK池君が確保してくれた場所に入れてもらえることになってまずは場所を確保出来てひと安心でした。
そして前日に現地に向かうと三脚や脚立は立っているものの誰もいない!・・・えっ、どうして?と当時、やっと普及し出した携帯(ただしPHS)で連絡すると場所を確保してあるから当日の朝に来るとのこと〝そりゃあ、気合い入らな過ぎだろう!〝と激を飛ばして召集したのを覚えています。 96,10,24 岩舟 お召列車(9002レ) TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED