秩父鉄道へ団臨が入線する場合、平日の朝は熊谷駅場面で高崎線のダイヤが輻輳していて本線横断の入換が出来ず、そのため寄居からDD51に牽引されて一旦北上し、高崎経由で運転されるのが常でした。しかし休日だと熊谷から直接高崎線へ入るダイヤを設定する事が出来るために寄居ー熊谷間に団臨が走る姿が撮影出来ました。しかし今、写真を見返すと早朝とは言え、高圧鉄塔バックで撮影しているセンスには参ってしまいます。もうちょっとマシな撮影地は無かったのかと反省してしまいます。やはり修行あるのみです。 90,09,21 秩父鉄道小前田 回9848レ
20年前の9月、国鉄解体末期ほどの熱気は冷めたとは言えまだまだ活発に運転されていました。その中でふたつの団臨の写真をご紹介したいと思います。
まずは秩父鉄道へ入線した高崎のお座敷客車です。当時高崎運転所に2編成のお座敷客車(くつろぎ編成とやすらぎ編成)が配置されていた、各地へ頻繁に運転されていました。
全国広しと言えどもほぼ同一仕様の2編成もお座敷客車を配置している区は他に例がなく、それだけ高崎地区でお座敷列車り需要があったと言う事になります。高崎から伊豆方面や上越方面へ運転される事がほとんどでしたが、その列車が集客のために普段は客車が入らない線区に入線し、良い被写体になりました。吾妻線は私の知る限りでもEF12→EF15→DD51と団臨の牽引機が変わって行き被写体として魅力的でした。また八高線の蒸機時代D51やC58が団臨の先頭に立つ姿を雑誌で見かけた事があります。
さらに高崎周辺には機関車を所有する私鉄が上信電鉄と秩父鉄道とあり、これらの私鉄にもお座敷客車をはじめとする団臨が入線していました。特に上信電鉄はデキ重連になるのでチェックは入れておいたものの、実際に撮影する機会は無かったと記憶しています。
この当時は水郡線の撮影地に乏しく、もっと奥に入れば良い撮影地があったにもかかわらず、田んぼの真ん中で妥協してしまっているのが、なんとも残念です。 90,09,24 静 9320レ
一方、旧水戸鉄道管理局は高崎鉄道管理局とは対照的に俗に言うジョイフルトレインをかなり晩年まで持たなかった(持つ事を国鉄本社から許されなかった。)地域です。後に品川のお座敷客車が12系改造車に更新するために余剰となった81系スロ改造のお座敷客車を86年に譲り受けるまで設定本数はあるもののジョイフルトレインの配置はありませんでした。しかしそのおかげで水戸鉄道管理局管内には各地から借入してきた、多種多様なジョイフルトレインが入線したのも事実で、さらにミト座配置後も借入する交渉窓口が継承されミト座が配置後も各地のジョイフルトレインが水戸に姿を現したと言う経緯もあります。
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