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11日と12日はデブ症でスキャナー三昧!

 11日と12日は連休でした。今はお盆輸送で超繁忙期です。職場は超てんてこ舞いでしょうが申し込んでもないのに連休を入れていただき、ありがたく休ませていただきました。テレビでは東海道新幹線東京駅の混雑ぶりが映し出されていました。お母さんと男の子が発車間際に乗車しよとしたもののデッキまで超満員で途方に暮れている間にドアと共に可動柵が締まりだして駅員が柵外に誘導しようとすると母親が”乗りたいのになんてことするんですか!これ乗れなかったら困るんです。どうすればよいのですなぁ!”と駅員に食って掛かっている映像が流れてました。駅員は当然のことをしているだけなのに非情なことをしているかのよう・・・”本当に乗りたかったにもっと早く来いよ!”と思うとともに”それにしても大変だなぁ!”と思いながら両日とも何処に行っても人だらけと言う事で自宅で溜まってモノクロフイルムのスキャナー作業に没頭していました。
 そんな訳でスキャナーした画像の中から思い出深い画像をいくつかご紹介したいと思います。なお、今回は無作為に選んで99年の画像を中心にスキャナーしましたので年代的に偏っていることをあらかじめご承知おきください。


 高崎の12系が廃車が続き高尾臨にねん出出来ないとか拝島運転区の乗務員の中でDLのハンドルを持てる人が退職が続き運転できなくなるからとかいろいろな噂が出で毎年、新年恒例の八高線の高尾臨の設定が無くなるというと言う事が沿線で囁かれるようになりこの頃は運転日毎に出撃していました。夕方の高尾発の列車は高校時代は日没直前に小宮通過で撮影が厳しかったのですが晩年は30分くらい運転時刻が繰り上がった事で撮影が出来る様になりました。更にエロエロ光線で多摩川の橋梁を通過するのでギラり狙いで何度がトライしました。この写真は842号機のステンレス帯が夕陽に輝いた一瞬をモノに出来た1枚です。    99,01,10 小宮―拝島 9223レ TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED


 高尾臨の上りとなる列車は光線が厳しいので(夏からともかく冬なので)撮影地は限定されていました。この用土―寄居の撮影地は陽の出と共に撮影可能となるのでよく通いました。また現在では背後に建物が出来てアングルが限定されますが、当時はその制約もなく100人が集まっても撮影できるくらいキャパが広いのも特徴でした。正月明けの最初の運転日にはここで仲間と新年のご挨拶をしたのも懐かしい思い出です。    99,01,17 用土-寄居 9222レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED


 奥中山や瀬野八はもとより陣馬さえも知らない私の世代にとって中国の現役蒸機との出逢いは衝撃的でした。狩勝旧線に大畑越えを足して2で割ったような峠と大先輩が称した集通鉄路公司との出逢いもさることながら変則3重連が日に3~4本やって来る包神線も新鮮でした。後で知ることになるのですがこの鉄道は日本のOEDで建設された路線で日本にはDLで運転していると報告された書類をネットで見つけてびっくりした事がありました。    99,02,07 包神線敷包淘  TMY スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED


 この頃は中国に現役蒸機を追い掛けてて年に2~3回は訪中していました。まだまだ探せば地方に蒸機が動いていた時代で結構、アクセスが良い都市の周辺に蒸機が多数運転されているところもありました。その中で北京の西にある包頭もその一つでした。この線は建設型が客貨に活躍していていました。貨物の運転はアテにならないものの客レがあるという事は少なくとも全く撮れないという事は避けれるのでありがたい存在でした。歯切れのよいブラスト音と共に完全燃焼した白煙を勢い良く上げて走って来る建設型は忘れられない1枚です。   99,02,06 后貝 804次 TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED


 鉄ちゃんなら誰でも考える事なんですがお目当ての撮影が早めに終了し宿泊する街に早めについてしまったもののまだ太陽が高いのでガイドと運転手に頼んで中心站(駅)の外れに車を走らせてもらいました。勘でここあたりかな?と言う路地を入ってもらい線路を見つけ土手を上がるとドンピシャの場所でした。住民の眼が注がれるので不測の事態を避けるためにガイドには横にいてもらいカメラを出すとほどなくしてDF4型の特快がやって来ました。サボを見ると天津-鳥海西と書かれていました。    99,02,09 包頭東駅 天津-鳥海西 特快 TMX Scanner : ニコン COOLSCAN Ⅴ 


 しばらくすると反対方向から白い煙がこちらにやって来るのを見つけました。事前の情報では本線には蒸機列車は無いという事でしたがなんとQJの客レがやって来ました。これを撮れただけで来た甲斐はあったというものです。この後、支線の建設型客レを撮影して引き上げています。     99,02,09 包頭東駅 QJ本線下り列車 TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED


 99年ころは磐越西線には塩川と広田にセメントに向けて貨物輸送が設定されていました。間違いなく日曜日はウヤでしたが土曜日は時折運転されておりC57と絡めて効率的に撮影が出来ました。ただ設定時刻が日没ギリギリで山影との闘いでした。ここは西側がひられているので山影になる事はなく安心してカメラを構えることが出来ました。ただ18時ころにまで野沢にいることになるのでこれから帰宅するとなるとちょっと大変だった記憶が残っています。   99,04,15 上野尻―野沢 5281レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED


 2度目の映画撮影用のロケ列車です。初回が白銀の中の運転で感動しきりだったために春先の運転であった2回目の運転は物足りなさを感じたものでした。ただ、これを機に北海道もC62以来の復活蒸機を本気で運転するのだと信じて期待を持ったものでした。まさかこんな事態になるとは、この当時知る由もありませんでした。      99,05,09 恵比島 9481レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED


 この写真は痛恨の1枚です。ひょんな事からリーベン車両K氏と”出雲”を撮ろう!と意気投合してある夜、私は新幹線で米原へ向かいました。そこでリーベン車両K氏と待ち合わせて延々と日本海側を走り早朝に鳥取県に入りました。天気予報は快晴のはずが夜明け前の空に星が見えません。ここまで来て・・・(/ω\)
 明るくなっても天候は回復せず快晴で撮影するはずの”出雲”は薄曇りで通過していきました。帰りは津山あたりから高速に乗って帰るつもりが意気消沈してしまい、高速代ももったいなくなり来た日本海側をトボトボと帰ることにしました。ただ、深夜ならまだしも昼間だと街中は渋滞して米原に着いたら20時前で乗った”こだま”は東京行の最終1本前でした。     99,05,15 福部 1001レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

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コメント一覧

DT200A@CF-F9
PTA会長・・・もとい青年部長殿
 ご多忙の中、弊ブログにお越し頂き、更にはご投稿まで頂き、実はヒマなんじゃん!とご察し申し上げます。

 あの場に居たんですネ!その時話し掛けてればあなたの人生は相当変わって居た鴨?・・・同じかぁ?
青年部長
1枚目は私もこの日この場所にて撮ってましたよ~
DT200A@CF-F9
toyodakimudan様
 天気が悪く、どこにも出撃出来ず暇を持て余した上での閲覧にとどまらずご投稿、ありがとうございます。

 昔は良く出撃したものですが言い尽くされた言葉ですが撮るモノが無くなりましたねぇ!
toyodakimudan
1枚目から6枚目は全てご一緒に撮影してますね、懐かし次第です。一緒に撮影するネタが無いですね。
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