DT200Aの庫 (goo-blg)

20年前の04月 No1 飯田線撮影用配給列車


 深夜の東名を走り続けて辿り着いたら現地は快晴ともなれば深夜運転の疲れもすっ飛びテンションが上がります。     98,04,04 三河槙原―湯谷温泉 回9721レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 20年前の04月は飯田線に撮影用の配給列車を撮影しています。当時、JR東海の名古屋本社にはちょっとした鉄ちゃんがいていろい面白い企画を出してくれ、またそれを理解してくれる上層部もおり、我々鉄ちゃんにとってありがたい存在でした。その企画の中で飯田線の伊那松島運輸区に廃棄物を回収に行くと言うもっともらしい理由をつけて名古屋駅ホームのゴミ回収用に配置されていたワム8000型有蓋貨車を名古屋―豊橋―伊那松島と運転した事がありました。この列車は実際には撮影用の列車で豊橋からED18で牽引し途中、幾度となく長時間停車して車での追っかけが可能となる様にしてありました。この列車は複数回運転されました。最初はワム8000の1両だったのが、最後は名古屋駅の改良工事が完了し実際の業務でワム8000が必要なくなったことから3両捻出が可能となり最後となったこの運転ではワム8000を3両とヨ8000の計4両で運転されました。


 ちょうど飯田あたりは桜満開の時期でした。もうちょっと我慢してパン2丁が抜けてから撮ればと今は反省(笑)。    98,04,04 大沢(信)―高遠原 回9721レ TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

 20年前なら私はちょうど40歳でまだまだ疲れを知らない(あまり感じない)歳でした。深夜に東名を走り続けてちょっとの仮眠で後はこの列車を東名豊川ICから北上して伊那松島まで走り続けた記憶があります。
 私の世代だと飯田線の貨物列車はED62かEF10の時代でED18・ED19は撮影しているもののまともの写真は残せておらず、一度は引退してしまって撮影出来ず諦めていた機関車が当時になるべく戻した姿で運転するような撮影列車は本当に興奮したものでした。ヨーロッパの鉄道車両保存でよく行われる保存車両の運転形態に倣ったこの運転されと事実は当時、この運転に携わった関係者には今もって感謝している次第です。


 最後は伊那松島運輸区での撮影会でオレンジカードを購入して帰宅したと記憶しています。     98,04,04 伊那松島運輸区  TMX スキャナー : Nikon COOLSCAN ⅣED

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コメント一覧

DT200A@CF-F9
元 つばめ鮨の常連様
飽きる事なき暇への探究心からの度々のご投稿に敬服いたします。

 名古屋駅から出るゴミが貨車でないと搬出出来ないというのも面白いシステムでしたが効率化一辺倒の波に飲まれてすぐになくなってしまいました。今思えばよくもワム8が東海持ちで残ったものです。
つばめ鮨[[EE:AEAB8]]の常連
ワム8さんも暇ですね!名古屋地区のワム8ゴミ車は、その後浜松工場への廃車回送を浜名湖鉄橋で撮影しました。牽引機は美濃太田区のDD51でした。
DT200A@CF-F9
ワム8様
いつも〝忙しいと〝と職場では言っていても実は暇で懲りもせず度々のご投稿をいただきありがたいやら呆れるやらです。

 当時、飯田支店にも鉄ちゃんではないものの鉄ちゃんに対して暖かい眼で見てくれる平成元年入社の幹部がいて彼も功労者の一人です。まぁ~一銭にもならない訳でもなく伊那松島運輸区では沿線で撮影した鉄ちゃんが撮影会目当てで集結し、撮影後はお礼のつもりでオレンジカードを購入していたのでそれはそれで増収になったと思います。
ワム8
当時一円の儲けにもならないこんな列車をよく仕立て運転したこと自体が現在とのギャップの大きさに改めて驚きます。欲を言えばパワムのサイドに大きく「ゴミ車」表示は何とかして欲しかったです。
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