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まだ、太陽が山陰から出てくる前に下之郷に到着。まだ人影のない庫で撮影をして陽の出を待ちました。この時点ではカーディガンが欲しいくらいの涼しさでした。 05,08,06 上田交通 下之郷
今年の夏も異常なまでの暑さですが10年前の8月もとても暑い夏でした。その頃は今と違い堅気の職業で土日が休みでした。休み毎に家でクーラーガンガンの環境も体には絶対良くないと撮影というより避暑のつもりで上田交通を訪れてみることにしました。しかし、上田は盆地ですから朝夕は心地よいくらい涼しいのですが昼間は関東と同じくらい、いやそれ以上に暑くなり閉口した記憶がアリます。
避暑とは言えなぜ上田交通を訪れたかというと別所温泉駅構内に保存されている丸窓電車(5250型)が現状どうなっているか見たかったのと旧東急7200型が撮影したかった次第です。確か深夜の中央道を走り須玉ICから141号線経由で早朝の下之郷に到着したはずです。途中、野辺山では下界が熱帯夜だと言うのになんと10℃程度で窓を開けて深夜の141号を飛ばしてとても気分がよかった記憶があります。せっかく涼しいんだからと野辺山駅あたりで仮眠しようとしたら寒すぎて夏だというのに寒さで起きてしまい、また運転を続けたと言う記憶があります。
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丸窓電車末期(1500V昇圧化は86年10月1日)は頻繁に通った上田交通(当時は上田電鉄)ですが20年弱の歳月は沿線の景色を激変させていました。田んぼのど真ん中を走っていて好撮影地だったところも住宅地となってしまい当時をしのぶ場所も限られていました。この寺下駅周辺はそれでも当時の雰囲気を少し残していたのでここで撮影することにしました、丸窓電車活躍当時は”畑に入るんじゃねぇー!”と怒鳴っていたオヤジも20年も歳をとってしまい当時の凄みもなく私が撮影していても気に留めることなく畑仕事に精を出していました。 05,08,06 上田交通 寺下
何が撮影したいではなく暑さから逃れたいという欲求は意外にも上田が暑くあえなく崩れてしまいました。午前中で撮影を終えてすごすごと退散することにして次の撮影地となる大糸線へ移動しました。蓼科高原を経由して松本へ出た記憶があります。さすがに避暑地である蓼科高原は湿度も気温も低く、深夜運転し通しだった疲れもありとっても心地よい環境で昼寝をした記憶があります。
ところで長野県は四日市の製油所からタキで運ばれて来るのでガソリン価格が他県より割高だと言うことを何方から教えてもらったことがありました。この時、上諏訪・茅野・塩尻・松本と国道を走りましたが神奈川や東京の激戦区に比べてガソリンの価格が割高なのに驚いたのを鮮明に覚えてます。
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真夏に湯たんぽ・・・でも暑くない?!このヘロヘロ感はたまりません。でも足元を気をつけないと細い尻尾が何本もありました。ニョロニョロチャンばかりかワニの子供(?)もたくさんいました。 05,08,06 上田交通 下之郷